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週刊READING LIFE Vol,97

コーヒーミルに失恋して、本当の節約思考を学んだ話《週刊 READING LIFE vol,97「また、お前か!」》


記事:緒方愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
シュラシュラシュラ
 
「かわいいな」
 
シュラシュラシュラ
 
「欲しいな。あ~でもなぁ!」
 
数年前、商業施設内のある店の前で、私は立ちすくんでいた。
手に持っているのはコーヒーミル。今、私が立っている店のオリジナル商品だ。こちらの店は、コーヒー豆の量り売りを目玉にしている、食料品店。国内外のとっておきの食品等が、高い棚にずらりと並べられている。他のスーパーでも見かける定番のもの、驚くような奇抜なもの、思わず手に取りたくなるかわいいもの、さまざまな商品が売られている。
この店は、季節ごとに、さまざまなオリジナル、有名ブランドの数量限定のコラボ商品を出すことも人気を博している。SNSやTVで紹介されてしまえば、店頭に並んで、ものの数分で完売することも珍しくはないのだ。
私が手に持っているコーヒーミルもその一つ。某老舗コーヒーメーカーとコラボした季節限定の品だ。クラシックな形と色、ボディにはその店のロゴが刻印されている。私は、昔から珍しい物、アンティークな物が大好きだった。
つまり、私の心を鷲掴みしているのである。
 
シュラシュラシュラ
「すてきだなぁ」
私は、また、無意味にコーヒーミルのハンドルを回す。実になめらかな駆動音。きっと問題なくコーヒー豆を挽いてくれるだろう。
 
「いらっしゃいませー」
 
私のすぐ隣、この店のスタッフさんが、道行くお客さんにコーヒーの無料サービスをしている。ここのオリジナルブレンドは、香りがよく、爽やかなので飲み心地が良く、サラッと飲める。このサービスのコーヒーをもらうと、つい、お店の中を探検して、コーヒーと様々な商品を買ってしまうのだ。この誘惑からは誰も逃れられない。
ふと、サービスをしていたスタッフさんと目があってしまった。お互いに、にっこり笑って会釈し合う。
「それ、限定商品なんですよー」
「そうなんですね、とてもかわいいです」
私は知っている。スタッフさんのサービススマイルの裏に書かれている気持ちが。
 
また、こいつ来てるな。って、絶対思われている。
 
そう、私はこのコーヒーミルを見に、幾度となくこの店を訪れているのだ。この商品は、少し高値のせいか、店頭に長く残っていた。
気になるのならば、はやく買ってしまえばいいのだ。
だが、私は買えずに居た。
 
まずは、身体的原因だ。
私は、鉄欠乏性貧血なのだという。この体質の人は、カフェインを世の人より控えなければいけないのだ。私は、健康診断にも引っかかったことがあり、本当なら、カフェインが多く含まれるコーヒーや紅茶は飲まない方が良いのだ。
一日一杯節制して自宅で飲んだとしても、今度は別の問題が生じる。カフェのマスターに教えていただいた情報によると、コーヒーは生物だという。お店で、焙煎し、自宅に持って帰り、保存、取り出し、コーヒーを器具で抽出する。そのさまざまな工程の間、時間、日毎にどんどん豆が酸化し、フレッシュさ、香り、味が損なわれてしまうのだとそうだ。酸化した豆で淹れたコーヒーは、もちろん風味が損なわれ、胃に悪い。私は胃腸も弱いので、無理して飲むと体調を崩す恐れがある。
総合的に考えて、密封販売されているドリップコーヒーを楽しむか、カフェのマスターがきちんと管理している豆で淹れた新鮮なコーヒーをお店で楽しむしかないのだ。
 
そして、最大のポイントとなるのは、気質的原因だ。
私は、凝り性だ。悪く言えば、慎重すぎて頑固なのだ。自分の中で、決めたチェック項目と欲しい物の差異がないか、他にも良い物があるのではないか。それを脳内会議と、実物を見比べて検討に検討を重ね、長い時間をかけないと、行動できない。
 
「石橋を叩いて叩いて、割れてはじめて安全だったのだと思う。そのくらい万全を期したい」
 
これは、私の友人の名言。類は友を呼ぶのだなと、私は感心してしまった。彼女は、私以上に慎重派で、あまり奇抜なことをしない。私は、面白いものについ飛びつきたくなる自由人であると自分を評価していたが、彼女の言葉に共感してしまったということは、それなりに私も神経質なのかもしれない。
 
つまり、私の生活には、このコーヒーミルは必要ではないという結論に至る。
だが、つい見に来て、無意味にハンドルを回してしまう。取り憑かれたように、吸い込まれてしまう。
 
欲しい、買ってはいけない、でも欲しい、でも必要がない、でも!!
 
何度目かの葛藤に打ち勝って、私は店でオリジナルのドリップコーヒーと珍しいお菓子を買って後にした。
 
怪しまれるから、次は別の地域の支店に行こう、と計画を立てながら。
 
何回も無駄な葛藤を繰り返し、一ヶ月後。販売期間が終わり、コーヒーミルは店頭から姿を消したのだった。
数年経った今も、その店に行くとついついその姿を探してしまう。
好きだったのに、告白する勇気もないまま卒業し、大人になってもあの面影を探し引きずっている、少女漫画に出てくる意気地なしの学生さんのようだ。
あの時、勇気を出していれば、こんな気持を抱えておかなくてもよかったのに。
やっぱり、あいつのことが好きだったんだ、私。
と、脳内妄想劇場を繰り広げてしまう。
 
「それは、コスパが悪いですよ」
ある時、知人とビジネスの話をしていた時のこと。私は世間話の延長として、コーヒーミルの話をした。私は笑い話として提供したつもりが、予想外の真剣な反応に驚く。彼の言葉が理解できず、私は首を傾げた。
「どういうことですか? 私は、コーヒーミルを買わなかったわけですから、その分節約できたはずでしょう?」
すると、彼は、残念そうに首を横に振った。
「確かに、コーヒーミルは買っていない。でも、それ以外の見えないものを浪費しています」
「見えない浪費?」
 
第一に、時間の浪費。
私は、コーヒーミルを店に見に行くために、何度となく足を運んでいる。たった、数十分の滞在時間だとしても、合計するとかなり長い時間になる。また、その店に行くまでの移動時間もかかっている。滞在時間と移動時間を考えると私は無駄足を踏んでいたことになる。
 
第二に、思考の浪費。
あのコーヒーミルが欲しい、いらない、でも忘れられない。私は、その堂々巡りを幾度となく繰り返していた。店の前だけではない。自宅、会社、通勤時間、ふとした拍子に頭の中で思い描いてしまう。
もし、コーヒーミルを買っていたら、考えることはなかっただろう。その空いた思考のスペースで色々なことが考えられたはずだ。旅行の計画、新しいビジネスのアイデア、休日に行くカフェや散歩のルート、家事の効率的な方法、先日読んだ本の考察……。生活を有意義にするヒントが見つけられた可能性がある。
 
第三に、欲望を抑えるための浪費。
買いたいのに、買えない。その小さなフラストレーションは、知らず知らずの内に、私の中で降り積もっていた。防衛本能として、私は少額の物をあの店へ行く度に買っていたのだ。いや、気がついていないだけで、別のまったく関係のない店でも衝動買いをしていた可能性もある。禁煙中の人が、暴食に走って肥満になっていくように、私は、ストレス発散を無意識に行っていたのだ。
 
「……私、ものすごく、不健康でコスパの悪いことをしていたんですね?」
「はい、そうです。すぐにコーヒーミルを買っていれば、その出費だけですんだのです」
私は、やっと自分の罪深さに気がついた。思わず、頭を抱えてしまう。
 
あの時、好きだと思った時に告白していれば。コーヒーミルは、私の物になった。例え、本来の豆を挽くという器具としてではなく、オブジェとして飾っていたとしても。側に居るという安心感で、心は満たされただろう。
辛い恋する期間も、失恋の後味の悪さも、知らずに朗らかにいられたのだ。
もしかしたら、コーヒーミルを一度手に入れてしまったら、満たされ、欲しい人に譲ったかもしれない。
そうしたら、お別れした私はまた、新たな恋人との出会いを求め、前に進めたのかもしれない。
「また、未練がましく姿を見に来てる」
生暖かい目で、スタッフさんに見られることもなかっただろう。
 
私は、石橋を懸命に叩いていると思っていたが、ずっと自分の手を殴っていたのかもしれない。何度もハンマーで殴った片手は、傷だらけの重症だ。
恋愛に例えても、石橋に例えても、今までの自分が痛々しく見えて仕方がなかった。
「私、石橋叩くのを止めて、もう少し自分の気持ちに素直になってみようかと思います」
「はい、そっちの方が幸せになれると思いますよ」
遠い目をする私を見て、知人は微笑を浮かべてうなずいた。
 
節約について、私は改めて考えることになった。
欲しい物を我慢して、その分の使うはずだった資金を貯蓄に回すことが、一番効果的であると思っていたが実はそうでもないらしい。
コーヒーミルは、私の生活には本来なら必要のないものだ。だが、それ一つで心が潤うこともある。人生を朗らかに生き抜くための余白として、必要だったのだ。
「よし、○円使ったから、その分がんばって働こう! そうだ、他の物を売りに出そう!」
掃除のきっかけや、次の資金調達のための精神的起爆剤となった可能性もある。
だが、欲望のままに、欲しいと思った物を手当り次第購入してしまえば、資金的、住居スペース的、精神的にも害が出る。
キーとなるのは、それが一目惚れなのかどうか。
「好き、どうしても手に入れたい、側に居て欲しい!」
と、夢に出てくるくらいゾッコンだったなら。それは、購入の決め手にしてもよいかもしれない。
労働などの努力の成果として、自分へのごほうびであると思考転換すると、少し罪悪感も薄れる。
もちろん、常識の範囲で。借金を重ねたり、他人に迷惑をかけないと手に入れることができないのならば、理性ある大人として踏みとどまらなければならない。
 
ハートにズキューン! と来たならば、一旦深呼吸。
まずは、自分のお財布に相談。
必要なら、家族にも相談、自宅の状態なども想像して考慮して。
軽く石橋をハンマーでノック。
冷静になっても、心にジーンと響いて、様々なことに支障をきたさないのならば。
ハンマーを橋の上に置いて、告白しに走ってみるのもいいかもしれない。
 
大好きなものを手に入れられた経験は、人生を豊かにしてくれるだろう。
きっとお値段以上の幸せが、あなたにも訪れる。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。アルバイト時代を含め様々な職業経験を経てフォトライターに至る。カメラ、ドイツ語、茶道、占い、銀細工インストラクターなどの多彩な特技・資格を修得。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動している。

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2020-09-28 | Posted in 週刊READING LIFE Vol,97

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