週刊READING LIFE vol.131

記憶の本棚に、終わらない壮大な冒険物語を連載する《週刊READING LIFE vol.131「WRITING HOLIC!〜私が書くのをやめられない理由〜」》


2021/06/07/公開
記事:石川サチ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
小学校1年生のある夜だった。
隣の居間から、コソコソする話し声と笑い声で目が覚めた。
聞き耳を立てたら、すごくイヤな気持ちになった。
話し声の主は母で、笑い声は、父と祖母だった。
母が私の日記を声を出して読んでいたのだ。
 
私は直ぐに起きて、居間との境になっている襖を開けて泣いた。
「どうして、私の日記を勝手に読むの?」
さっきまで和んでいた空気が静まりかえった。
父がその場を取り繕うように母をたしなめた。
「子どもの日記を勝手に読むなんて、ダメだろう、辞めろ」
母は何事もなかったかのように席を立ち、私は祖母に促されて布団に入った。
しばらく母への怒りが消えなかった。
 
その日記帳は、母が買ってくれたものだった。
A5サイズで、表紙は厚手でピンク色をしていてビニールのカバーがかかっていた。中身の紙も上質で、1日1ページ書き込んでいく、まるで一冊の本のようだった。
学校のノートを買うために文房具店に連れて行ってもらい、ノートのすぐ横に置かれていたその日記帳を見つけた。「これ買って」ねだる私に母は、その日記帳を手に取り、値段を見て驚いていた。「これ一冊買うのに、ノート十冊買えるよ、普通のノートでいいんじゃないの」と言った。
私は、「これじゃなきゃイヤだ」と駄々をこねた」
学校に持って行くような普通のノートでは納得がいかなかった。学校用のノートは素っ気なく、夢も希望もなさ過ぎた。
日記帳が欲しかった理由は、その日の数日前、友だちの家に遊びに行ったとき、友だちのお姉ちゃんの机の上に置かれたカギの付いた本を見たからだ。それは開けば音が出るオルゴールのように見えた。
 
「これ何?」と私が聞くと、友だちは「日記帳だよ」と教えてくれた。
「見てもいい?」とその日記帳に手を伸ばそうとしたら、友だちは慌てて遮った。
「ダメ、お姉ちゃんに怒られる」
私はもう少しで手が届きそうで、開けたらどんな音楽が流れるのかドキドキしていたから、がっかりした。
それから、友だちのお姉ちゃんの机の上にあったオルゴールのような日記帳のことが頭から離れなかった。
 
「これ欲しい、買って」と半分泣きべそをかいて訴える子どもに、周りの目を気にしたのだろうか、母は渋々買ってくれた。
当時の私は、やっとひらがなが書けるようになったレベルだったはずだ。ずいぶん背伸びをしたものだ、と思う。
私は帰りの車中でそのオルゴールのような日記帳を何度も開いては閉じてワクワクした。
 
心のオルゴールを手に入れたと思った。
 
その日から私は1日が終わるのが待ち遠しかった。始めは、その日あった出来事を書いていった。だんだん、日記に何を書こうかと思いを巡らせて1日を過ごすようになった。途中から、自分の気持ちで納得がいかずモヤモヤしたことを書くようになった。怒り、悔しさ、恨み、というような負の感情だった。次々に溢れてくる感情を言葉に落とし込んでいくうちに、気持ちがどんどん落ち着いていった。最後にその感情が消える言葉が見つかるとすっきりして、晴れ晴れとした気持ちになった。
 
日記を書くことは、私一人だけが出入りできる秘密基地で遊ぶようなものだった。
 
そんな子どもの秘密の遊びを、断りもなく私のいないところで勝手に開いて、声に出して家族の前で読み上げるなんて、母の神経を疑った。一生母を許さないと思った。
 
もう、日記なんて二度と書かないと誓った。
 
しかし、こんな調子で、あらゆることに無神経な母だったから、そんなことがあってからも私はずいぶん振り回されて傷つけられた。そのストレスのはけ口は、やはり書くことでしか解消されなかった。
 
だから、こっそり日記を再開した。日記帳は、母に絶対に見つからない場所に隠した。祖母の洋服ダンスの一番奥だ。ここなら母の手が伸びることはないし、母の目に触れることもなく、安全安心だった。
 
日記は、小学校5~6年生の頃まで続けた。新しい日記帳は、お年玉で買った。そして古い日記帳と一緒に祖母のタンスの奥に押し込んだ。
 
中学・高校に進むと日記なんて書いている暇なんてなかったし、面倒くさくなって辞めた。
 
再び日記を始めたのは、一人暮らしをするようになってからだ。片思いをしていた人と私と気の合う友だちだと思っていた子が付き合い始めたことを知って、ショックを受けた。頭との中と心の中が整理できず、ひたすら恨み辛みをノートに書き綴った。ひたすら数ヶ月、私はわら人形に釘を刺す勢いで、ぎっしりと怨念を吐き出した。そういった恨み辛みにも融点があるのか、ある瞬間から吐き出す言葉が無くなった。そうすると、心の中が落ち着き、頭も冷静になった。
 
その時、書くことはセラピーなんだと気づいた。
 
書くことで意識的にセラピー効果を活用するようになったのは、ある心理学の本を読んだことがきっかけだった。残念ながら、その本のタイトルは忘れてしまったが、似たような方法が数年前にヒットした前田裕二氏の「メモの魔力」という本に紹介されていた。
 
やり方はこうだ。
ノートを見開きで使う。左側に、起きた出来事だけを淡々と書く。右側には、その出来事をきっかけにして自分の内面に湧き上がった感情や思い、考えをつらつらと書いていく。
これを怒りや不安などの感情が動いたときに行う。
 
実際にやって驚いたのは、出来事は一瞬だったりたった一言だったりで、左側に書くのは数行で終わるのに、その出来事をきっかけに出てきた感情や思いは、たいてい右側1ページには収まらず、場合によっては数ページにも及ぶ。
 
事実よりも妄想の方が比重は大きいということだった。
 
事実はひとつなのに、解釈は100人いたら100通りある。私の感じ方や考え方の癖が右ページにくっきりと出るのだった。
 
気持ちが静まるまで数日かかることもあれば、数ヶ月かかることもあった。しかし、そうやって続けていくと、どんなに納得いかないことでもその納得いかない思いを書き続ければ、自分の中で必ず落としどころを見つけることができた。
 
自分の能力の低さに絶望した時、友だちに裏切られたと思った時、失恋した時、仕事で上手くいかなかった時、このやり方で乗り越えてきた。ノートが優秀なカウンセラーになっていた。
 
精神科医の高橋和巳氏は「精神科医が教える聴く技術」の中で、このようなことを書いていた。
 
「人は、言葉によって成長します」「実は、精神療法やカウンセリングは、この新しい言葉を見つけていく作業です」
 
頭と心を混乱させた出来事は、書くことで新しい言葉、つまり解釈が与えられると、頭と心が整理され、人として成長するのだろう。

 

 

 

母親に日記を勝手に声に出して読まれたことも、この方法で解決した。
 
母に対する怒りや恨みは、「母は、私のオルゴールを開けてみたかったんだ」と思ったし、
もし今度、日記を読まれるようなことがあったら、母の頭をガツンと殴り飛ばしてショックを与えるようなものを書いてやろう、母にショックを与えるために、私が意図した通りに伝わるように、文章を上達しようと思った。
 
母に日記を読まれたという出来事に、別の解釈を与えることで、感情が変わった。感情が変わると、過去の出来事と母に対する思いも変わった。そして「もっと文章を上達しよう」と決意したことで未来も変わった。
 
「過去と他人は変えられない」という格言があるが、書くことで、私は過去も他人も変えることができた。
 
そうやって、「書くことで人生をコントロールできる」ことにも気づいた。
 
書くことで心は時空を超えて自由自在になっていくのだった。
 
言葉と心は切っても切り離せなくて、完全にリンクしている。書くことは、心と言葉を一致させることだ。言葉という点をつなぎ合わせて、紡いでいくと物語ができるのかもしれない。
 
作家の村上春樹さんは、河合隼雄先生との対談を書いた「村上春樹 河合隼雄に会いに行く」という本の中で、小説家になった経緯をこのように書いていた。
 
「なぜ小説を書き始めたのかというと、ある種の自己治癒のステップだったと思うんです」そして小説を書く目的を「自分の中にどのようなメッセージがあるのかを探し出すために小説を書いているような気がします」と語っており、「物語を書いている過程でそのようなメッセージが暗闇の中からふっと浮かび上がってくる」。
 
村上春樹さんを例に出すのもおこがましいと思うが、世界的な大作家も、書くことで心を癒していたと知り、感激した。技術的な差はあれど、書くこと物語を作ること、そして生きることは繋がっていくのかもしれないと思った。
 
精神科医で臨床心理士の河合隼雄先生は作家の小川洋子さんとの対談本「人生は自分の物語をつくること」で、人生と物語について語られている。
 
その対談の中で小川洋子さんは、物語についてこのようなことを語っている。
 
「人は生きていくうえで、難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面したときに、それをありのままの形では到底受け入れられないので、自分の心の中に合うようにその人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を必ずやっていると思うんです」

 

 

 

人は、心の中で、そのままでは受け止められない現実を別の言葉で解釈して紡いでいくことで、自分の心に合う新しい物語を作り出しているのかもしれない。
 
私も、混沌とした心の中を必死になって言葉にして、一本一本ほどき、再構築して新しい物語を作り消化してきた。
 
つまり、私にとって書くことは、私という、世界にたった一人しかいない人間の物語を紡ぐ作業だと思っている。
何の取り柄も才能もない、冴えない女が、人生で困難に遇い乗り越えて行くヒーローズジャーニーだ。
失敗や情けない結果に終わっても、記憶を再構築して、壮大な物語を作っている。
 
書くことは、記憶の本棚に私の物語を並べることなんだと思う。
 
私という主人公が大活躍する壮大な長編物語を連載している。
 
気持ちが落ち込んだときに、その物語を手に取り読み返してみると、勇気が湧く、生きる力が蘇ってくる。
 
この物語を自分一人で楽しむのでは無く、他の人にも楽しんでもらいたいと思うから、もっと文章力をアップさせたい、という欲も出た。
 
書くことは、私という人生を生きることに他ならない。だから辞められない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
石川サチ子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

宮城県生まれ、宝塚市在住。
日本の郷土料理と日本の神代文字の研究をしている。

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2021-06-07 | Posted in 週刊READING LIFE vol.131

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