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週刊READING LIFE vol.131

書くことに欠かせない心を読む技術《週刊READING LIFE vol.131「WRITING HOLIC!〜私が書くのをやめられない理由〜」》

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2021/06/07/公開
記事:Risa(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「これは必要ないですね」
 
そう言って職場の先輩が、私の書いたコメントを消していく。ぜひとも書くべきだと思って書いたものだから、消されるのはショックだ。
 
私は今年の3月から校正の仕事をしている。始める前は、きっといい仕事ができると思っていた。でも先輩は私の仕事ぶりを認めてくれない。どうやら、これまでの認識を改めないといけないようだ。
 
校正とはざっくり言うと、出版前の原稿を出版できる状態にする仕上げの作業である。誤字脱字や表現の誤り、助詞の間違い、漢字の変換ミスなどを著者や編集者に代わって修正していく。「本の読む」を「本を読む」に直したり、「返答腺が貼れた」を「扁桃腺が張れた」に直したりする。それだけでなく、内容の食い違う箇所があれば、著者に一考を促すようにコメントを書き込んでいく。
 
原稿は本と同じ体裁で見開き2ページごとに1枚の紙に印刷されていて、これはゲラと呼ばれる。修正箇所の提案はこのゲラの前後左右にある余白に書くことになる。
 
私は自分の文章を磨くのが好きだった。一度書いたものを少し時間が経ってから見直して、表現を変えていく。こうしたらもっと素敵になるかな、もっと読みやすくなるかな、なんてあれこれ文章をいじるのは楽しい時間だ。自分の文章なら直し放題で、いくら直しても何ともない。
 
でも、仕事では直し放題ではなかった。より良い文章になるような提案ができたらいいなと思っていたけど、甘い考えだったようだ。
 
そもそも校正は未経験だった。採用されたのは嬉しかったけど、ゼロからのスタートだったので、試用期間の間に仕事ができるところを見せようと意気込み、いろいろ書いた。この文章はここを変えたらもっとわかりやすくなる。それをいちいち書き込んでいくことが著者のためだ、なんておこがましくも信じていた。でも、実のところ、そんな「気遣い」は不要だった。だって、あくまでも原稿は著者のものだから。
 
教育係の先輩は、そんな私に怒るでもなく、ただ私のコメントを消していった。書く必要がない理由を告げながら。たいていは、「ここはこのままでも十分意味が通じるから」というのが理由だった。
 
ここまで書くのは「越権行為」と言われたこともある。「この表現で大丈夫ですか?」と再考を促すのはよくても、修正案を示すのまではやってはいけなかったようだ。べつの表現を提案する際にも、「〇〇という表現に変えるという手もありますが、このままにしますか」というニュアンスを出すことがある。「〇〇orママ」と書くのだけど、こんな書き方を一つずつ教えてもらっていった。ちなみに「ママ」とは、原稿通りという意味だ。
 
内容も大事なら、書き方も大切だ。先輩は「自分も字はきれいではありませんが」と言いながら、私の書き込みを消して、2Bの鉛筆で濃く大きい字で丁寧に書き直していく。2Bの鉛筆で大きく丁寧に書くなんて、小学校に入学した時のようではないか。あの時、緊張した面持ちで平仮名を大きい字でひとつずつ紙になぞっていった。あの時に習ったのは、字を誰かに向けて書く時の礼儀だったのだろうか。それが今になって活きてくるとは、生き続けるっておもしろいものだ。
 
こうやって先輩の指導を受けながら、こういう感じで書いていけばいいのかと学んでいった。
 
私の会社では、1冊あたりだいたい2,3日かけて読んでいる。それを別の人がチェックして著者に戻していい状態になっているかを確認する。見当違いなコメントをしていないか、コメント自体に誤字脱字がないかを確認しながら、他に追記することがないかも見ていく。私の教育係の先輩は超優秀なので、ほんの2,3時間でチェックしてしまう。それから、別室に移って一対一でフィードバックを受ける。
 
働き始めて一か月半くらいした頃だろうか、次第に消される箇所が減ってきた。それまでは私が良かれと思って書いたものはかなりの頻度で消されていたのだが、残されるものの数が増えたのだ。それはつまり、自分のコメントが著者の元に届くことを意味する。ただ、先輩は私のコメントを残しつつも、語尾や表現を変えるといった微調整はよくしていたのだけど。
 
例えば、「8月」となっている箇所について、「主人公が〇〇をしたのは6月ですがOKですか?」と私が書いたとすると、先輩は「主人公が〇〇をしたのは6月のようですがOKですか?」と変えていた。「6月です」を「6月のようです」に変えるというほんの些細なことだけど、この修正は著者に与える印象を変えるせいか、重要らしい。断定を避けることで、婉曲にするというか曖昧にするというか、読んだ側の判断で決めつけることを遠慮するというのだろうか。先輩ははっきり言わなかったけど、そんなところかと私は思っている。
 
コメントの最後に「念のため」とつけることもよくある。「あなたが書いたことが間違っていると言いたいわけではありません。でも、もしかしたら何らかの勘違いがあってこう書かれたのではないかと思います。その場合はお知らせした方がいいと思ってこういう書き込みをしますね」というニュアンスだろうか。

 

 

 

ある日の朝、私はとてもわくわくしていた。
 
予定では、その日いくつか仕事を片付けたあと、私が少し前に1度目の校正である初校(しょこう)を担当した原稿を再度見ることになっていた。2度目の校正である再校(さいこう)にあたってゲラが戻ってきていたのだ。著者の修正指示が新たなゲラに反映されているかを確認したら、再校が始まる。私は再校前の確認作業をやることになっていたので、前に自分が書き込んだことに対して、著者がどう反応したのかを見ることができ、楽しみで仕方がなかった。
 
他の仕事をささっと、でも丁寧に片付けて、さっそくとりかかった。嬉しいことに、私が先輩からの教えを受けて書き込んだことは結構な頻度で反映されていた。著者が私のコメントを読んで、修正が必要だと判断して、表現を変えたということだ。そういう場合、著者は赤ペンで修正事項を書き込んでいく。
 
その原稿はミステリー調の小説で、最後になってはじめて謎がとけるというものだった。本全体に謎がちりばめられていてヒントのようなものもあるけど、それらの情報が適切なのかは、最後まで読んで真相を知ってはじめてわかる。筋を追うのも、つじつまの合わない情報を見つけるのも張り切って取り組んだので、その結果がゲラに現れるのは感激だった。私が書き込んだことが、出版される本に影響するのだから、「人生で最高の一日」なんて思いながらゲラをめくっていた。
 
著者がどうして私の書き込みを受け入れてくれたかというと、それはやっぱり書き方の問題ではないかと思う。
 
例えばこんなことを書いた。
 
「p.18では〇〇と書かれていますが、本ページでは□□となっています。△△ということでOKでしょうか?」
 
明らかに〇〇と□□が食い違うと思っても、もしかしたら何らかの意図や書かれていない事情があるのかもと想像する。まさかとは思うけど、「△△という理由があるのですか」というお伺いを立てるのだ。おそらく著者がそう考えてはいなかったのだろうと思いながらも。もしかしたら万が一の可能性もあるし。
 
こちらが気遣って遠慮がちに書けば、著者は書き込みを受け止めやすくなるのだろう。ベテラン作家は校正というものに慣れていて、いろいろ書き込まれるのには何度も経験しているだろうけど、やはり自分が書いたものへのプライドがあるだろうから、書き込みには慎重であってほしいだろう。
 
特に、校正は文字だけのやりとりだ。顔も知らない見ず知らずの作家と校正者が文字を通してやりとりし、原稿の改善を図っていく。対面だと状況に応じて何度も言葉を尽くして伝えることもできるだろうが、文字だとたった一度のやりとりで校正者はこちらの意図を伝えないといけない。許されるのは1ラリーの文通だけなのだ。
 
だからこそなおさら、きちんとこちらの考えを文字で伝えないといけないし、伝わるように書かないといけない。相手も気持ちも考えて。
 
まだ校正を仕事にして3ヵ月も経っていないけど、書く上で大事なのは、書く前にまず読むことなのではと感じている。読むとは、文章を読むことももちろんだけど、相手の心を読むことも含む。どういう表現をしたら伝わるか、受け止めて反応しやすいか、建設的なやりとりになるか、越権ととられないかなどを読むのだ。その上で、言葉に気を遣いながら書いていく。書くとは、読み手の心理をつかんで良好なコミュニケーションをしようと試みることなのだ。
 
一見心理戦のようで難しくも感じるけど、書くのにはいくらでも時間をかけられるという利点がある。何度消してもいいし、書き直してもいい。校正では、鉛筆やフリクションで書きこんだものを消しては書き直し、その上で先輩が直して、というのがいつものパターンだ。
 
そして、一度文字になったものは、読む側もいくらでも時間をかけて読むことができる。校正の場合でも。先に書いたように、私の書き込みに対して著者はきちんと答えてくれたけど、実はこんなふうに書かれていた。
 
「p.18では〇〇と書かれていますが、本ページでは□□となっています。△△ということでOKでしょうか?」に対して、赤字で「OKです」と著者の字があった。でも、実は「OKです」は上から赤の横線が引かれていて、その横に「〇〇」に変更との指示があったのだ。
 
きっと、著者ははじめこのままで大丈夫と思ったけど、あとで考え直してやはり変えたほうがいいと判断したのだろう。書く方が時間をかけて吟味して書いたのなら、読む側も時間をかけて考えたのだ。文字はそんな時間差でのやりとりを可能にしてくれる。
 
私の職場の社長によると、はじめの1年は見習い期間らしい。入社してからまだ3ヵ月も経っていない私は、きっと初心者でも十分こなせる原稿を担当させてもらっているのだろう。これからはどんな原稿、著者との出会いがあるのだろうか。その過程で私はどんな書き方をすることで、考えを著者に伝えていくのだろうか。
 
校正者がゲラに書く分量は決して多くはないけど、暗黙のコミュニケーションをしながら大事なことを伝えていくのだから案外書く力がつくのだろうと期待している。言葉は伝われば伝わるほど面白い。それが誰かの心を動かし、何かが変わるのならなおさら面白い。
 
どんな言葉で書いていくのか、どう書けば著者の心が動くのか、この会社で校正をしながら学んでいきたいと思っている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
Risa(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

兵庫県で生まれ育ち、今は東京で校正者として働いている。

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2021-06-07 | Posted in 週刊READING LIFE vol.131

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