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小説『READING LIFE』

ミスキャンパス宮本立花の秘密 第1話《小説『READING LIFE』西城潤著》


小説『READING LIFE』西城潤著 「ミスキャンパス宮本立花の秘密」第1話

 

そのとき、私は壇上にいた。

純白のドレスを着せられて、美人の皮を被った鬼のようなフランス人指導官に言われたとおりに立ち、無理に笑顔をこしらえていた。こっそり、回りを見渡してみると、本当にきらきら輝いている綺麗な子たちばかりで、私がこの壇上にいることが完璧にミステイクで、何かの陰謀にしか思えなかった。

そうだ、誰かの陰謀で、私がこの壇上にいることを、ホールのみんなが笑ってみているんだ。いや、ホールのお客さんだけじゃない、テレビも来ているって言ったから、全国の人に笑いものにされているんだ。

そういえば、同じゼミの子たちが韓流が大好きで、KARAだったか少女時代だったか忘れたけれども、とにかく完全無比な美人グループの中に、「え、なんであの子がこのグループにいるの?」的な子がいるんだと言っていたことを思い出す。その子たちは、あれは絶対にお父さんが金持ちか何かなんだよ、でなきゃ、あのルックスであのメンバーに入れるはずがないよ、と言っていたけれども、私も、きっとそういう目で観られているんだ。

実は、壇上からだとステージのライトの照り返しで、客席が結構はっきり見えるんだけれども、最前列には、テレビや雑誌で見たことのあるような人たちが勢揃いしてこちらをジロジロ見ている。

ん? 気のせいか、私を見ているような気がする。いや、絶対に私を見ている。何かのアイドルグループのプロデューサーだったはずのダンディーなおじさまが、隣に座っている白髪の作家に耳打ちをして、手に持った万年筆で、私を指した。間違いない、私を指した。それで、二人は頷きながら笑いあったのだ。

やっぱり、そうだ。私は指されて笑われるくらいに場違いなのだ。

もう、消え入りたかった。逃げ出したかった。そう、私は本当は、こんな場所に立っていい人間でない。これまでモテたこともないし、彼氏だっていたことすらないし、それ以上に私にはそもそも秘密があって、それが暴露されると――。

お待たせしました、と私の思弁を遮るようにアナウンサーの声が響いた。

『それでは発表します。全国のミスキャンパスの頂点、クイーン・オブ・クイーンに選ばれたのは、宮本立花さんです!』

スポットライトが一斉に私に向けられた。

え、私?

うそでしょう。きっと、何かの冗談だ。ビックリカメラとかどっきりカメラとか、そういった番組の企画だ、そうでなければ困る、本当に困る。

おびただしいフラッシュを一気に当てられ、頭が真っ白になりそうだった。むしろ、真っ白になって、タイムスリップでもして、あの当時に帰りたかった。過ちを犯し続けていた、あの当時の自分にこう言ってあげたかった。

「お願いだから、もうあそこにはいかないで!」

気がつけば、私はオロオロ泣いていた。何をどうしていいのか、わからなくなっていた。

その間に、「ミスキャンパス クイーン・オブ・クイーン」のタスキが掛けられて、頭にティアラが差し込まれて、マイクが向けられていた。

『今のお気持ちを聞かせて頂けますか』

目の前のアナウンサーの声が、会場のスピーカーで増幅されて返ってくるのが、奇妙だった。そう、私は今壇上にいるのだと、改めて思い知らされる。

「私、信じられなくて。本当に、こんな場所に立たせて頂けるような人間じゃなくて、みんな綺麗な子ばかりだし、本当に、私なんて」

泣きながら、本心のままにそう言うと、会場から頑張れ!と歓声と拍手が巻き起こった。「リッカー!」となんかコールみたいなのが起きた。

『そんなことないですよ。綺麗な皆さんの中でも、あなたが一番輝いていますよ』

と、アナウンサーがフォローしてくれる。すると、会場は更に大きな拍手に包まれた。

いやいや、そんなつもりで言ったんじゃない。

そうだ、本当にクイーンになるはずだった子たちなら、きっと私に敵意を向けて、真実を語ってくれるに違いないと壇上を見回してみると、みんなそんなことはなくて、おしとやかそうな笑顔を浮かべて、私に拍手をしていた、中には涙ぐんでいる子すらいた。

いや、ちがう。本当に、そんなつもりで言ったわけではなくて、本当に本当に、信じられなくて、もっと言えば、こんな賞をもらってしまったら、私は、私は本当に困るのだ。

そっとしていて欲しかったのに、なんでこんなことになったんだろう。どこから、どう間違えてしまったんだろう。

いつしか、私は本気で泣いていた。それにつれて、歓声と拍手が大きくなった。

翌日のスポーツ新聞の1面にはこう載ることになった。

『涙のクイーン 悲願のティアラを手にする宮本立花(20)』

本当に違うのに!

 

私は、池袋が好きだ。

正直告白すれば、小学校高学年から池袋が好きだった。

池袋に住みたかったから、今の大学を選び、学校の近くの女子学生寮に入って、池袋で暮らしている。

大学に入ってからというもの、99%池袋で生活をしているんじゃないだろうか。池袋には買い物スポットもたくさんあって、ひと通りというか、揃い過ぎるくらいなんでも揃っているので、外の街に出る必要がなかった。

今日も、休日だったので、とりあえず、西武9Fのペットショップ売り場に行って、うさぎのゲージの前でしゃがみ込み、お気に入りのチビで間抜けなホーランドロップイヤーを見てうふふと癒され、特に用はなかったけれども、そのままエスカレーターで上の階、ロフトに行って、インテリアコーナーでソファーに腰掛けてみたり、旅行カバンを見たり、最上階の文具売り場では、別に買うわけじゃないけれど、MOLESKINEやミドリの文具を物色し、手帳なんかも見て、万年筆売り場ですみません、と店員さんに声をかけて、高級万年筆を出してもらって、雫井脩介さんの小説『クローズド・ノート』で主人公の女の子がやっていたみたいに、「永」という字を何個か書いて、ふふふ、と満足感に浸り、そのまま西武の、いわゆるデパ地下に行って、リブロ方面に行くと、今日もたいやき屋さんの前で行列が出来ている。並ばずにはいられないんだよね、と並んで、抹茶の白玉たい焼きを買って、そのままリブロに抜けて、本を物色し、雑誌を読み、外に出てマツキヨの前の横断歩道を渡り、ジュンク堂に行って、とりあえず、3Fの文芸・文庫・新書売り場を見て、帰りに1Fの雑誌売場を見て、外に出て、サンシャイン方面に向かう。

iPhoneに入れてある曲は休日モードにしていて曲はmoumoonとかで、ほんとのんびりで、普通なら本の物色で疲れると、ジュンク堂の隣のスタバか、その先にあるヴェローチェで一休みする。ジュンク堂の裏にとてもオシャレな喫茶店があるんだけれども、あそこでたまに本を読んでいると、かなりの確率で、カメラマンさんや雑誌や本の編集者と名乗る、いや、あそこにいる人たちは本物なのだけれども、とにかく「ちょっといいですか」と声をかけられるので、最近ではあんまり行かないようにしている。

今日は、書店でそんなに消耗していなかったから、スタバにもヴェローチェにもよらないで、東口五差路のところまでやってきた。

すると、普段と様子が違うことにすぐに気づいた。

いつもはストリートミュージシャンがいる五差路の真ん中のところに、ものすごい人だかりができているのだ。普段なら、人は多いけれども、駅からサンシャイン60通り商店街方面へ、またはその逆へと、ちゃんと流れているので、問題ないのだけれども、今日は、宮城のアンテナショップや携帯電話屋さんがあるビルの前が、人でごった返していた。よく見れば、救急車や消防車、警察の姿も見られた。

え、火事かな?

そう思って見渡しても、火が上がっている様子も、煙が上がっている様子もない。

信号が青になったので、私はそちらが気になりながらも、三井住友銀行の前から、サンシャイン60通りの方へ横断歩道を渡って行くと、そちらの先でも、人が滞留しているのがわかった。

みんな、上を見上げていた。上を見上げながら、ある人はスマートフォンを上に向けていた。

つられて上を見ると、携帯電話屋さんが入っているビルの屋上に、人がいるようだった。しかも、柵よりこっちに出てきていて、今にも飛び降りそうだった。

「え、まじかよ、自殺?」

近くのカップルの男の子のほうが、そう言いながらも立ち止まって、携帯電話を上に向かった。

ビルの屋上にいるのは、黒いスーツを来た若い男のようだった。

地上にいる警察官がメガホンで早まるな的なことを言っていた。説得しているようだった。ただ、その説得の声にそれほど緊張感がないのは、地上ではしっかりと安全マットが広げられているからだった。あれならきっと落ちたって、もふっとなるだけだ。

いや、でも、結構高いから、無傷というわけにはいかないかも知れない。それに、もしかして、弾力がありすぎて、高く弾みすぎてマットの外のアスファルトのところに落ちるかも知れない。

そう思うと、私も、他の人と同様に足が止まっていた。さすがに、カメラを向けることはしなかったけれども、あの男がどうなるかが気になった。

この人溜まりには、奇妙な連帯感があった。私たちは間違いなく野次馬だった。それぞれが男の生死がどうなるかが観たい野次馬の一人だった。たまに「馬鹿なことはよしなさい」と正義の見方みたいな声を出している人もいたけれども、きっとあの人だって、「うぉー、おもしれー、テレビにも映るかも!」と言って携帯電話を向けている男子中学生たちと同じように、ある種の興奮を覚えているに違いない。そう、この人溜まり全体は、みんなドキドキしながら、男が飛び降りるのかどうか、いや、正直言えば、飛び降りるとどうなるのかどうかを知りたいのだ。私たちは、共犯者だった。男の悲劇的な結末を観たい、共犯者だった。

男はなかなか飛び降りなかった。最初は心配の声が上がっていた人溜まりだったけれども、次第に剣呑になってきた。

「おい、飛ぶならさっさと飛べよ!」

という野次まで飛び交うようになってきた。それに応じる声はさすがになかったけれども、そうだ、そうだ、という空気が圧倒的だったように思う。

私は、気づけば、買ってきたたい焼きを頬張りながら、男の様子を見ていた。たい焼きがやけに美味かった。それと次第に首が痛くなってきた。

男よりも、正直言えば、この人溜まりが気になっていた。「飛ぶなら翔べよ!」と言っていた男は、なぜか、本気で怒っているようだった。まだ、収まりがつかないようだった。そんな彼に腕章を巻いたマスコミはカメラを向けて、フラッシュを焚いた。

もしかして、このひとの大切な人が自殺して亡くなっているのかも知れない。

そう思うと、そのひとが怒るのも無理はない、と勝手に妄想を進めた。が、その予想は外れた。

「お前、高いところを馬鹿にするとただじゃおかねえぞ! 窓ふき職人を馬鹿にしているのかよ、窓ふき職人を!」

あ、なるほどね、と人溜まりの空気が緩んだ。なんだよ、あいつ窓ふき職人だからかよ、てか窓ふき職人ってなんだよ、と失笑が漏れた。

「もし、飛び降りて、生きてたら、俺がボロ雑巾みたいにしてやるから覚悟しとけよ!」

と、その窓ふき職人の青年は、警察のメガホンよりもはるかに大きな声で言ってたので、きっと屋上の黒いスーツの男にも聞こえているだろう。

屋上の男は、一瞬、怯んで、一歩、後ずさったように見えた。

その様子を見て、警察も、念仏のような説得をやめて、あろうことか、窓ふき職人の青年のように脅迫じみた説得に移行した。

『市民の頭上に飛び降りることは、故意に車で突っ込むのと何ら変わらない。こんな騒ぎを起こし、飛び降りて、ただで済むと思わないように』

「え、そんなこと言っていいの?」と私は驚いて警察のほうをみたが、いいわけはないようだった、他の警察官にメガホンを取り上げられ、取り上げられた警官は「だってそうだろう!」とメガホンを奪い返そうとして、警官同士で小競り合いになっていた。

その間に、下に広げられた安全マットの上に躍り込む若い女子がいた。とても綺麗な子だったが、とても癖がありそうな顔をしていた。

彼女はマットの中央で両手を大きく広げて、屋上の男に向かってこう言った。

「飛ぶんだったら、飛んでみなよ。勇気がないなら、早く引っ込んで! 私、命をそうやって見世物にする人って大っ嫌いなんだよね! ほんと、死んでほしい! 中東とか、アフリカとかで、生きたくても生きられない人がたくさんいるっていうのに、あんた、何してんの? I wish I were a bird! アイ、ウィッシュ、アイ、ワー、ア、バードって言って早く飛んでしまえ!」

当然のように、彼女にもマスコミのフラッシュが焚かれた。

すると、彼女の叫びに合わせるように、ストリートミュージシャンが、スピッツの『空も飛べるはず』を弾き出し、歓声と怒号が両方一気に巻き起こった。きっと、人溜まりに場所を占拠され、屋上の男に完全に注目を奪われているかたちになったストリートミュージシャンたちも頭に来ていたんだろう。

なんか、カオスになってきた、と人事のように眺めていたら、私のほうもフラッシュが焚かれた。

「こんなときに何、たい焼きなんて食べてるのよ」とちょっと離れたところにいるおばさんに怒られて、すみません、とたい焼きを慌てて飲み込んだ。空気を読めないと昔から言われるのは、こういうところなんだろうと自分でも思う。

なんか、あの子、見たことない?

そんなささやき声が、近くで聞こえたような気がした。高校生の女の子のグループが、私の方を訝しげにじっと見ている。まるで、スナイパーが記憶の照準を合わせようとするかのように、私をじっと見つめている。

あ、やばい。照準が合う前に逃げなきゃ。

私は女子にしては背が高いので、腰を屈めて、この人溜まりから脱出することにした。

「あ、やっぱり、あの人、クイーン・オブ・クイーンの人だよ!」と高校生の女の子たちの声が追ってきたので、慌てて逃げた。まずい、ロックオンされた。

実は、ミスキャンパスになってから、怖い思いをするのは、男性ではなくて、女子高生軍団だった。私がミスキャンパスだと知ると「ねえ、本物? 本物のりっかちゃん?」と包囲されて、写メを連射され、あげくはLINEのアカウントを奪われて友達にさせられてしまうのだ。女子高生たちは私の天敵と言っていい。

でも、ここは勝手知ったる池袋。私の庭。彼女たちの好きにさせるわけにはいかない。

こういう時のために、私は対女子高生用の避難経路を確保していた。それをついに使う日が来たのだ。相手は4人だけれども、あの避難経路を使えば撃退できるはずだ。

幸い、今日の私はキュロットを履いていたので、問題なかった。ただ、女子高生たちは違う。

私がサンシャイン方向に逃げると「あ、りっかちゃん、待って!」と女子高生たちは走ってついてきた。予想通りだ。

人溜まりを抜けて、雑貨屋さんの前を過ぎたくらいで、私は急に止まって、彼女たちを振り返った。そして、不敵に微笑んで見せた。

すると、4人の女子高生たちは、不可解な表情になって、立ち止まった。

ちょうどいい所に止まってくれた。

「よし、今よ、来て! 丸ノ内線!」

私がそう言うと、彼女たちの下のほうから強い風が吹いてきて、女子高生たちのスカートは一斉にめくれ上がった。

「きゃー!!!」

回りの高校生やサラリーマンは、ニヤニヤしながら見ていたり、中には携帯電話を取り出す人もいた。

ふふ、撮られるがいい、辱めを受けるがいい、女子高生たちめ! あの日の私のように!

別に、私は魔法が使えるわけではない。これは、前に私が仕掛けられたトラップだった。サンシャイン60通り商店街の下には、ちょうど地下鉄の丸ノ内線が走っていて、ストリートのところどころに通風口が設けられているのだ。

私は、女子校に通っていたときに、友だちのひとりにそれを仕掛けられ、女子高生たちと同じ目に遭ったのだ。その日以来、女子校での私のアダ名は「モンロー」になったことは言うまでもない。ちなみに、そのアダ名の由来を知ったのは、だいぶ後になってからのことだ。

女子高生たちがマリリン・モンロー状態になっている間に、私はまたサンシャイン方面に向かって走り、ケンタッキーのところを左に曲がってグリーン大通りに抜けた。

ここまでくれば、大丈夫。

ふう、と一息つくと、喉が渇いていることに気づいた。サンシャイン60通りは人でいっぱいだったし、サンシャインに行けば、あの女子高生たちと遭遇しないとも限らないので、念のため、東池袋方面に行こう。

あの喫茶店にしよう、イルテスート。雰囲気のいい、お気に入りの喫茶店があるのだ。

それにしても、あの黒スーツの男の人、あの後、いったい、どうなったんだろう。

 

喫茶店イルテスートは、東池袋駅のすぐ近くで、つけ麺の発祥の店東池袋大勝軒の並びにあるこじんまりとした喫茶店だ。東池袋駅、と言っても、グリーン大通りを少し行けば、東口五差路があって、その向こうに西武百貨店が見えるので、池袋駅からも歩いて直ぐだ。

近年、再開発が進んで、劇場あうるすぽっとや豊島区中央図書館が入った高層ビルが建てられ、街の雰囲気もだいぶ変わってきている。近くに豊島区役所も引っ越してくるので人の流れも変わり、面白いことになるだろうと、と大学の講師が言っていた。

イルステートの店員さんはみんなとても親切で、それだからか、若いオシャレな女性のお客さんが多い。平日にはパニーニが美味しいんだけれども、間違って女性が、パニーニセットを頼んでしまうと、きっと食べ切ることができない。軽食ではなく、パニーニのフルサイズは大きく、サラダもついているので、おなかがいっぱいになる。平日なら500円のワンコインセットを頼んだほうがいい。ハーフサイズでも結構いっぱいになる。

二階がいっぱいだったので、一階に席をとり、ハムとチーズのパニーニをハーフサイズで頼み、料理が出てくるのを待っていると、客席で、必死で何かを書いている人の様子が気になった。

革ジャンを着て、頭はほとんどスキンヘッドで、髭も生やしているのに、スケッチブックみたいなノートに、色鉛筆で必死で何か書いているのだ。しかも、その色鉛筆は私が使っているものと一緒だった。無印良品の12色の色鉛筆¥420。

しかも、覗いてみると、女の人みたいに丁寧に、何やらびっしり書いているのだ。

人は見かけによらないものだ、とそのままぼんやり見入ってしまったので、そのほとんどスキンヘッドの人が、こちらを見ていることに気づくのに、ワンテンポ遅れてしまった。

「いや、なんか、綺麗に書いてますね」

ああ、これ、とその男は改めて自分の書いたものを見て言った。

「どうもね、手書きじゃないとアイデアってかたちにならないもので」

その口調や声は、見た目よりもずっと若いように思えた。もしかして、案外若いのかも知れない。

ちょっとわかるような気がする。私も昔から密かに漫画を書いていて、パソコンのドローイングソフトも使うんだけれども、ラフを描く時なんかは、手書きじゃないとダメなのだ。

そう、言おうとしたときに、店員さんに「お待たせしました」と呼ばれる。

カフェラテに砂糖を沢山入れて、席に戻った頃には、その人はもうノートの中の世界に没頭していた。夢中になって何か描いていた。

私は、邪魔しないように、隣の隣の席に座って、とりあえず大好きなパニーニをかじった。iPhoneのイヤフォンを耳に入れて、また曲を聴き始めたんだけれども、色鉛筆の人とは反対側にいる若い3人の男性のグループの話し声がうるさくて、曲に集中できなかった。若い男は聞えよがしにこんなことを言っていた。

「バックエンドさえしっかりさせて、支払いを最大限に遅らせれば、月1000万円はちょろいよね。僕もようやく人並みに稼げるようになったよ」

「月収1000万円で人並っすか!」

と、三人でけたたましいほどに笑っている。

ちょっと、気分が悪くなった。きっと、オレオレ詐欺とか、違法系のビジネスだろう。

どういう顔をしているのか気になって、ちょっとだけそちらを見てみると、月収1000万円と言っていた男の、目の待ち伏せに遭った。

しまった、と目を伏せる。賢そうで身なりもちゃんとした若い男だった。ヤクザ崩れのチンピラでなかったことに、余計に怖くなった。他の二人も、いい大学を出ていそうな、賢そうで小奇麗な雰囲気だった。

男の「聞えよがし」は拍車がかかった。

「昨日もリストに流して、一夜にして200万円だったら、本気で楽勝だよね。ただ、僕はお金の使い方がわからないから、女に使われるだけなんだよね。そうだ、来週もみんなでヒルズ行こうよ」

そんな話が延々と大声でなされていたんだけれども、そもそも内容がなくてつまらなかったので、私は持ってきた小説を読んでいた。

『海と毒薬』。

遠藤周作の名作で、私はこれを何度読んだかわからない。すぐに、三人組が気にならなくなり、作品の世界に没頭した。

あの、ひりひりするような世界観に。

没頭しているうちに、あのけたたましい連中は消えていなくなっていた。ただ、まだ、色鉛筆の人は一生懸命に書いていた。それにしても、それほど真剣に何を書いているんだろう。

もう空になったカフェラテを飲むふりをしながら、また、ちょっと覗いてみた。

何か、表のような、スケジュールようなものに、本当に細かい字で、何かを書き込んでいて、ポイントとなる部分を、まずは色ボールペンで縁取りして、そして中を色鉛筆で塗りつぶしていた。また、その周辺には細かい数値が書き込まれていて、その人は頭を抱えながら、その数値を何度も書き直していた。

何を書いているのか、さっぱり理解できなかったけれども、タイトルにある文字に、見覚えがあった。

「天狼院書店……」

知らないうちに、文字を声に出して読んでいた。

当然、その人と目が合った。

あの天狼院書店って、と聞こうとしたそのときに、クロネコヤマトの人が店の中に入ってきた。カフェのスタッフと顔なじみのようで、ちょっと言葉を交わしつつ、荷物を渡していた。

「あ、津金さん、津金さんじゃないですか?」

そう言ったのは、色鉛筆の人だった。

身を乗り出すようにして、レジの前に立つ、ヤマトの人に言っていた。

振り返ったヤマトの人の顔が、瞬時にほころんだ。

「三浦さん、三浦さんですね。いや、ご無沙汰しております」

「本当にその節はお世話になりまして、本当にあの時はありがとうございました」

三浦と呼ばれた色鉛筆の人は、立ち上がり、そう言ってヤマトの人に対して深々と頭を下げたのだ。

「いえいえ、こちらこそ、お世話になりました。その後、どうですか、会社の方は」

「お恥ずかしながら、これまで3期は赤字だったんですが、4期目は完全黒字になることがわかりまして、今度、この近くで書店を出そうと思っているんですよ、今、それに向けて準備をしているところです」

「いやー、それは良かったですね。本当に、あの当時も頑張られてましたよね」

さっきの月収1000万円男の話を聞いた後だったから、二人のやり取りは、余計に心に響いた。そう、簡単に儲けられるはずなんてない。商売とはもっと難しいはずだ。こういった、人のつながりによって、ようやく利益が少しだけ出るものなのだろう。

「引っ越した後も、新しい住所のほうに送ってもらって、本当になってお礼を言っていいものか。これから近くになるんで、もしかして、また津金さんに担当してもらうかも知れませんね」

いい話だ。ヤマトの人も素敵だ。だからヤマトの人ではなく、「津金さん」と名前で認識されていたのだろう。

二人のやり取りを聞いて、私はなぜかすっかり当事者の一人になった気になっていた。それには、理由があった。

「そのときはよろしくおねがいします。書店って、本屋さんですか。どういう本屋さんにするんですか?」

「天狼院書店っていうんですけれども、本当に20坪くらいの小さな書店を想定していて……」

「未来を創造する究極の書店なんですよね?」

気づけば、私はかぶせるようにそう言っていた。

突然話に割り込んできた私に、二人の視線が注がれる。いや、二人だけじゃなくて、レジにいるカフェのスタッフの方の視線も。

「どうして、それを?」

三浦さんはそう言った。

「私、じつは天狼院書店のパトロンなんです!」

そういうと、三浦さんは、ようやく、ああ、と愁眉を開いた。

「そうだったんですね、それはどうもありがとうございます」

ヤマトの津金さんは当然、それでわからなかったようだったので、私が変わりに説明してあげた。

「CAMPFIREっていうクラウドファンディングサービスがあって、天狼院書店を一緒につくろうというプロジェクトがあって、私はそれに参加させてもらっているんです!」

500円ですけど。

「出資とはちょっと違って、たとえば、天狼院書店さんができたら、私はオープン前にお店を見せてもらうことができるという特典がもらえるんです」

「なるほど、今はそういうのがあるんですね」

「それにしても、ここでパトロンの方にお会いできるとは思いませんでした。本当にありがとうございます。それで、あなたはやはり、書店が好きで、応援してくれているんですか?」

三浦さんが私に聞く。

書店も好きなんですけど、と私は少し、言葉に詰まる。

「私、天狼院さんの、池袋を盛り上げようと姿勢に共感して、プロジェクトに参加させてもらったんです。池袋を盛り上げて、この街をブランディングして行こうと天狼院のホームページとかでもおっしゃってましたよね?」

「そのとおりです。僕は、この街に無限のポテンシャルを感じています。この街は、これからもっともっと面白くなると思っています」

その言葉に、何か、運命のようなものを感じた。

私は、その言葉を聞きたかったのだ。

まさか、こんなに早く、本人から聞けるとは思わなかったけれども。

「あの、私に手伝わせてくれませんか? なんでもやります。私にもぜひ、天狼院を手伝わせてください」

実は、私にはそうしなければならない理由があった。どうしても、池袋のイメージを上げなければならなかった。

そうしないと、私は、大変なことになってしまう。全てが台無しになってしまう。

三浦さんは、私の顔ではなく、私が手に持っている本をじっと見つめていた。

「『海と毒薬』、ですか、名作ですよね。僕も高校時代に読みました」

と、何気ないように言った。

「はい、好きなんです。もう、何度も読んでいるんです」

ただ、脇の下から肺に大きな注射針を差し込むシーンが特に好きなんです、とはさすがに言えなかったけれども。

だとしたら、と三浦さんは今度は私の顔を見て言った。

「もしかして、梶井基次郎の『檸檬』が好きではないですか?」

どうしてわかったんだろう、私は嬉しくなって大きく頷いた。

「『檸檬』も大好きなんです」

ただ、丸善で檸檬が爆発する様子を想像すると居ても立ってもいられなくなるんです、とはさすがに言えなかったけれども。

「すると、坂口安吾の『堕落論』も?」

「好きです、特にタイトルが!」

ははあ、と三浦さんは何度も頷いた。

「村上春樹さんの『ノルウェイの森』や川上弘美さんの『ニシノユキヒコ』は、むしろわからない?」

私は首が取れるくらいに何度も頷く。

「私には良さがさっぱりわかりません」

でも、どうしてわかるんだろうと、不思議になった。そして、この質問はなんだろうと気になり出した。

三浦さんの質問はなおも続いた。

「芥川龍之介の作品の中では『鼻』が好きだけど、森鴎外の『舞姫』の良さはわからない?」

当たっている。本当に、当たりすぎている。

私は頷いた。

「太宰治の良さもわかりません」

特に心に響かないのだ。

やっぱり、と言うふうに三浦さんは大きく頷いてこう言った。

「よくわかりました。宮沢賢治の作品の中では『風の又三郎』が好きでしょうし、これは読んでいるかどうかわかりませんが、町田康さんの『告白』や古川日出男さんの『アラビアの夜の種族』が好きで、きっと後期の村山由佳さんの作品は肌に合わないのではないでしょうか。カフカの『変身』は好きだけれども、ゾラの『ナナ』はそれほどでもない。トーマス・マンの『魔の山』は好きだけれども、『ロリータ』の良さはわからない。最近では、辻村深月さんや西加奈子さんの作品が好きなのでは? 桜庭一樹さんの『私の男』もツボかも知れませんね」

私は、気づけば拍手をしていた。私だけでなく、カフェの店員さんもヤマトの津金さんも、拍手をしていた。

「どうしてそこまでわかったんですか?」

もう、丸裸にされた気分だった。

「いや、『海と毒薬』が好きだというので、ぴんと来て。こう言ってはなんですが、あなた、相当ですね」

もしかして、と私は急に焦り出した。もしかして、すべて見透かされている? まさか、好きな本と嫌いな本を言っただけで、この人は、私の秘密に勘づいてしまっている?

いや、そんなこと、あるはずがない。霊能力でも超能力でもあるまいし、本のタイトルだけで、私の秘密がわかるはずがない。

「相当って……」

恐る恐る、私は聞いてみる。

なんていうか、と三浦さんは頭をかいて、言葉を探しているようだった。本当はずばりと言いたい言葉があるんだけれども、ストレートに言うのは気が引けるから、差し障りのない言葉を探しているというふうに見えた。だとすれば、私の秘密の確信に、この人は迫っている。

「なんていうか、あなたは、相当池袋が好きなんでしょう」

カフェの店員さんも、ヤマトの津金さんも、それにはきょとんとしていた。けれども、私には十分だった。三浦さんが私の秘密を知っていて、あえてそう言ってくれていることに気づいた。そして、私の秘密を受け入れてくれるということが直感的にわかった。

「そうなんです、池袋が好きで、それで大学も池袋にしたんです。あの、改めてお願いします。私に天狼院を手伝わせてください。お願いします」

そう言って、私は頭を下げた。これは運命なのだと思った。ここで三浦さんに出会ったのも運命で、そして、天狼院を成功させることが、私を救うことになるのだと思った。

「天狼院のことを、よく、理解されているようだし、本もしっかり読まれているようですし、そこまで言ってくれるんなら、断る理由がありませんね」

「では……」

ええ、と三浦さんは頷いた。

「天狼院を手伝ってもらうことにしましょう。もっとも、まだ店の場所を探している段階ですけどね」

そして、ほとんどスキンヘッドの頭をかいて笑った。

「いえ、大丈夫です! きっと天狼院は現実のものとなります! いえ、私が現実のものにしてみせます!」

「心強いスタッフさんができましたね」

と、津金さんと三浦さんが笑った。

もしかして、天狼院ができれば、本当にこの街のイメージが変わるかもしれない。そうすれば、私の過去も、消えてなくなるかも知れない。

この日から、私にとって天狼院こそが、未来を担う重要な存在となった。

あ、そうだ、と三浦さんは思い出したように言った。

「ところで、あなたは誰ですか? まだ、名前すら知らないんですが」

「宮本立花と言います。大学2年生で、本がとても好きです」

あれ、もしかして、とカフェの店員さんが言った。

「もしかして、立花さんって、あのミスキャンパスの?」

そうです、と私は頷く。

「でも、そんなの、天狼院に何か役立ちますかね?」

三人は、一度顔を見合わせて、私のほうを向き直り、声を合わせてこう言った。

「役立ちます!」

その時、店内で流されていたテレビからこんな声が聞こえてきた。

『先ほど、池袋のあるビルで、若い男性が屋上に上がり、柵を越えた事件ですが、どうやら進展したようです。その後、どうなりましたか? 現場の阿部さん』

そして映しだされたのは、さっきまで私がいた、池袋東口五差路の映像だった。

そういえば、あの黒いスーツの男性、どうなったんだろう。

 

《次回に続く》

 

次回の小説『READING LIFE』は「起業家遠山夏希はなぜビルの屋上に立ったのか?」第1話。

お楽しみに。

 

《CAMPFIREのプロジェクト》

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ご支援、よろしくお願いします。

 

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2013-03-27 | Posted in 小説『READING LIFE』

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