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週刊READING LIFE vol.80

蠅に憧れる《READING LEFE Vol.80 2020年の「かっこいい大人」論》


記事:綾 乃(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
蠅に憧れる。
そう言うと、ただでさえ少ない友人がさらに減ってしまいそうなので、今まで誰にも告げたことがなかった。
 
しかし、今世界は新型コロナウィルスの大流行で危機に瀕している。
そのような異常な状態であるので、私のこの憧れも、受け入れられるのではないかと思い、書いてみる。
 
蠅との出会いは国語の教科書だった。
横光利一氏の「蠅」という短編小説が、それだ。
 
蠅の描写から始まり、蠅の行動で終わるごく短い話で、人間も何人か出てくるが、この人が主役だと言い切れる人物はいない。
あらすじはこうだ。
 
一匹の蠅が乗合馬車の屋根にとまっている。
馬車には4組の客と馭者(ぎょしゃ)1人が乗っている。
乗り合わせた人々にはそれぞれ事情がある。
息子が危篤で急いで街に行きたい農婦。
訳ありげに逃亡しているカップル。
幼い男の子とその母親。
長年の貧困から抜け出せた田舎紳士。
その紳士のはからいで、乗客たちは馬車の中ですっかり打ち解ける。会話がはずむ馬車の屋根の上に、蠅は依然としてとまっている。
しかし馭者が居眠りを始めると、不穏な雰囲気が漂い始める。
馬車は路を外れる。あたりは崖だ。バランスを崩した馬車は、人馬もろとも崖下に落ちてゆく。
その時、蠅は悠然と空に飛び立つ。
 
これで終わりだ。
 
物語の中で、蠅はほとんど動かない。馬車の屋根にとまったまま、じっとしている。
車中の人々は生き生きとしているし、真夏の太陽も激しく照りつけるけれど、蠅は我関せずと、じっとしている。
そして人々に悲劇が訪れる時も、何をするわけでなく、何を思うでもなく、やはりしれっとただ飛んでゆくのだが、とにかくこの蠅がクールでシュールで超越的なのだ。
 
蠅にセリフはない。その無口な様子はまるで「ゴルゴ13」だ。依頼人や暗殺対象者の赤裸々な姿を無言で傍観するデューク東郷を思わせる。
 
この、外の世界の騒乱を物ともしないクールっぷりが、長いこと私の憧れであった。そして、今の世の中に必要とされていることだと私は思うのだ。
 
新型コロナウィルスの世界的な流行により、日本の7都道府県に緊急事態宣言が出されたのが4月7日。それ以降、私の勤務先も自宅でのリモートワークが推奨された。
私は有難く、自宅勤務にさせてもらった。
 
この事態に困窮されている方がいる中、申し訳ないと思うものの、家で仕事ができるということを、私は小躍りするほど喜んだ。
 
そのわけは、まず、今まで1日に摂取するエネルギーの大半を消費させられていた満員電車での通勤がなくなったことだ。
本当にこれは画期的だった。あれほど我慢していた苦痛は何だったのかと鬨の声をあげたほどだ。
 
外に出なくていいので、化粧をしなくていいことも、喜んだ理由のひとつだ。弁当を作る必要もないし、着てゆく服で悩むこともない。
出不精で面倒くさがりの私にとって、自宅勤務は楽園に思えた。
 
ただそれらの、手抜き人生の助長などよりも、もっとずっと嬉しかったことがある。
時間ができることだ。
 
通勤や出かける準備、帰宅後の片づけ等に費やしていた時間が、まるまる浮くのだ。1日につき、3時間程度の余剰時間を手にすることができる。
あれもして、これもして……。
私の欲望は膨れ上がった。
 
実際、緊急事態宣言から数日が経つと、外出を控え、時間がある「今がチャンスだ」と言うような意見がメディアでいくつか見られるようになった。
 
今までの働き方を見直すチャンス。
立ち止まってものごとを考えるチャンス。
今までできなかったことに挑戦するチャンス。
自分の人生を見つめ直すチャンス。
 
「私も、降ってわいた時間で、自分のこれからをじっくりと考えて、足りないことを学習して補おう」
「部屋の片づけを大々的にやって、生活をリセットしよう」
そんな、前向きできらきらとした夢であふれた。
 
しかし、実際に今まで私が成し遂げたことと言えば、3つしかない。
 
達成したものの1つ目、干しシイタケ作り。
この作業は、確かに日当たりがいい日中に、家にいないとできないことなので、こんな時しか成しえないものだ。しかし、先に掲げた夢に比べると、何とも、質とジャンルが異なる。
 
2つ目。
利き手以外の手で、薬缶のお湯を注げるようになる。
これは何のことかと言うと、自宅勤務のため家で茶を飲む機会が増えたため、どうせなら、利き手である右手を休ませて、沸騰した薬缶の湯を、左手で急須に注ぐ訓練をしようと試みたものだ。
最初はぎこちなく、お湯をこぼしまくり、あたりをびちゃびちゃにした。火傷こそしなかったが、危険と隣り合わせだった。
けれども今では、難なく左手で注げるようになった。ただし、今のところ何の役に立つかは判明していない。
 
3つ目。
浴室の乾燥機の掃除。
念願だったフィルタの洗浄もでき、これには大満足だ。
ただ、取り外す時に、踏み台代わりに使用した椅子からずり落ちて、脚を負傷した。今でも擦り傷と、紫色と何故だか黄色の不気味なあざが残り、見る度に悲しくなる。
 
これらのことは、やはり普段、会社に勤務していればやりもしないことばかりなので、達成できたことはそれなりに嬉しい。
しかし、当初の予定とは大幅にずれている。それは自分でもわかる。
 
おまけに、リモートワークすらしなくていい、ゴールデンウィークがあったにも関わらず、シイタケや薬缶だけだ。
日テレのコマーシャルでも「ゴールデンまなびウィーク」と所ジョージ氏が呼び掛けていた。
 
それを見るまでもなく、時間が取れるこの機会に、私も積んだままの本を読み、ほったらかしにしている語学の勉強をしようとわくわくしていた。
 
けれど、9日あった休みはあっという間に終わった。
もちろん、遊びに行ったりはしなかった。食料を買うために、1日だけ、しかも数時間、外に出ただけだ。それなのに、だ。
 
では、何故?
 
ゴロゴロして過ごしたわけではない。朝は規則正しく起き、夜も毎日早く寝た。
ダラダラと食べて過ごすようなまねもしなかった。食事は3度きっかりととった。
生活に無駄はなかったはずだ。
 
では、どうして?
 
振り返ると、毎日、そわそわして落ち着かず、絶えず情報を求めていた。
おたおたと何事も手につかず、気づくと報道番組を見ていた。
もちろん、新型コロナウィルス関連の最新情報を得るためだった。
 
起床と同時にニュースを見るのはいつもと同じだが、その番組が終わっても、不安はおさまらず、そのままバラエティ風の番組や海外のニュースを見続けた。
ネットニュースも、気になるタイトルのものはすべて目を通した。
 
更新されるニュースを早く知りたいと、取り憑かれたように情報を見あさった。
それだけ恐かったし、気になっていたので、仕方がないと言えばそうなのだが、でも、テレビにかじりついているうちに、せっかく手にした時間を浪費してしまった。
 
ただ、心底、恐怖していたかと言うと、少し違う気がする。
東日本大震災の時と比べてみると、放射能が流れ出たあの時の方が、断然、怖かった。移住する以外、放射能から逃れる方法がなかったからだ。
それよりは、新型コロナウィルスはこちらが正しく扱えば、話が通じる相手であるような気がする。
 
だから、私が報道番組に夢中になった理由は、「世界はどうなっているのだろう」と野次馬的な欲望のためだった。そして「人々はどうしているのだろう」と同朋意識で気休めを得るためだった。
 
しまった。こんなはずではなかったのに。
 
そう思ったけれど、過ぎてしまった時間は、もう取り戻せない。
いつも思うのだが、大切な時とは、どうして終わった後に気づくのだろう。
夏休みの宿題をほとんどやらなかった8月や、企画書づくりを放っておいた締め切り前の一週間。
あげているときりがない。
妙な自信と過剰に見積もったゆとりがいけないのだが、そんなことを今更、分析して嘆いてみても始まらない。
 
では、この失敗を繰り返さないためには、一体どうしたらいいのだろうか。
 
そこで、「蠅」だ。
いかに大変な事態がおきていても、いかにまわりが騒ぎ立てようと、それにのまれることなく、自分を律して、おのれの道を行く。
それがクールな蠅だ。
 
淡々と自分ができることをする。
それも自分で日課を決めて、タンタンッとリズミカルに行う。
 
今までも、そういう生活をしていた人はいるだろう。その人は、昨年までは、ひょっとしたら「味気なくて、つまらない人」と言われていたかもしれない。
 
けれども、世界規模の危機に瀕して、世間が騒然としている今、「淡々&タンタンッ」と生きることが、個々人にとって必要なことではないかと思う。
そういうクールな蠅が、2020年には、「かっこいい大人」として他人の人の目に映るのではないだろうか。
 
さらに、この期間に、自分ごとに集中できた人とそうでない人とは、危機が去った後に差が出ると思う。
 
集中して物事を成し遂げた人は、新型コロナウィルスの脅威が鎮まった世界を、既に想像しているだろう。
それは完全に克服しているかもしれないし、ウィルスとうまく付き合い、共生している世界かもしれない。
どのような状況になっているかは、まだ誰にも予想はつかない。けれど、今までの常識がまったく通じない世の中になっている可能性がある。中世ヨーロッパでペストが大流行した後で、それまでの神中心の考え方よりも、人間を中心にしたルネサンスが誕生したように。
 
そのような新しい世界が訪れた際に、集中して自分の為事に没頭できた人は準備していた対処法で、躊躇なく飛んで行くだろう。
ちょうど、小説の「蠅」が、ラストシーンで奈落の底に落ちてゆく人間たちを尻目に、青い空に飛び立って行ったように。
 
少し早いが、今年の漢字は何かと考える。
「疫」だろうか、「病」かもしれない。「災」もあり得るが、2018年に使われたばかりだ。
いずれにしても、新型コロナウィルスを抜きにしては、語れない年になることだけは間違いない。
 
しかし私にとっては、「挑」にしたい。
 
周囲に惑わされることなく、自分の道の成すべきことを成す。
 
雑音が多くて、なかなか成し遂げるのは難しい。
けれども、「蠅」の境地になって、私は試みたい。そうして、干しシイタケや左手で薬缶……以外のもっと多くのことに挑み、身に着けられるようにしたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
綾 乃(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

食べることと自宅が大好きな広島生まれの東京在住者。
自宅勤務になって、家で間食をする機会が増える。
体重が増えて困るのもあるが、買い置きしていた菓子があっという間になくなるので、一度に買う菓子が大量となり、スーパーのレジでなんとなく恥ずかしい思いをしている今日この頃である。

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2020-05-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol.80

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