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週刊READING LIFE vol.81

バーで出会った男は、甘くて残酷な人でした《週刊READING LIFE Vol.81「10 MINUTES FICTIONS~10分で読める短編小説集~」》


記事:いちのせ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
※この記事はフィクションです
 
 
「結婚しようと思うんだ」
ケッコンシヨウトオモウンダ。
交際期間半年。恋人が放った言葉の意味がすぐには理解できなかった。
ケッコンって、あの“結婚”? と反芻しても、すぐに頭が真っ白になって、「ちょっと、意味が、わからない……」と、カラカラに乾いた声で疑問を返すのが精一杯だった。
普通に聞いたら紛れもないプロポーズの言葉なのに。抱えきれない喜びと驚きに、目の奥が熱くなるシチュエーションのはずなのに。「結婚しようと思うんだ」を何度頭の中で再生させても、ただただ愕然とすることしかできなかった。

 

 

 

彼との出会いは、新宿にある行きつけのバーだった。その日は、たしか金曜日。いつも夜9時を過ぎても人で賑わうブラック企業に勤めている私は、“華金”という響きに抗うように、その日も夜9時過ぎにパソコンの電源を落とした。書類をカバンの中に押し込み帰る支度をする。同じ部署の先輩から「ちょっと、飲み行かないか?」と、オフィスを出る直前に誘われたけれども、「今日は遅いんで、帰ります」と丁重に断り、電車に乗った。
怒涛の一週間がやっと終わったのだ。こんな日は、ひとり静かにお酒を嗜みたい。
大人数での飲み会が苦手だった私は、会社の最寄りから数駅移動し、新宿へと足を運んだ。駅を移動してしまえば、入った店でうっかり会社の人と出くわしてしまう可能性はほぼなくなる。
新宿駅東口を出て、メインストリートとなる靖国通りから一本奥に入った道を進んでいく。夜10時を回ろうとしている新宿は、2件目、もしくは、3件目の飲み屋を探す人たちで入り乱れていた。
「まだまだー、飲み足りてねぇぞー」
「2件目行く人ー?」
「私、良いお店知ってるんで、次そこでいいですか?」
大人数での飲み会は苦手だけれども、他人事に聞こえてくる(事実として他人事なのだけれども)夜の賑わいは、結構好きだった。森見登美彦作の小説『夜は短し歩けよ乙女』―お酒好きの女の子が京都の酒場をハシゴする中で出会った人たちと一緒にお酒を飲むお話だ―に紛れ込んだ錯覚に陥るから。
夜はまだまだこれからだ。お酒を飲み、歩き、そしてまたお酒を飲む。そうすれば、思いもよらない出会いがそこにあるかもしれない。そう思わせてくれる。
行きつけのバーに到着した私は、重厚感のある木の扉を静かに引いた。
カララン
「いらっしゃいませ」
カララン、と扉が閉まれば、今自分が新宿にいることを一瞬で忘れてしまう静けさが全身を包んだ。薄暗い店内。壁にずらりと並んだボトル。赤黒く光る一枚板のカウンターテーブル。席数はカウンターの8席と少ないけれども、それが“大人の隠れ家”を演出するのに一役買っている。
「お仕事、お疲れ様です」
そう言って上着を預かってくれたのは、バーのマスターである矢代さんだった。
「奥の席は、埋まってしまっているのですが……」
申し訳なさそうに言う理由は、普段、私が一番奥の席を好んで選ぶことを知っているから。見てみると、たしかに座り慣れた席にはスーツを着た男性がひとり静かにお酒を嗜んでいる。
「それじゃあ、真ん中の席で」
「かしこまりました」
席に座ると奥から視線を感じ、反射的に私はそちらを向いた。年は私と同じ20代後半くらい。暗がりでも艶やかに光る黒髪を綺麗にワックスで整えている隙のなさ。男らしく見える切れ長の双眸。髭の薄い頬に、色っぽさを感じる緩められたネクタイ。
一目見て「好みだな」と心の中で呟いた。でも、それだけだ。
好みは好みでも、だからと言ってどうこうしようと思わない。不躾にならないように、早々に観察をやめた私は、ジッとこちらを見てくる彼に小さく会釈した。すると彼は緩やかな微笑みを口元に描いて、軽く頭を下げた。どうこうするつもりはなくても、アルコールの注がれていない身体がカッと熱くなるには十分な色香が、そこにはあった。
「今日は何にいたしますか?」
「あ、じゃあ、モヒートを」
「かしこまりました」
矢代さんの落ち着いた声に、熱くなった身体はほんの少し冷やされる。誰にも気づかれないように息を吐く。
「もしかして、ここ、あなたの席でしたか?」
え? と横を見ると、再び彼と目が合った。
「だとしたら申し訳ない。僕がわがままを言ってしまったんです。奥の席に座りたいと」
「いえ、私の席というわけではないので」
金曜日の夜、大体の確率でこのバーでお酒を飲む私のために、矢代さんは奥の席を空けてくれることが多い。きっと彼に席を勧めるときも、奥の席以外を勧めたのだろう。
「ここへはよく来るんですか?」
「ええ、金曜日とか、次の日の仕事を気にしなくてもいい日は」
「ここ雰囲気良いですもんね。新宿にあるとは思えない。それにお酒もとても美味しいですし。僕も、これから常連客になりそうです」
カラン、とグラスと氷がぶつかる音がした。涼し気な音とは反対に、心臓は再び熱を帯び始めていた。新宿のど真ん中にあるバーで、出会いなんか求めてはいなかった。ちょっとした運命さえ感じてしまう、ドラマティックな出会いなんか期待していなかった。
それでも、好みの男性がたまたま同じ空間に入ってきた私に対し気さくに声をかけてくれるシチュエーションが、脳から冷静さを奪おうとする。
期待なんかしていなかった。そんな行儀の良い言葉を剥ぎ取って、こういう出会いを求めていた、と本音を引きずり出そうとする。
「モヒートでございます」
「有難うございます」
まだ20代後半の若造がひとり訪れるには敷居の高い小さなバー。仕事に追われる生活の中、唯一の贅沢と通い詰めた甲斐があった、と人知れずガッツポーズをとった夜だった。
 
それから、彼、廣井康孝さんとは、金曜日の飲み仲間となった。
一番奥の席が私、その隣に廣井さんが座り、静かに語らう穏やかな時間。
「IT企業は、どこも忙しいですよね。僕の会社の隣もIT企業なんですけど、夜遅くまでオフィスが煌々としていますよ」
「廣井さんが勤めている広告会社も、朝から晩まで働き詰めなイメージあります」
「営業じゃないだけマシですけどね。営業だったら今頃、品のない飲み会に付き合わされていたところです」
廣井さんが新宿にある広告会社に勤めていると聞いたときは、驚きよりも納得の方が大きかった。初対面の人間に対して気さくに声を掛けられるコミュニケーション能力は、IT企業ではあまり見られない。住む世界が違うのかな、と廣井さんとの間に距離を感じたけれども、「広告と言ってもWeb広告ですけどね。それに僕は営業じゃなくてプログラマーなんで」と教えてもらい、逆に親近感を覚えた。
それに、私たちは趣味も合った。廣井さんの手首で輝くオリエントの腕時計に気づき「私も、オリエントの時計をしてるんです」と腕時計を見せれば「うわ! 本当だ! 良い趣味してますね!」と廣井さんは少年のような笑顔を見せた。週末は家で読書や映画を楽しむ。食事は和食派。音楽は歌詞のある歌よりクラシックの方が好き。お酒は一種類のものを飲み続けるより、いろんな味を楽しみたいタイプ。「わかります」と共感するたびに、私たちの仲は急速に縮まった。
廣井さんと出会ったことで、それまではひとり静かに過ごしていた金曜日の夜が、鮮やかな輝きを放つようになった。
「本日は何になさいますか?」
いつもは私にだけ向けられていると思っていた始まりの言葉も、“私と廣井さん”に向けられるものへと変わっていった。
「僕はロブロイを」
「私は……アメリカーノで」
先に廣井さんが、続いて私がお酒の名前を唱えるのも、暗黙の了解となっていた。
「お酒にも、花言葉と同じように言葉が添えられているって知ってますか?」
ロブロイの入ったグラスの足に添えられた指を見ながら「聞いたことはありますけど、詳しくわないですね」と答える。
「あなたの心を奪いたい」
乾杯をするみたく、私に向けてあげられた琥珀色のカクテル。「ロブロイに込められた言葉です」と微笑まれ、私は咄嗟に目をそらした。
「それは、なかなかの口説き文句ですね」
「口説いています」
「か、からかわないでくださいっ」
カッと熱くなった頬を誤魔化すために、アメリカーノのグラスを傾ける。「ついでに、アメリカーノは“届かぬ想い”です」
「私は、別に、そこまで気にして頼んでませんよ」
「僕は気にして頼んでいます」
いつの間にか、グラスを磨いていたはずの矢代さんの姿が奥の厨房へと消えていた。
「届きますよ。その想い。って言ったら、流石に自惚れすぎですかね」
切れ長の目にはめ込まれた真剣な色に、いよいよ、私は冷静を取り繕うことができなくなった。
「僕のこと、どう思いますか?」
「どうって、どういう意味ですか?」
「男としてどう思うかって意味です」
「いや、でも、私も廣井さんも……」
「驚きますか?」
驚きます。とは答えなかった。驚きよりも戸惑いの方が断然に大きかった。
「僕があなたのことを好きだと言ったら変ですか?」
「変では、ないです」
何故? とは思うけれども変だとは思わない。そもそも人を好きになるのに、変、変じゃない、と天秤を揺らすのはあまり好きではない。
それに、おそらくは私の方が先に恋に落ちていた。ダメだ、叶うはずない、仲の良い友達になれただけで十分だ、と思いながらも心のどこかで甘美な言葉をもらうことを期待していた。
「私も、廣井さんが好きです」
切れ長の双眸が、嬉しそうに細められた。「これからは飲み友達ではなくて、恋人になりますね」と耳元で囁く声はアルコールのせいか、とても熱く、しっとりとしていた。

 

 

 

恋人という関係を結んだのを機に、私は廣井さんのことを「康之さん」と呼ぶようになった。お互い仕事は忙しいため、会うのは金曜日の夜がほとんどだった。仕事が早く終われば食事をして。遅ければ、行きつけのバーで待ち合わせる。週末はお互いにインドア派であることもあり、どちらかの家で過ごすことが多かった。
恋人がほしいと思いながらも、心のどこかで恋人なんかできっこないと諦めていた私にとって、康之さんと過ごす日々は半年の歳月を経ても“夢”から抜け出せずにいた。好きだと言われても、好きだと言葉にしてみても、いつかは風に吹かれるシャボン玉みたくパチンッとはじけ壊れてしまうのではないかと。
「今日は、ちょっと違うバーに行かない?」
金曜日の夜、いつもと違う誘い方に変な胸騒ぎを覚えた。康之さんに案内されたのは立ち飲みスタイルのバーだった。カフェを彷彿とさせる内装と、開けっ放しになっている広い出入り口がカジュアルに感じたけれど、カクテルはメジャーなものからマイナーなものまで、豊富な種類が揃っていた。
「康孝さんと、あのバー以外でお酒を飲むのは初めだね」
「なんか、今日はあそこじゃない方がいいかなって」
そう言うと、康之さんはギムレットを頼んで小さく息を吐いた。
馴染みの場所じゃない方がいいとはどういう意味なんだろう。
いつもと違うシチュエーションと、どことなく固く見える表情に、お酒の味が薄く感じた。
「実はさ……」
重たい口をほぐすように、乳褐色のギムレットを喉に流し込んだ康之さんは、意を決したように私を見つめた。
 
「結婚しようと思うんだ」
 
その刹那、私の心はハンマーで砕き割られた。
「ちょっと、意味が、わからない……」
アルコールで得た熱が、一気に冷めていく。「結婚することにしたんだ」と、繰り返し言われて、さらに心が細かく砕かれる。
普通に聞いたら紛れもないプロポーズの言葉なのに。抱えきれない喜びと驚きに、目の奥が熱くなるシチュエーションのはずなのに。
私は、震える口を無理やりに動かして「だ、誰と……?」と質問した。
この人は、私ではない誰かと結婚しようとしている、と確信したからだった。
「2年前から付き合っていた彼女と……向こうは仕事の関係で地方にいたんだけど、今度こっちに戻ってくることになって……それで……」
「一緒に住むのを機に、籍を、入れるんだね」
繋ぎ繋ぎに言うと端正な顔がグッと歪められた。「最初から、私のことを捨てるつもりで一緒にいたんだ」と自虐的に吐き捨てれば、康之さんは否定することなく「本当に、ごめん」と、弱々しく謝った。
「半年間、本当に有難う」
カウンターに5000円札を置き、そっと席を離れた康之さんに「ふざけんなっ」とも「裏切者っ」とも怒鳴ってやることはできなかった。
見慣れた背中姿は、あっという間に大きな出入り口の先へと消えて行く。腰を下ろす椅子もなければ、重たい木の扉もない。康之さんがこの店を選んだのは、“簡単に消え去ることができる店”だからなのだと理解する。
半年間という長いようで短かった夢が覚め、私は久々に現実へと戻ってきた。康之さんに告白された時は、あれだけ動揺していたのに、別れはすんなりと受け入れられてしまう。悔しいはずなのに、諦めが怒りの熱を奪ってしまう。
飲み途中のギムレット。そう言えば、ギムレットのカクテル言葉は“別れ”だったな、と今更ながらに気づいてしまう。
「お兄さん、何か飲みますか?」
呆然とする私を心配そうに見るバーテン。目から零れそうになる涙を袖で拭って誤魔化した私は「カカオフィズを……お願いします」と、“恋する胸の痛み”の意味を持つカクテルの名を唱えた。
 
東京のど真ん中。新宿区新宿二丁目のとあるバーで。
甘い誘惑に騙された男の恋が、ひとつ、静かに息絶えた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
いちのせ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京生まれ東京育ち。
元システムエンジニア。現在、クリエイターとして革小物を中心に制作活動をする日々を送る。

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2020-05-25 | Posted in 週刊READING LIFE vol.81

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