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電子だ紙だという前に絶対に観ておきたい映画「ザ・ウォーカー」

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とにかく、デンゼル・ワシントンがかっこいい。

デンゼル・ワシントンに惚れ惚れである。

それよりも、更に印象的だったのは、「本」とはいったいどういうものか、というメタファーである。

映画を観ている間じゅう、本の本質について、これまでにないほどに考えさせられた。

数年前から、毎年「電子書籍元年」といわれているが、そもそも、本とはいったいなんだろう。

本当に紙でなければなければ、紙として残るだろうし、電子の方が良ければ、電子へと推移して行くだろう。

 

たとえば、音楽ソフトというものは、レコード、カセットテープ、CD、MD、電子と、元々収める媒体が推移していったものであり、何もレコードやCDでなければならなかったものではない。だから、電子にすんなりと移行した。

これは、ビデオレンタルにも言えることで、数年前までビデオテープだったのが、今ではすっかりDVDになって、インターネットでのレンタル形式も急速に進んでいる。これ以降、レンタル市場というものは、ほぼインターネットへと推移するだろう。何せ、返しに行く手間がかからない。世の中は、より便利な媒体へと推移するのは必然である。

ところが、本はどうであろうか。

電子の可能性というものは、もう数十年も前からあって、来るぞ来るぞと言われながらもなかなか本格的にはやって来ない。

それは、今の紙の本という形の媒体が、抜きん出て優れているからに他ならない。情緒論というものは、案外もろいもので、利便性に対する市場の欲求の前には、抗うすべを知らない。それなのに、市場の大部分が未だ紙の媒体だというのは、単に、紙の方が消費者にとって便利だからだ。

もっとも、今の段階では、という話ではあるが。

去年、電子書籍EXPOのブースで、書店で電子書籍を買うという仕組みについて懸命にデモンストレーションしていたが、あれは最初はコメディーとしてやっているのかと思って、笑っていいのかな、と思ってぼんやり眺めていたが、やっている人も聞いている人も、みんな大真面目だったんで、なんだかインチキ教祖の説法みているみたいで怖くなった。あれが、ギャグでやってなかった証拠に、今年もやっていたので、今度はちょっと哀れになった。

書店で電子書籍を売る。

そんな本末転倒のことを、本気で考えているのは、本の本質について、真剣に考えていないからに他ならない。

だって、そもそも、電子書籍って家や移動先など、どこにいてもすぐにダウンロードができるのが魅力なのに、なんでそれにあえて来店というアクションを起こさせなければならないのか、一向に理解できない。

山に降った雨水は流れやすき道筋を通って山肌を下り、やがてそれが流れとなって合流し、川となり、海へといたる。

電子書籍は、収納「空間」に利点があるのに加えて、買いに行く「時間」と、買いに行くための「距離」という、2つの大きな障壁を取り除くことに利点があるというのに、その三大利点のうち、「時間」と「距離」のふたつの利点を取っ払ってしまおうと考えるのは、消費者の都合ではなく、単に売る側の都合でしかない。

それはたとえば、騎馬隊から戦車隊へ主力が推移しようとしていた時代にあって、馬にキャタピラをはかせるみたいにあほらしいことだ。

そんなものは、どう考えても、市場に受け入れられるとは思えない。間違って、ある期間、少し隆盛するように表面的に見えたとしても、それはまやかしであって、まもなく淘汰されるだろうと思う。

なぜ、そんなどう考えてもダメなことを真剣に考えてしまうかと言えば、本の本質を本気で考えていないからだ。

 

そこで、本題に戻る。

 

デンゼル・ワシントンが主演している映画『ザ・ウォーカー』の主人公は、戦争で世界が廃墟となった時代に生きている。

イメージ的には、マンガの『北斗の拳』の、あの世紀末みたいな感じの時代だ。

その時代、人類は文明を失い、文化を失って、急速に識字率が低下していっており、若い世代は字が読めない人がほとんどで、残された数少ない本をめぐって、殺し合いまでしている始末である。

人類の征服を目論む悪役カーネギーは、戦争後にほとんど焼かれてしまった、とある本を求めてやっきになっているのであるが、その理由というのもとても興味深く、本質をついている。この映画の中で、カーネギーはこう言っている。

「本は単なる紙ではない武器なのだ。あれさえあれば、人を支配することもできるんだ!」

その本があったために、戦争が起き、そのために人は滅亡しそうになった。それでその本は焼かれたのであるが、主人公のデンゼル・ワシントン演じるイーライだけは、世界に残されたその1冊の本を持っていた。

原題は「THE BOOK OF ELI」。つまりはイーライの本。

これが、この本をめぐるやり取り、そして、この本が実は何だったのか、という結末こそが、僕は本の本質を表しているように思えてならない。

アルカトラズにおいて、グーテンベルクによって、刷り出される本を見るとき、我々はそれぞれ、本の本質について気付かされるだろうと思う。

 

そうか、これが本なのか。本の本質とは、こういうものなのか、と。

 

電子か紙かという前に、ぜひ、この映画を観てほしい。

 

*少し前の映画なので、今はもう上映していないが、すでにDVDになっているのでレンタルできる。

*この映画においては、ある本がテーマとなっているが、それは象徴しやすかっただけで、内容は何でもよかっただろうと思う。この映画にあった「世界史上最大に売れたあの本」ではなく、たとえば「不治の病を治す方法」が書かれた本であっても同じである。


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