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週刊READING LIFE vol.83

正しさを求める“国語の授業”が、私から本を奪った《週刊READING LIFE Vol.83 「文章」の魔力》


記事:いちのせ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
本を読むのが嫌いだった。
小学6年生からのことだ。
突然に嫌いになったのではない。段々と、着実に「文章」というものに嫌気が差し、読む気力を失ったのだ。
中学生の頃、学校で毎朝10分間読書をする時間を設けられていたけれど、3年間、私は本を読んでいるフリをした。3年間、同じ本を開き続けた。それなのに、その本のタイトルも作者も覚えてはいない。それくらい私には本への興味がなかった。
中学から高校までの間、学校の授業で扱う本以外で完読した本は、たったの1冊。
当時、女子の間で流行っていた恋愛小説。「すごく面白いから貸してあげる!」と押し付けられ、なんとかして読み切った。
「面白かったでしょ」
同意を求められて、私は「面白かった」と思ってもいない言葉を返した。
大前提として、その本に罪はない。多くの女子たちが、共感し涙を流した1冊だった。悪いのは当時の私だ。本を楽しむ方法を見失ってしまった私に、問題があったのだ。
 
どうせ読んだところで、私には理解できない。
卑屈になる自分が、そこにはいた。
 
主な原因は中学受験のために通った塾にある。
小学校6年生の春。私は塾に通い始めた。
塾に入る前に学力試験を受ける。悪くもなければ良くもない。平凡な成績で私の受験勉強はスタートした。
受講科目は算数と国語の2科目。
普通授業から始まり、夏期講習を受け、私の成績は少しずつ変化していった。
順調に上がっていく算数の成績と反比例するように、国語の成績は落ち込んでいったのだ。
塾に入る前よりも、たくさんの漢字を暗記した。四字熟語も単語の意味も頭に詰め込んだ。それでも国語の成績は上がるどころか下がる一方だった。
 
長文読解が、まるで解けない。
 
長文読解は、その名の通りある程度長さのある文章を読み、それに関する設問を解くものである。
そして、長文読解の設問で見かける常套句。
「最も適切なものを次から選んで、記号で答えなさい」
私は、この手の設問を解くのがとてつもなく苦手だった。
塾の先生は、よく言った。
「選択肢アとウは明らかに間違っているから、イとエのどちらが正解かを考えることになるね」
入試の選択問題でよくある構成だ。4択のうち、2択は明らかな間違いで、残り2択から答えを探させる。
けれども、先生から“明らかな間違い”である2択を示された時点で、私は鉛筆を放り投げたい気持ちになった。
「もう、ワケがわからない」
私が選ぶ答えは、大抵の場合、明らかに間違っていた。私には読解力が備わっていなかったのだ。
 
筆者が言いたいことは、接続詞のあとに書かれていることが多い。
まずは設問に目を通してから、次に本文を読み始める。
本文中の傍線付近の前後数行はチェックを入れる。
 
正しい答えを選ぶためのノウハウを教えられても、私には文章を正しく読み解くことはできなかった。
それに読解問題は都度、全く違う文章が提示される。先生からの解説を受け、たとえ理解をしたとしても、新しい文章を前にすれば何もかもが振り出しに戻ってしまう。その繰り返しだった。
先生は言った。
「時間を書けて読んだら、問題を解く時間がなくなるよ」
私は文章を読むスピードが遅かった。文章を目で見て、頭の中で音にし、咀嚼しようと必死になる。
「全部を読む必要はないから。サッと目を通して内容を把握すればいい」
斜め読みや飛ばし読みをするほど、内容は全く頭に入ってこない。
授業を受ければ受けるほど、文章への苦手意識が濃くなった。
模擬試験を受けるたびに偏差値は下降していく。
塾に入る前は80点以上とれていた小学校での国語のテストも、気づけば50点を切るようになっていた。
 
冬になり、いよいよ受験勉強も大詰めとなる季節。塾の先生から1枚の封筒を渡された。
「家に帰ったらお母さんに渡してね」
私は子共ながらにその封筒の中身に何が書いてあるのか予想できた。
「分かりました」と受け取って、塾を出た瞬間に封筒の中身を取り出した。
内容は、こうだ。
「お子さんの国語の成績が伸び悩んでいます。ご自宅では勉強をしていますでしょうか」
予想した通りの内容だった。短い文章だ。長文問題とは違って、十分に理解できた。
徐々に下がりつつある成績を“伸び悩んでいる”とオブラートに表現していることも。
塾の授業に問題があるわけではなく、私の努力が不足していると言われていることも。
ちゃんと、理解できた。そんな自分が、嫌になった。
 
受験本番。私は国語の試験問題と対峙する。長文問題。本文は読まなかった。設問だけに目を通し、適当に答えを書き込んだ。
半年間塾に通い、見出した答えがこれだった。
本文を読んでも読まなくても、結果に大きな差はないと。
 
受験に合格するために通った塾で私は学んだ。
私は、文章を正しく理解することができない。理解できないままでいい、と。

 

 

 

幸いにも、受験に合格することはできた。算数の点数が、国語の点数をカバーしてくれたのだ。
受験とは違い、中学校での国語の授業は文章を読み解く必要がなかった。
テストに出てくる文章は、教科書に載っている文章の抜粋だ。
筆者の気持ちを、文章に込められた意味を、理解することを諦めた私にとって、授業中に先生が言った通りの答えを書けばいいテストは簡単なものだった。
正しい解釈に従うことに徹した私の国語の成績は飛躍的に上がった。時には、定期試験で満点をとることもあった。
良い成績を収める私を先生は褒めた。文章に何の面白みも見いだせなくなった私に「流石だね」、「次のテストも、この調子で頑張って」と満足そうに言い放った。
 
そんな私はとあるニュースを目にすることになった。
時期はあまり覚えていない。高校を卒業する前か、はたまた卒業した後か。そのニュースがテレビであったかネットであったかも、誰が主役であったのかも覚えていない。寧ろ、ただ夢を見ていただけなのかもしれない。
けれども、その言葉だけは記憶に残っている。
それはある文学賞の授賞式のニュースだった。大賞が決まり、授賞式が開かれ、大賞を獲った作家へのインタビューが行われた。
記者が質問した。
「読者に何を伝えたいと思って、この本を書きましたか?」
その先の答えが気になった。
文章を読んだ誰かが決めた正しい解釈ではなく、文章を書いた本人が語る本当の答えを知りたいと思った。
その人は、こんな風に答えた。
 
伝えたいことはある。
だけど、本を読んだ人が自由に感じ取ってくれればいい。
 
自由でいいのか。正解じゃなくても、いいのか。
初めて、自分の読解力のなさを許してもらえた気がした。
理解できなくても本を読んでもいいのかもしれない、と背中を押してもらった気がした。
 
それから私は、恐る恐る本を読むようになった。
初めは読みやすそうな本を中心に選び、少しずつだけれども本と向き合った。何が正しい解釈なのか、何が正解なのか、考えずに本を読んだ。
時折ページを戻って読み直す。分からない単語があったら辞書を引く。
長年、本と向き合ってこなかった私の読書は決してスムーズではなかった。時間もかかり、文章の意味を理解するのも苦労した。
それでも「自由に感じていい」という言葉が、私と本を繋ぎ止めてくれた。
朝井リョウさんの『何者』を読み、本の世界が現実よりも生々しく感じた。
奥田陸さんの『蜜蜂と遠雷』を読み、本が音楽を奏でることを知った。
辻村深月さんの『かがみの孤城』を読み、本を閉じることを忘れる読後感を体験した。
読み終える度に、世界が広がりを見せた。次は何を読もう、と本を読む楽しさを覚えていった。
 
そして私は、ついにその本を開くことになった。一生読むことはないだろうと思っていた本を、思い切って手に取った。27歳になる年のことだった。
書店の棚に並ぶ数多ある本から、それを引き抜いた理由は“分厚くない”からだった。このくらいの文量なら私でも読めるかもしれない、そう思ったからだ。
『人間失格』
日本人として生きる人なら、必ず一度は耳にしたことのある太宰治の不朽の名作。今は亡き文豪の本を読むのには少しばかりの抵抗があった。時代ならではの言葉遣いや単語の羅列を、読むのが難しそうだと敬遠していた。
それでも読んでみたかった。長く愛される小説を、文豪と呼ばれる人が今に残した名作を。
試しにページを捲る。ページ数は約150。文庫本の中ではかなり少ない方だった。これなら読み終えることができるかもしれない。そう頷いて本を買った。
 
クセのあるリズムだった。独特な言葉遣いだった。
最近の小説とはまるで違う文章に一抹の不安を覚えた。読み切れなかったらどうしよう。
しかし、それは全くの杞憂だった。
 
――恥の多い生涯を送って来ました。
 
その一文に現実を忘れた。一気に太宰治の世界へと引きずり込まれた。
ここまで深く、緻密に、それでいて複雑に、ひとりの人間の生き様を描くことができるのかと、驚いた。
文章を読んでいる感覚はなかった。読みづらいとか、理解できていないかもとか、考える余裕はどこにもなかった。
私は今“人間”を読んでいる。小説ではなく“人間”を。
そう感じるほどに、この本に人間臭さを感じた。
もっと早くにこの本と出会いたかったと、心底悔しくなった。
私は痛感したのだ。遠回りをし過ぎたと。読んでもどうせ理解できない、正しい解釈ができないと卑屈になったせいで、危うくこの1冊と出会えないまま一生を終えてしまうところだったと。
読み終えた私は、本の表紙をじっと見つめた。
『人間失格』
タイトルだけでは想像すらできなかった出会いに、何故だか無性に泣きたくなった。
この本が長年愛され続けた理由がわかった気がした。この本はとても愛おしい。そう思えた自分に、喜びを感じずにはいられなかった。
 
私は『人間失格』を読み終えてから現在まで、ネットや書籍での講評や解説を一度も確認したことはない。
あの時、無性に泣きたくなった瞬間を、 “人間”を読んだと心が震えた瞬間を、誰にも否定されたくなかった。
たとえ、それが間違った解釈であろうとも、どれだけ的が外れていようとも、あれこそが私と『人間失格』の対話だったのだ。

 

 

 

「お子さんの国語の成績が伸び悩んでいます」
封筒の中に入っていた手紙を読んだ私に言ってあげたい。
卑屈になることは、何ひとつないのだと。
“国語の授業”と“本との対話”は、全くもって別物なのだと。
 
私はもう、国語の授業で学んだことを覚えていない。
私は今、自由に本を読むことを楽しんでいる。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
いちのせ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京生まれ東京育ち。
元システムエンジニア。現在、クリエイターとして革小物を中心に制作活動をする日々を送る。

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2020-06-08 | Posted in 週刊READING LIFE vol.83

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