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週刊READING LIFE vol.85

だから私は、今日もゆっくりと本を読む ~速読なんてまっぴらだ~《週刊READING LIFE Vol.85 ちょっと変わった読書の作法》


記事:吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
小学四年の先生は、毎日「書写を五分する」という宿題を出した。
 
生徒に書写専用のノートを持たせ、一日五分、国語の教科書の本文を写させる。同じように、毎日作文を書く、という宿題もあった。生徒たちは学校のある日は毎日、書写と作文を書かなくてはいけない。作文はだいたいどの生徒も日記と化し、私も誰それと遊んだ、なんのテレビを見た、夕飯のおかずはこれだった、というようなことを書いていたと思う。書写の方は、制限時間内にできるだけ急いで書いて提出していた。国語の授業では、読んだ本の冊数や書いた作文の枚数が多ければ多いほど称賛される。だから書写も、時間内にたくさん書けた方がいいだろう。そんな風に考えて、子供らしいと言えば聞こえがいいが、親が心配するほどの悪筆そのままに、毎日たくさん書き写しては、誇らしげに提出していた。
 
書写の宿題が始まってどれくらい経っただろうか。確か六月の中頃だったような気がする。仲の良い友達のMちゃんが、ねえ、書写の宿題なんだけど、と尋ねてきた。
 
「もうすぐ、ここが終わるんだけど、次はどこを書いたらいいの?」
 
Mちゃんが示していたのは、国語の教科書の最初に掲載されている物語だった。
 
「えっ、Mちゃん、まだここなの?」
「うん」
 
私は次の言葉が続かずに息を呑む。最初の動物園のライオンのお話は、私はもうとっくの昔に写し終えて、その二つ先の随筆を写しているところだったからだ。書写の課題が始まってずいぶん経つというのに、まだ最初のライオンを写している人がいるなんて。私はどこそこを写したよ。こういう注釈とか著者とか漢字一覧は写してない。私の回答に、Mちゃんはそうなんだ、ありがとう、と微笑んだ。六月にもなって、まだ最初の一つ目しか書写が終わっていないMちゃん。国語はたくさん書くのがいい事なんじゃないのか。それにしてはMちゃん、遅れて焦ったり困ったりしてる様子もなく、余裕綽々に笑っているように見える。
 
「……ねえ、Mちゃん、書写のノート見せてくれる?」
 
好奇心に負けた私が尋ねると、Mちゃんは快くノートを貸してくれた。
 
「…………なにこれ!」
 
ノートを開いて現れたのは、教科書のフォントをそのままコピーしたのかと思うような、美麗な文字の集合だった。教科書のフォントは楷書体に近いので、毛筆の「タメ」に当たるようなふくらみがあるが、そのふくらみすらも書き順の中で忠実に再現されていた。もともとMちゃんは字が綺麗な方だったが、子供同士の手紙交換で見る字は、こんな字じゃない。教科書の字をまねようと、丁寧に丁寧に書写をし続けた軌跡が、ノートの上に積み重なっていた。私の性格と普段の私の字を知っているMちゃんは、私の書写はMちゃんと真逆だと悟ったのだろう、唖然とする私に、丁寧に書いただけだよ、と微笑んだ。国語は書いた文字数が多い、読んだ冊数が多いことが美徳なはずだった。そういうのは全然追究しないで、綺麗な字を書くなんて、勿体ない、信じられない。Mちゃん、ちょっと変わってるな……。そんな感想を持ちつつ、私の書写も、数日のところはやや丁寧に書かれることとなった。

 

 

 

Mちゃんの書写のことなどすっかり忘れていたのだが、ずいぶん時を経て思い出す機会があった。就職して何年かして、自分のキャリアに疑問を持ち始めた頃だ。知識不足がいけないのかと、自己啓発系からビジネス系まで、とにかくたくさん本を買いまくった時期があった。学校と授業がなくなった今、何かを学ぼうとしたら、まずは本を読むのが一番手っ取り早い。会社帰りに本屋によって、ざっと棚を回って、興味を持った本を買って帰る。そんなことを繰り返しているうちに、一人暮らしの私の家の一角には立派な本の山が出来た。読むつもりの本を積んでおいた本の山、いわゆる積読というやつだ。
 
学生時代は一日一冊ペースでライトノベルその他を読んでいたので、自己啓発本などぺろりと読めるかと思っていたのだが、なかなかそうはいかなかった。仕事で疲れているせいなのか、それとも加齢で集中力が鈍ったせいなのか、連続で読めるのはせいぜい十ページくらいだ。嫌気がさして携帯電話かテレビのリモコンに手を伸ばしてしまうか、読みながら寝落ちてしまうかのどちらかだ。行き帰りの電車で読もうと鞄に忍ばせるも、乗り物の中で長い時間活字を見ると酔う体質なので、それでも数ページ。でも、帰りの本屋さんには、まだまだ魅力的な本がたくさん溢れている。かくして、私が読むペースよりも、積読が積まれていくペースの方が早くなってしまい、積読2、積読3が建立される始末だった。
 
「…………」
 
これどうにかしないとヤバい。本買うのだってタダじゃない。これだけお金かけて買って、積読増やして、部屋狭くして。今を変えたくて買った本なのに、まだ何一ついいことが起きてないじゃないか。いやむしろ悪化させている。とにかくこの本を読まないといけない。じっくり読んでたらきりがないから、この前ネット広告で見つけた速読とかいうやつを試してみようかな……。お金かかるの嫌だから、エッセンスだけネットに落ちてないかな。
 
私は携帯電話で速読に関する情報を調べて、だいたいの概要を把握し、講座には申し込まないでも大丈夫そうだなと判断した。よくテレビで取り上げられるような速読は、本のページを一秒に一ページ程度の速さで次々とめくり、ほんの数分で本を読み終えるというものだ。脳が視覚から写真をスキャンするように本のページを取り込んでいるので、一文字一行ずつ読むのではあり得ない速さで内容を理解することができるというものだった。脳科学系バラエティ番組でも取り上げられることが多い。理想はこれだ。これなら、この積読も一週間もあれば片づくだろう。この速読方法を身に着けるには、頭の中で文章を音読しないこと、文字を塊として認識し、視線を上下に動かさないようにすることなど、もっともらしいことがネット上に書かれていた。
 
手始めに、タスク管理系の本を手に取って、速読に挑戦してみた。視線を動かさず、視界に入ってきた言葉をつなぎ合わせて文意を読み取る。それらが積み重なると、一文字ずつじっくり読むのと変わらない理解が得られる。視野が広くなると、老化防止や運動能力向上なんて副次効果もあるという……。速読のやり方を意識しながらページをめくりつづけ、最後のページをめくり終わったところで、一気に疲労が来た。
 
「よ、読めたのかな……?」
 
時間にして二十分ほどだっただろうか。肝心の中身を思い出そうと試みる。いくつか気になるキーワードはあったが、本のタイトルになっているタスク管理メソッドがなんだったのかと聞かれると、何も説明できない自分に気が付く。速読っぽくやったけど、全然できてないじゃないか。まあ、最初の一回だから仕方ないのかな。他の本でもやってみよう……。
 
私の速読修業は二ヶ月ほど続いた。二ヶ月ずっと毎日修行していたわけではなく、数日に一回、本をめくり続ける作業をする程度の物だった。そもそも気が散りやすいので、本を全部めくり終えるまでに飽きてしまこともしばしばあった。速読習得には毎日実施することが推奨されるので、そんな中途半端なやり方で身に付くはずもなかった。内容はよく分からないまま、とにかくめくり終えた、読んだ気にはなれない本が増えていき、新しい本の山を建立されただけだった。
 
「…………」
 
速読、全然身に付かない。これ、本屋で目次をパラ読みする方がよっぽど有意義なんじゃないのか。文章を画像で捉えて、漢字で意味を再構成するっていうけど、ない、ある、とか、平仮名のところで意味が真逆になるような表現だってある。脳はそういうところまで理解できているのだろうか? 世の中の人は、みんなこんな風に流し読みしているから、たくさん本が読めて、賢くて仕事が出来るのだろうか。誰かが一所懸命書いた文章をこんな風に読むなんて、なんだか気が引けるな。本になって書店に並んでいる本は、編集さんがいて、本文の細かな表現にこだわって、装丁や紙質にもこだわって、やっと出来上がったもののはずなのに。たくさん読むために、本に込められた想いをないがしろにしていいのだろうか。
 
丁寧に書いただけだよ。
 
その時ふいに、Mちゃんの言葉が脳裏に閃いた。
 
学年が上がってクラス替えして、それきりなんの交流もなくなってしまったMちゃん。さすがにもう就職してるだろう、何の仕事をしているんだろう。Mちゃんも本を読むとき、私と同じように無造作にたくさん読むだろうか? いいや、Mちゃんはきっと、一文字一文字を丁寧に愛おしむように読み進めていくに違いない。読む速さがどんなに遅くても、Mちゃんはブレずに、自分のペースで読んでいくだろう。Mちゃんの印刷したように美麗な書写のノートを思い出し、そんな風に考えた。
 
「…………」
 
国語の授業では、たくさん読む事に意味があると思っていた。あの頃は時間がたくさんあったし、体力も集中力も今とは比べ物にならなかったから、たくさん読むことが苦ではなかった。でも今は、仕事をして心身ともに疲れた状態で、更に本を読もうとしている。この状態で、たくさん読んでも意味があるのだろうか? 私の書写のノートは汚い子供らしい字ばかりだった。そのせいか今でも字はあまり綺麗ではない。Mちゃんはきっと惚れ惚れするような字を書くだろう。なんなら会社名義の祝儀袋の宛名書きを頼まれたりするだろう。
 
今の私に必要なのは、速読を身に付けるよりも、一冊をしっかり丁寧に読み込んで、自分のものにすることではないだろうか。
Mちゃんの書写ノートが、息を呑むほど美しかったように。
 
私は試しに、速読ではなく普通に本を読んでみることにした。積読からプレゼン術に関する本を選んで読み始めた。目次にしっかり目を通し、文章を一つ一つかみ砕くように読みながら、書かれたことを脳内で図にして整理してみる。図が覚えきれなくなって来たらちょっとメモを取る。疲れて集中が途切れた時も、同じようにメモを取って潔く休んだ。仕事の終わり、行き帰りの電車、昼休み。読むのに一週間ほどかかっただろうか。最後のページを読み終え、奥付のページが目に入って来た時、私は妙な安堵感に包まれた。
 
なんだ、私、ちゃんと本読めた。
 
確かに時間はかかった。細切れ読書なので途中で忘れてしまい、遡って読むような時もあった。だが、速読の練習をしていた時と比べて、本に関する学びの記憶が豊かに私の中に降り積もっていた。このテクニックはきっと私の仕事にも役に立つ。今度のミーティングの資料を作る時に早速やってみよう……。
 
そう、本を読み終えた後というのは、こういう余韻に浸るものだ。ずいぶん長い間、そんなことも忘れていた。そんなことを思いながら、私は読み終えた本を、新しく既読タワーを作るべく、積み上げスペースを作ったのだった。

 

 

 

あれ以来、私はずっと本は舐めるように読んでいる。ビジネス書なら、読みながら自分のケースに当てはめてあれこれ考えながら読む。小説なら、情景やキャラクターの表情を想像しながら読む。仕事や育児の合間にそうやって読むと、一冊読むのにとても時間がかかるようになってしまった。一方、世の中には気になる本がどんどん刊行され続けていて、つい買ってしまう本は後を絶たない。正直に言えば、速読の練習をしていた頃の本で、まだ読んでいない本もたくさんある。処分したい気持ちと、いつかは読みたいという気持ちが揺れ動きつつ、相変わらず積読が家の書棚と床の一部を占有している。
 
世間では相変わらず、たくさん本を読めることが素晴らしいと考える風潮があるようだ。それは小学生の私が持っていた価値観と大差ないだろう。だが、ただいたずらにたくさん本を読んでも意味がない。書かれた内容が自分の骨肉とならなければ、単にページをめくるという作業をしているだけなのだ。たくさん本を読んで、なおかつそれを楽しみ、自分の糧にすることが出来るのは、本を読む集中力と体力という才能に恵まれた人たちなのだ。本を読む才能に恵まれていないからと言って、焦って読書しなくてもいい。自分のペースで、自分にとって最も得るものが多くなるやりかたで、じっくりと取り組めばいいのだ。
 
だから私は、今日もゆっくりと本を読む。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部公認ライター)

1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。天狼院書店にて小説「株式会社ドッペルゲンガー」を連載。
http://tenro-in.com/category/doppelganger-company

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2020-06-29 | Posted in 週刊READING LIFE vol.85

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