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週刊READING LIFE vol.88

卑怯者の誓い《週刊READING LIFE Vol,88「光と闇」》


記事:井村ゆうこ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
突然眠りから覚め、目を開ける。真っ暗で何も見えない。
窓を打つ大きな雨音と激しい風音が、部屋を揺らしていた。
手を伸ばし、隣に寝ているはずの母の姿を探すが、みつからない。
お母さん、お姉ちゃんと、家族の名を呼ぶ。
雨と風の音にかき消され、小さな声は自分の耳にも届かなかった。
どうしよう。ひとりぼっちになっちゃった。
どうしよう。どうしよう。逃げなくちゃ。
怖くて涙が出た。心細くて声を上げて泣いた。光を求めて首をまわした。
それでも、誰も見つけられなかった。立ち上がることができなかった。
暗闇は、いつまでも消えてくれなかった。
 
私が初めて暗闇に怯えて泣いたのは6歳の夏、大型の台風が日本列島を縦断した夜のことだ。
「寝たら最後、いつも朝まで熟睡していたから、まさか目を覚ましていると思わなかった」
居間で懐中電灯の灯りを頼りに、姉と身を寄せ合っていたという母は、後にこう語った。
電力会社に勤務していた父は、停電に備えて職場に残っていたため、家にはいなかった。
「朝起きてきたあんたの顔見て、びっくりしたよ。まぶたがすごく腫れていたから」
「そりゃ、泣くでしょ。ひとりぼっちで真っ暗な部屋に取り残されたんだから」
どうやら私は泣き疲れて、もう一度眠りに落ちたらしい。
「隣の部屋にいても全然聞こえなかったんだよね、あんたの泣き声。あの日から半年くらい、電気を消した部屋で眠れなかったこと、覚えている?」
「わすれちゃった」
思い出話しをする度に、同じ質問を繰り返す母に、私も同じ返事をする。
私が覚えているのは、突然目の前にあらわれた暗闇の濃い黒と激しい雨と風の音、そして「逃げなくちゃ」と訴える、内なる声だけだ。

 

 

 

大変なことになったと、あわてた様子で母が連絡をしてきたのは、私が大学3年になった夏のことだ。
照明を全て落としても街の灯りが差し込む都会の狭いアパートで、私は受話器を耳にあてた。
「ちょっと落ち着いて。何言っているのかよくわからないよ、お母さん」
一方的にまくし立てる母をさえぎる。
「お姉ちゃんがね、今日病院に検査の結果を聞きに行ってきたんだけど……」
「病院? 検査っていったい何の検査だったの」
「乳がんの検査」
乳がん。母の口から飛び出した思いがけない単語を、気づくと私は繰り返していた。
25歳の姉と「がん」がどうしても結びつかない。
「陽性だって」
母が声を絞り出した。
陽性。それが、がんの告知宣告であると理解するまで、いったいどれくらい時間を要しただろうか。
「どうしよう。ねえ、どうしよう」
懸命に涙をこらえている母の声が、受話器越しに伝わってくる。
私が中学生のときに父が死んでから、姉と私をひとりで育ててくれた、たくましい母の姿はどこにもなかった。
どうしようって、そんなこと私にだってわからない。わかるわけない。
酸素をどんなに吸い込んでも、母に届く声を吐き出すことはできなかった。
「とにかく、一度帰ってきて」
私の返事を待たず、電話は切れた。
 
数日後、実家に帰った私を迎えた母は、落ち着きを取り戻していた。
「幸い、シコリはまだ小さいし、わきの下のリンパ節には転移していないって。手術すればきっと元気になるよ」
「元気、ないの?」
質問が口をついて出た。
「元気なふりしている。今日も仕事してるみたい」
姉は実家から車で2時間余りの距離にあるホテルで働いていた。勤務先の近くにある寮で暮らしている。
「いつ手術するか、もう決まっているの?」
「まだ。まだ、どっちの手術にするか、決心がつかないんだよ、私もお姉ちゃんも」
「どっちって、どういうこと?」
「乳房を全部切除するか、部分的に切除して、できるだけ温存するかってこと」
母が、私の目の前に、細かい字の並んだコピー用紙を広げた。
「これ、乳房温存手術をしている病院のリスト。この辺りの病院ではやってないけど……ここ見て」
母の指が、リストの真ん中あたりで止まる。
そこには、私が一人暮らしをしている街に隣接する市の名が記されていた。
「インターネットで調べたら、この病院のA先生が、温存手術では実績のある先生だってわかった」
母の顔を見る。目の下に青黒いクマができていた。きっと毎晩のようにパソコンの画面をにらんでいたに違いない。
「この病院だったら、手術後の放射線治療にあんたのアパートから通うことができるでしょ」
「そうだね。電車で40分くらいかな。これだけ調べてあるってことは、できれば温存手術を選びたいってこと?」
「もし病気になったのがお母さんだったら、迷うことなく全摘を選ぶだろうけど、あの子はまだ25歳と若いから。残してあげたい、乳房を」
私は自分の乳房に両手をあてた。片方だけなくなってしまうなんて、想像できなかった。
「お姉ちゃんは、何て言っているの?」
「迷っているみたい。もし温存手術を選んでがんを取り残したらどうしようって」
姉の、母によく似た横顔を思い浮かべた。
まだ四半世紀しか生きていない、結婚も出産もこれからという女に突き付けるには、あまりにも酷な選択ではないか。私は、姉の体に巣くった見えない敵を憎んだ。
 
結局、姉は乳房を残すことを選んだ。
手術は成功した。術後、姉は私のアパートから病院に通い、放射線治療を受けた。
姉とふたりだけの生活は、はじめてだった。元々どちらもおしゃべりではなく、ひとりで過ごすことを最優先にしてきた姉妹だったので、静かな時間が流れていった。
治療の副作用に苦しめられ、体を丸めて痛みに耐えているときも、枕にごっそりと抜け落ちた髪の毛を拾い集めるときも、姉は静かだった。
私は姉にかけることばを見つけられず、やはり沈黙するしかなかった。
 
放射線治療を乗り切った姉は、私といっしょに選んだウィッグをつけて実家に戻った。
母の元で体力を回復し、職場に復帰した。

 

 

 

大変なことになったと、母から再び連絡がきたのは、手術から約1年後のことだった。
私は大学を卒業し、実家から遠く離れた地で働いていた。
「リンパに転移しているって」
再発のリスクがゼロではないと、理解はしていた。それでも、姉は大丈夫だと無条件に信じている自分がいた。
姉は善良な人間だった。父亡きあと、道を逸れそうになった愚かな妹を引き戻し、母を支えてきたのは間違いなく姉なのだ。
そんな人間をこれ以上苦しめるなんてことはない。私はそう信じていた。
それなのに。それなのに、運命はどこまでも姉に対して過酷だった。
 
地元の病院で乳房を全て切除し、がんに侵されたリンパ節も取り除いた。
新しいウィッグを買い直し、姉はもう一度職場に戻った。
母は、体にいいとされるサプリメントやら食材やら器具やらを、大量に買い込んだ。
私は、もう二度と戻ってきてくれるなと、見えない敵に懇願した。
ところが敵は、またしても戻ってきた。そして、二度と姿を消してくれなかった。
 
リンパから脳に移ったがん細胞によって、姉は視力も、仕事も失った。
支えてくれていた恋人に、これ以上迷惑をかけたくないと、自ら別れを告げた。
私は新卒で入った会社を辞め、地元に戻って再就職した。
がん細胞が全身に広がり、手の施しようがなくなった姉はホスピスに入り、母と私が交代で付き添った。
 
視力を失った姉が「見たい」と望んだ場所があった。父が滑落して死んだ山だ。
病院の許可をもらい母と姉と私の3人で、山が見えるペンションに一泊した。
宿の計らいで、3人だけで大浴場を使わせてもらった。
私が姉の体を支え、母が洗ってやった。姉も母も笑っていた。
それから数週間後、姉は28歳で息を引き取った。
 
「あのとき、温存手術じゃなくて全摘手術を受けさせていれば」
再発がみつかってからずっと、母は自分を責めていた。今でも責め続けている。
たとえ私が、お母さんのせいじゃないよ、お姉ちゃんもお母さんのせいだなんて思ってないよ、と言ったところで、母は過去を悔いることをやめないだろう。
 
病という見えない敵は、闇だ。
どれだけのぞき込んでも、輪郭がつかめない。
手探りでかたちを確かめ、消し去る方法を見つけ出していくしかない。
あきらめや絶望を餌に、闇はより深く、より濃くなって、ひとをからめとろうとする。
真っ暗な闇に対抗できるのは、光だけではないのだろうか。
光だけが、闇を焼き、消し去る力を持っている。
そして、光に力を与えてくれるのは、希望以外にはないと、私は思う。
母も姉も希望を持って、治療方法を選択した。
母も姉も光を見失わずに、闇と戦った。
 
「せっかく入った会社を辞めて、どうして地元に帰ってきたのですか?」
新卒で入社した会社を退職し、地元に戻って再び就職活動する私に、面接官は決まって同じ質問を投げてよこした。
「家族の看病のためです」
答える度に、喉の奥が鋭く痛んだ。
自分が、姉の看病のためだけに帰ってきたわけではないことを、私はよく知っていた。
私は逃げてきたのだ。就職氷河期と呼ばれる時代に、第一希望でもなく、第二希望でもなく、第三希望でもなかった会社に就職し、くさり、耐えきれず、逃げ出していたのだ。
 
6歳の夏の夜、激しい雨と風に揺れる部屋で、私は暗闇に怯えた。暗闇から逃げようとした。
社会人1年目の私は、「家族の看病をする」という言い訳を盾に、自分を取り巻く現実という暗闇から逃げ出した。
希望とういう光を手に、暴風雨のように次から次へと襲ってくる闇と、身を寄せ合って戦う母と姉の隣で、私はただ逃げていただけなのだ。
私だけがふたりと同じ闇を見ていなかった。
体は大きくなっても、私のこころは弱虫のまま、まったく成長していなかった。
 
母が、過去を悔いることばを発する度に、私はこころから思う。
闇と向き合い、戦った者だけが、悔いる権利を持っている。
闇に背を向け、逃げ出した者には、悔いる資格などない。
大切な家族が戦う闇を、自分を守るための言いわけにした私には、過去を悔いる権利も資格もありはしない。
 
もう二度と、光を手放さず、闇から逃げないと誓う。
私にできるのは、それだけだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
井村ゆう子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

転勤族の夫と共に、全国を渡り歩くこと、13年目。現在2回目の大阪生活満喫中。
育児と両立できる仕事を模索する中で、天狼院書店のライティングゼミを受講。
「書くこと」で人生を変えたいと、ライターズ俱楽部に挑戦中。
天狼院メディアグランプリ30th season総合優勝。
趣味は、未練たっぷりの短歌を詠むことと、甘さたっぷりのお菓子を作ること。

この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いてます。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2020-07-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.88

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