週刊READING LIFE vol.84

始末書を書いて船に乗る《週刊READING LIFE Vol.84 楽しい仕事》


記事:井村ゆうこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
始末書なるものを人生で初めて書いたのは、大学2年の春のことだ。
横浜は、みなとみらい。ヨットの帆をイメージして作られたホテルの従業員控室で、私は俯いていた。
スチールの机を挟んだ反対側には、糊のきいた真っ白なシャツに黒い蝶ネクタイ、メタルフレームの眼鏡をかけたA氏が座っている。手にしたボールペンの先が、机の上でコツコツと音を鳴らしていた。
「どうして落としちゃったのかな?」
忘れ物をした子どもに理由を問いただすようなやさしい口調に励まされ、私は顔を上げた。
「重かったので……」
言いわけを口にした途端、地雷を踏んでしまったことに気づいた。
A氏の眉間にしわが寄る。蝶ネクタイをゆるめた手が、シャツのいちばん上のボタンを外す。メトロノームみたいに規則正しく鳴っていたボールペンの音が、消えた。
「ふざけるんじゃない。披露宴は、時間との勝負だ。8人分の皿も持てないようなら、配膳スタッフなんか辞めてしまえ!」
 
数時間前、私は8枚の皿を乗せた大きなトレイを抱えて、キッチンから披露宴会場へと続く廊下を急いでいた。宴会会場のアルバイトスタッフとして働きはじめて約3ヶ月、丸テーブルをひとりで担当するのは、この日が初めてだった。
美しく盛り付けられた前菜を崩さないよう、手元を確認しながら歩を進める。
「フランス料理のお皿って、どうしてこんなに大きくて重いの!」
食いしばった歯の間から悪態が漏れる。
戦場のような舞台裏の気配はきれいに覆い隠され、祝いの宴はつつがなく進行していった。
披露宴後半。
フルコースの魚料理まで持ちこたえた腕に活を入れ直し、牛フィレ肉のステーキを運び始める。
キッチンから会場までの道のりが、フルマラソンみたいに長く感じられた。
重みで、手がしびれた。腕が震えた。
私は8枚の皿が乗ったトレイを床に落とした。
 
こうして、私は人生初の始末書を書く運びとなった。
「間違っても、重くて落としたとは書くなよ」
配膳スタッフを派遣する会社の社員であるA氏が、「不始末の原因」の欄を埋めようとしている私の手を監視していた。
にらまれていると書きづらいんですけど、という苦情をのみ込み、私は始末書を完成させた。
「あの、仕事は続けさせてもらいたいのですが……」
反省と謝罪の言葉を書き連ねた用紙を手渡しながら、A氏の顔をうかがう。
「やめとけ、やめとけ。無理してこんなキツイ仕事続けなくても、もっと楽に稼げるバイトがあるだろ。重い皿なんか持たなくていい、家庭教師とか」
「いえ、どうしてもこのホテルで働きたいんです。少なくとも6月までは」
思わず本音が口をついて出た。
「6月までって、もしかして……」
A氏が目を細める。鋭い視線が私の顔に向けられた。
 
「フランス映画祭だろ、お前の狙いは」
ご明察である。
 
1993年に始まったフランス映画祭は、2005年まで毎年6月に、みなとみらいにあるパシフィコ横浜で開催されていた。(2006年以降は、開催場所を横浜と他都市とで分担しながら、現在も続いている)
上映前の舞台あいさつや、上映後の質疑応答に参加するため、フランスから多くの映画監督や俳優たちが来日し、4日間の祭りを盛り上げてくれる。
横浜の大学でフランス語とフランス文化について学んでいた私にとっては、生の「フランス」に触れるまたとないチャンスだった。
 
観客としてだけではなく、もっと彼らに近づきたい。
大学1年の6月。フランス映画祭の観客席に初めて座った私は、翌年の映画祭に向けて行動を開始した。
まずは、映画祭のボランティアスタッフになることを目指した。スタッフとして映画祭の内側に入り込むことができれば、きっと彼らの近くに行くことができるに違いない。
しかし、結果は自分の甘さを痛感するだけで終わった。フランスを、フランス映画を愛する日本人は、当然ながら私ひとりだけではなかった。ボランティアスタッフに採用されるのは非常に狭き門で、私は突破することができなかった。
次の手を模索する私に救いの手を差し伸べてくれたのは、当時アルバイトしていたバーの店長だ。
来日した彼らがくつろげる場所として、滞在するホテルの目の前の海に船が横付けされること。その船の中で働く人間は、披露宴の配膳などを担当するスタッフから選ばれるらしいということを教えてくれた。
大学1年生の3月。私は映画祭が開催される6月までの腹積もりで、配膳のアルバイトを始めた。
 
5月の頭に始末書ものの失敗をした私が、1ヶ月後に「船に乗る」という希望を叶えることができるのか。
スタッフはベテランも数多く在籍していた。望みは薄いと認めざるを得なかった。
フランス語が飛び交い、頬にキスするあいさつの音が響き、ワイン片手に語り合う紳士淑女たち。
パリのカフェやビストロに瞬間移動したかのような船内に身を置くことだけを目指して、私は重い皿を運び続けた。
映画祭開幕が翌日に迫った、6月12日。A氏からのメッセージが留守番電話に入っていた。
「15日の土曜日だけ、船に乗っていいぞ」
やった! ワンルームの狭いアパートでひとり叫んだ。
留守番電話にはもうひとつ、メッセージが残されていた。母からだ。再生ボタンを押す。
「20回目のお誕生日おめでとう。たまには電話よこしなさいよ」
大学の授業とバイトで忙しく、自分の誕生日のことなど完全に忘れていた。
実家の電話番号を押しながら、ふと思う。
A氏は履歴書に書かれた私の誕生日を覚えていたのだろうか。
 
乗り込んだ船の中は、まさに「フランス」だった。
私が頭の中で思い描いていたよりも、ずっと華やかで、ずっと騒がしく、ずっと大人だった。
映画の画面でしかみたことがない俳優のくつろいだ顔。同じ女という生きものだとは思えないくらい、美しい女優のおどけた顔。乾杯し合い、笑い合い、語り合う彼らの姿はとてもリラックスして見えた。とても異国の地にいる人々だとは思えなかった。
どこにいても自然体でいることができる。それがフランス人というものなのだろうか。
彼らと同じように、楽に息をすることができる場所が、私にもあるのだろうか。
大学という場所で自然に振る舞うことができず、20歳の誕生日を祝ってくれる友だちもいない私の目に映るフランスは、輝いていた。
自分の持てるフランス語の能力を総動員しても、彼らが話している内容はほとんど理解できなかった。それでも、表情に現れる豊かな感情を読み取ることができた。彼らがこころから楽しんでいることが感じられた。
 
担当時間が終わり、私は下船した。従業員控室に顔を出す。A氏がいた。
「グラス落としたりしなかったか?」
「はい、大丈夫でした。希望を聞き入れてくださり、ありがとうございました」
私は、頭を下げた。
「始末書まで書いて食らいついた仕事は、どうだった?」
「楽しかったです」

 

 

 

船の中で働いた5時間は、確かに私にとって「楽しい仕事」だった。
だけどそれは、「フランス」を身近で体験することができたからではない。
自分で欲した仕事を、手に入れることができたからだ。
アルバイトは高校生時代から始めていた。ラーメン屋、コンビニ、スーパーの試食販売など、いくつかの仕事を渡り歩いた。
全ては、金のため。
高校と大学を奨学金の力を借りて入学した私には、本を買ったり映画を観たり、自分のために使う金は、自分で稼ぐしかなかった。
内容より、時給の高さと融通の良さを重視した仕事選びをしてきた私が、初めて条件を度外視してやりたいと望んだのが、「フランス」に触れる仕事だったのだ。
 
私が「楽しい仕事」を手にすることができたのは、私ひとりの力ではなかった。
映画祭のために来日するフランス人たちの滞在先情報を教えてくれた、アルバイト先のバーの店長。
披露宴の配膳の仕事を始めて、お店に出勤できる日が減った私を雇い続けてくれた。船に乗ることを報告した日には、餞別だと言って、カクテルを1杯ご馳走してくれた。
披露宴の進行を妨げるという、始末書ものの失敗をおかした私を、映画祭の関係者しか立ち入ることができない船に送り込んでくれたA氏。いつもさりげなく、スタッフの動きに目を配り、声をかけ、仕事を任せてくれた。孤独で貧乏な学生の誕生日に合わせて、朗報を届けてくれた。
 
店長やA氏と同じ年代となった今、私は思う。
若者には「楽しい仕事」が必要だ。
生きるために必要な金を稼ぐためだけの仕事ではなく、自分がこころの底からやってみたいと思える仕事が。ひとによってそれは、すぐには見つからないかもしれない。見つけたとしても、簡単に手に入れることができないかもしれない。
そんなときは、我われおとなの出番だ。若者の背をそっと押し、手をちょっとだけひく。
それだけできっと、若者は自分の力で方向を定め、加速して進んでいくことができるのではないだろうか。
「楽しい仕事」を体験することは、あらたな人生のステップを踏む手助けをしてくれる。前に進む勇気をくれる。
 
「楽しい仕事」を必要としているのは、若者だけではないのかもしれない。
転職を経験する人が増え、新型コロナウイルス感染症がもたらした「新しい生活様式」へのシフトチェンジを迫られている現在、おとなにもまた、次のステップを踏むときがくる。前に進み続けることが求められる。
令和の時代に生きる我われは年齢に関係なく、等しくみな「楽しい仕事」を必要としているのではないだろうか。
 
フランス映画祭が終わってからも、私はバーのアルバイトも、披露宴の配膳の仕事も続けた。
他にも、時給の高い仕事をみつけては金を稼いだ。
全ては、夢のため。
自分の目で、本物のフランスを見てみたい。匂いをかいでみたい。空気を感じてみたい。
自分の狭い部屋でもなく、息苦しい大学の教室でもなく、生まれ育った日本でもなく、全く別の世界で、思いきり深呼吸してみたい。息が吸えるのか試してみたい。
成人したばかりの私は、間違いなく若者だった。
 
21歳の夏。
1年間がむしゃらに働いて稼いだお金をポケットにつめ込み、私はフランスへ飛んだ。
私を彼の地へ送り届けてくれたのは、翼を広げた飛行機じゃない。
きっと、船だ。
楽しい仕事をした、あの船だ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
井村ゆう子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

転勤族の夫と共に、全国を渡り歩くこと、13年目。現在2回目の大阪生活満喫中。
育児と両立できる仕事を模索する中で、天狼院書店のライティングゼミを受講。
「書くこと」で人生を変えたいと、ライターズ俱楽部に挑戦中。
天狼院メディアグランプリ30th season総合優勝。
趣味は、未練たっぷりの短歌を詠むことと、甘さたっぷりのお菓子を作ること。

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2020-06-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol.84

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