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週刊READING LIFE vol.82

プロレスは人生のシナリオだった《週刊READING LIFE Vol.82 人生のシナリオ》


記事:篁五郎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
シナリオとはどんな意味だろう?と思って調べてみた。
 
「1 映画・テレビなどの脚本。場面の構成や人物の動き・せりふなどを書き込んだもの。台本。
2 計画を実現するための筋道。「連立政権へのシナリオ」」(デジタル大辞泉(小学館)より)
 
どこかで聞いたことがある。人生は神様が作ったシナリオがあってその通りに進んでいくんだって。
 
「ホントかよ」なんて思っていたけど、最近はもしかしたら言っていた通りかもしれないなんて思うようになった。
 
その方が気楽じゃん。頑張らなくてもいいし。何かしたくて頑張って結果が出なかったとしてもそう思えば傷つくことはない。神様には逆らえないからね。
 
そう思ってやりきれないことも乗り切っていた。だって人生で上手くいったことなんてほとんどないからね。思っていた通りに歩めない人生はきっと神様が「お前にはこんなのがお似合い」といって人生のシナリオを作ったんだろう。
 
ここまで本当にクソみたいな人生だった。
 
やりたいことが見つかっても上手くいかないなんて当たり前。そうやって自分を慰めていた。だから僕は挑戦することから極力逃げてきた。自分で作ったシナリオ通りにいかないから仕方ないもん。
 
何もしなければ傷つくことはない。何もしなければ誰も傷つけることもない。
 
負けたって自分が我慢すればそれで場は収まる。誰かに怒られても「すいません」と言って頭を下げてヘラヘラしていたらそれでいいんだ。
 
それが神様が僕のシナリオなんだもん。
 
それでも僕にだってストレスは溜まる。
 
僕の鬱憤を晴らしになったのはプロレスだ。
 
自分には持っていない屈強な肉体をむき出しにお互いの力と技をぶつけ合う。時には感情をむき出しにしてマイクでお互いをアピールする。鍛え上げた肉体で相手の技を受けても何度も何度も立ち上がってくる姿に僕は声援を送っていた。
 
「なんで俺がお前の前を歩かなきゃいけないんだ。なんで、俺がお前の前にコールされなきゃいけないんだ!」
現在、Twitterで天然ぶりを発揮している長州力が放った言葉だ。長州は鳴り物入りで新日本プロレスに入団するも中々ブレークすることができなかった。逃げるようにメキシコへ武者修行をした後、自信を付けて帰国するもライバルの後塵を拝することに不満を爆発させた瞬間だ。周りが作ったシナリオを長州は自ら書き替えたのだ。
 
それから長州はプロレスラーとしてブレークを果たし、トップとして輝き続けた。今ではタレントやユーチューバーしている。
 
現役プロレスラーでも自ら周りのシナリオを作り替えた男がいる。新日本プロレスを救った棚橋弘至がそうだ。
 
棚橋は入団当時、特に周りに期待されていたわけではなかった。一つ上の先輩に元ラグビー日本代表がいて周りは彼を将来のエースとして期待をされていたからだ。当時の棚橋は学生プロレスをしながら身体を鍛えていた大学生。先輩との差は天と地ほどあった。
 
しかし、彼は諦めることなく自分の肉体を鍛えて先輩との差を埋めていった。一緒にタッグを組み、自分にも注目が集めるように仕掛けていった。
 
そんな中新日本プロレスに激震が走る。オーナーの方針に反発したトップレスラーが辣腕の社員と一緒にライバル団体へ移籍してしまったのだ。棚橋も尊敬しており、付き人もしていた人気も実力もナンバーワンといっても過言ではないほどのトップだった。トップレスラーは棚橋にも引き抜きの手を伸ばすも「まだ新日本プロレスで何も残していない」と断った。
 
そしてオーナーの目の前で「俺はここでプロレスをやります」と力強く宣言。
 
新日本プロレスを引っ張る覚悟を示した。しかし、棚橋はそこから逆風が吹き続ける。
 
リング上では先輩レスラーとのタッグが順調に進むもプライベートでトラブルが勃発。当時交際してた女性に背中を刺されたのだ。別れ話がこじれてしまった末での事件であった。
 
棚橋は刺されたまま原動機付二輪車を運転し、最寄りの病院に駆け込み緊急治療を受けて一命を取り留めたが、総血液量の約3分の1にあたる1.7リットルの血液を失い、一時は意識不明に陥るほどの大怪我を負った。
 
事件は大きく報道され、棚橋は長期欠場。大きくイメージダウンした棚橋のプロレスラーとしての未来は失ったかのように見えた。
 
しかし、そこで諦めることなくリングに復帰。地まで落ちた自らの地位を再び浮上させるべく奮闘を開始した。
 
だが、その頃はプロレス自体に逆風が吹いていた。当時はK-1やPRIDEといった総合格闘技(打撃(パンチ、キック)、投げ技、固技(抑込技、関節技、絞め技)などの様々な技術を駆使して勝敗を競う格闘技)がブーム。プロレスファンはこぞってプロレスに見切りを付けて総合格闘技に熱狂。
 
プロレスは「ダサい」「時代遅れ」と呼ばれて会場は閑古鳥が鳴いた。
 
当時の状況を棚橋がこう語っている。
 
「2階席まで満員だったのがやがて1階席しか埋まらなくなり、そのうち、試合のたびに、1列ずつお客さんが減っていくようになりました」
 
客離れが深刻になった当時に自ら立ち上がり、独自のカラーを打ち出す。
 
それは「プロレスのビジュアル化」
 
ぽってりとしたアンコ型の体形を拒否。腹筋が割れていてボディビルダーを彷彿とさせるビジュアル重視の肉体にこだわった。髪の毛は茶髪のロン毛。見た目から変えていった。
 
そんな棚橋に向かって残ったプロレスファンの声は冷たかった。
 
「チャラい」
「総合格闘技に勝てないからビジュアルに走った」
 
辛らつ言葉ばかり。しかし棚橋は諦めずに周りが作ったシナリオに乗らず自らの道を切り開いていった。
 
逃げたファンを呼び戻そうともしなかった。いなくなったなら新たにファンを獲得すればいいとばかりに営業活動に精を出した。
 
次の試合がある土地へ先乗りして地元のテレビ局やラジオ、イベントに積極的に参加して自らのことを開けっぴろげに話した。時にはプロレスの話を一切しないで終わらせることも珍しくなかった。
 
どうして? と問われると棚橋は笑って話す。
 
「とにかくプロレスラーのイメージを壊したかったんです。プロレスに対する第一印象が良くなくて「痛そう」「血が出る」とかそんなのばかりだったんです。つまりビジュアルとかレスリングの競技性とかまったく届いてなかったんです。「面白いところいっぱいあるのになあ」と思いながらも「入り口で拒否されたらどうしようもないなあ」なんてずっと考えてましたね。
 
だったらということでプロモーションに行くのもちょっとオシャレしていったりとか、わざとタンクトップ着ていったりして筋肉アピールする日もあれば、プロレスの話をしないで棚橋個人の話をするだとか、そうやって人となりを理解してもらいながら変えていった感じはします」(雑誌KAMINOGE101号:棚橋弘至リモートインタビューより)
 
奮闘しても理解はされなかった。ベビーフェイス(善玉役)のプロレスラーなのにブーイングの嵐。ヒールレスラー(悪役)に人気が集まった。そんな状況でも棚橋はあきらめない。
 
「信念が勝ったっすね。「過去と同じことをやっていたら下がるだけだ。だから俺がやっていることは絶対に間違えていない!」という信念。それだっけすね」(雑誌KAMINOGE101号:棚橋弘至リモートインタビューより)
 
もの凄いメンタルの強さだ。しかし棚橋は最初からメンタルが強かったわけではない。自著「史上最強のメンタルタフネス」ではこんな一説が記してある。
 
「どのジャンルでも伸びる人はネガティブな感情を引きずらず、気持ちをパッと切り替えるのではないでしょうか。周りを見ているとできる人ほどそうやって進んでいます。
 
では、気持ちが気持ちが前向きにならない人はどうすればいいのか。
 
やることは一つです。それは、今の自分の気持ちに「全力」で正直になること。それだけです」
 
棚橋はそうやって自らメンタルを鍛えていって自らの心を鍛えていった。だからこそ同書で読者に伝えたいことがある。
 
「メンタルの強さは、生まれつきの才能ではありません。誰でも後から鍛えることが可能だし、子どもの頃に鍛えられてなくても大人になってから十分に挽回できるのです」
 
閑古鳥がなく会場でブーイングを浴びながら試合をして、プロモーション活動も行い、その合間に練習をした棚橋の努力は10年近くかかって実を結ぶ。
 
少しずつ女性の姿がプロレス会場に増えて来た。今までは男だらけの汗臭い場所に若い女性が棚橋を見に来るようになった。棚橋の先輩であるスイーツ真壁こと真壁刀義もブログをきっかけに「スッキリ」(日本テレビ系)のスイーツレポーターとして出演を果たした。全国ネットに放送される番組で得た知名度で棚橋に続けとばかりにプロモーション活動をするようになった。
 
棚橋は一人で戦うことはなくなったのだ。
 
「棚っちょ、俺たちの世代でもう一度プロレスを盛り上げていこうぜ」
 
真壁から掛けられた言葉に棚橋は自分がやってきたことは間違いではないと改めて実感した。周りから作られたシナリオに反発をして自らの心と言葉でプロレスに再び熱を取り戻したのだ。
 
いつしか棚橋のモデルはプロレス界のスタンダードになった。他団体のプロレスラーも棚橋のやり方を勉強して同じようにやっていると語っている。
 
棚橋のやり方はすぐに成果が出るわけではない。
 
「ボクは「三年後理論」呼んでいるんですけど、もちろん第一義的には翌週の大会のためのプロモーションではあるんですが、また、来年そこに来たときに再来年そこに来たときのプロモーションであるということで、やっぱりディレイがあるんです。
 
たとえば、2020年の盛り上がりは2017年のがんばりなわけです。もしそこで動員が下がるようなことがあれば、三年前に何かしらの理由となることが起きているんです。だからその三年期という大きな考えで動いていけば、下がり始めたなっていうときに何かてこ入れをして、高い水準で推移していくことができたら、ビジネスとして大きく下がることはないかなという気がします」(雑誌KAMINOGE101号:棚橋弘至リモートインタビューより)
 
落ちた経験があるからこそ先を見据えている。だからこそ自ら作ったシナリオを、新日本プロレスを背負う覚悟がある。
 
かつてリング上でこんなことを言われたことがある。タイトルマッチで防衛した後に悪役レスラーがリングに乗り込み挑戦表明をしたときのことだ。
 
「お前には消せない過去があったよな。恥じることはないよ。十年前のあの事件はよ、まさに男の勲章だよ。俺もよ、刺されるほど女に愛されてみてえな。この死に損ないが」
 
満員の会場で触れられたくないことを言われても棚橋は動じない。
 
「過去は消せない。でもな、全部背負って生きていくんだ。新日本プロレスも俺が背負っていくから」
 
と返答。自らの人生だけではなく新日本プロレスも背負うと断言した。プロレスはじんせいそのものだ。生き様が、自ら作ったキャラクターが、リングに、発する言葉に表れる。
 
だからこそシナリオ通りにいかないのだ。僕はそんなプロレスが大好きだ。クソみたいな人生のシナリオを変えるエネルギーになるから
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
篁五郎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

初代タイガーマスクをテレビで見て以来プロレスにはまって35年。新日本プロレスを中心に現地観戦も多数。アントニオ猪木や長州力、前田日明の引退試合も現地で目撃。普段もプロレス会場で買ったTシャツを身にまとって都内に仕事で通うほどのファンで愛読書は鈴木みのるの「ギラギラ幸福論」。現在は、天狼院書店のライダーズ俱楽部でライティング学びつつフリーライターとして日々を過ごす。

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2020-06-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol.82

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