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週刊READING LIFE vol.16

バカの愛《週刊READING LIFE vol.16「先輩と後輩」》


記事:笹川 真莉菜(READING LIFE公認ライター)

 
 

先輩はバカである。

 

先輩は8歳から22年間剣道を続けている剣道バカである。
筋肉質な身体をしていて、二の腕を曲げるともっこり山が出来上がる。たまに私に向かってムキムキポーズをして「どうだ! すごいだろう!」と言わんばかりの顔をしてくる。そういう意味でもバカである。

 

先輩はなかなかの苦労人である。
5人兄妹の3男に生まれ、服はすべておさがり、幼少期は家の手伝いと弟妹の世話に明け暮れたという。先輩が自分の時間に浸れるのは剣道の稽古の時のみで、先輩が剣道にのめり込んだのは自然なことだったのかもしれない。
その後先輩は中学、高校と全国大会に出場。全国レベルの団体の主将を任されるほどの腕前だったが、残念ながら試合での結果は残せなかった。その後推薦で東京の私立大学へ入学するも、家庭の事情で学費を自分で稼がなくてはならなくなり、先輩は4年間新聞配達のアルバイトをしながら大学へ通った。

 

私は先輩の2個下で、同じく新聞配達のアルバイトをしていた。
私が販売店に入った時から先輩は数々の「伝説」を持っていた。
二子玉川の河原で焼き芋をしようと思い、商品である新聞を持ってきて燃やそうとしてめちゃくちゃに怒られたこと。
酔っ払った勢いで、同僚の自転車を片手で担ぎながら自転車に乗って帰ったこと。
夏休み期間中「ヒマだから山に行く」と言い、世田谷区からママチャリで静岡県へ向かい、雨ガッパとジャージという超・軽装備で富士山登頂を果たしたこと。
これらのエピソードを聞いて私は思った。先輩は筋肉多めのバカである、と。

 

先輩は体育会系なので、後輩の面倒見がとても良かった。
新聞に挟み込む折込チラシの高速技を教えてくれたり、朝刊配達時に寝坊している後輩を起こしに行ったり、台風などの悪天候時にもたついている後輩の作業を手伝ってあげたりしていた。態度が悪い後輩には叱り飛ばしたりもしていた。
バカはバカでも、先輩はバカまじめなのだった。

 

私は先輩のことを「バカだなぁ」とクラスの男子に向けるような態度をとっていたが、剣道のことや数々の「伝説」については「そこまでするか」と驚嘆していた。
先輩は元来ものぐさで飽き性の私には到底たどり着けそうにない景色を知っていた。自力で全国大会や富士山の頂上にたどり着いた先輩は、バカだけどすごい人だとひそかに尊敬していた。

 

そしてある日私に転機が訪れた。
夕刊配達のため学校から販売店へ行く途中、私は渋谷駅で階段を踏み外し転げ落ちてしまった。私の完全な不注意で、しかも映画のワンシーンのような大げさな転び方をしてしまいめちゃくちゃ恥ずかしかった。さらに最悪なことに転げ落ちたときに着地に失敗し、左足を捻挫してしまったのだった。
これから配達なのに、どうしよう。
恥ずかしさで赤くなった顔は一瞬にして青ざめた。
その場でどうすることもできず、足を引きずりながら販売店へ行った。
基本的に人手が足りないお店なので、捻挫しようが熱を出そうが新聞は自分で配らなければならなかった。

 

販売店で新聞が到着するのを待ちながら私が途方に暮れていると、先輩が声をかけてくれた。
「足どうした? うわ、めっちゃ腫れてる!」
私はこの時先輩に助けを求めた。ジャージの裾をまくって左足の腫れがよく見えるように先輩にアピールし、できる限りか弱そうな声で私は「そうなんですよぉ〜」と答えた。
先輩は心から気の毒そうな顔をして「ちょっと待ってて」と言ってどこかへ行ってしまった。
私は自分の目論見どおりになったのかはずれたのかわからず呆然としてしまったが、しばらくして先輩はベージュの巻物を持って戻ってきた。

 

「靴脱いで、足出して」
ベージュの巻物はテーピングだった。
私が足を出すと、先輩は慣れた手つきで足首を巻いて固定してくれた。
「これでだいぶ楽になるよ。それでも痛いだろうけど、頑張って!」
「あ……ありがとうございます!」
お礼を言ってすぐに夕刊を積んだトラックが販売店に到着し、先輩含めた配達員たちは自分の区域の数の新聞を持って配達先に散らばっていった。
私も痛みがだいぶ楽になった左足をかばいながら夕刊を配りはじめた。

 

だいぶ楽になったとは言え、捻挫したての足はやっぱり痛かった。
配達用の自転車は重く、ペダルを踏み込むたびにズキズキと足が痛んだ。
しかし、私の心は穏やかだった。
そして顔はとんでもなくにこやかな表情を浮かべていた。
ササカワさん、めっちゃいい人だ。
先輩の名前はササカワと言う。これまで私は先輩が誰かに親切にしているのを見ていたばかりで、私に厚意が向けられたのははじめてのことだった。

 

渋谷駅の階段で転げ落ちたとき、私は自分の頼りなさに落ち込んでいた。
私も先輩と同じく、家庭的な事情で学費を稼ぐために新聞配達をしていた。地元が北海道で東京に頼れる人はおらず、自力で生活していかなければいけない中での不注意に、これから東京で暮らしていけるのだろうか……と不安になり、誰でもいいからちょっとした助けが欲しかったのだった。

 

そんな状態で先輩に甘えてみたら、先輩は心から私に親切にしてくれた。
弱っているときの優しさは、普段の10倍ぐらい身に染みた。
それははちみつみたいにドロリと身体の底に沈んでいった。

 

ササカワさん、バカだなんて見下してすみませんでした。
私は心の中で謝った。
先輩も新聞配達と学業の両立で大変なはずなのに、周りに困った人がいたらどんな人でも親切にしていた。
自分のことで精一杯の私は“困っている人がいたら助ける”という気持ちがほぼ欠落していた。私が一番大変なんだ!! という傲慢な気持ちさえあったかもしれない。
しかし、先輩の優しさにはじめて触れたとき、このままではいけないと思った。
受け取った優しさを噛み締めながら、私も先輩のような人間でありたいと心から思った。

 

季節は秋から冬に変わる頃で、冷たく乾いた風が容赦なく身体を突き刺した。
身体は痛みと寒さで震えていたけれど、私は底に溜まった優しさを燃料にして気合いでペダルを漕ぎ続けた。

 
 
 

先輩はバカである。
どのくらいバカかと言うと、海外旅行に行くのにパスポートを忘れてしまうくらいである。
パスポートを忘れたことに気がついたのが成田空港へ向かう特急電車の中で、気がついた時点で引き返しても搭乗時刻に間に合わず、旅行に浮き足立つ人の多い車内で私と先輩だけがお通夜のような空気を漂わせていた。
先輩は剣道や仕事など自分の興味があることにはバカまじめに取り組むのだが、それ以外のことはまるで無頓着だ。テレビは見ないし、音楽も聞かない。服装にもこだわりがなく、たまにセーターを裏表逆に着ている時があり周囲の人間を笑わせる。天然のバカでもある。

 

しかし先輩は私に無いものをたくさん持っている。
類まれなる集中力。老若男女を惹きつける人当たりの良さ。筋肉。そして優しさ。

 

先輩と出会ってから10年経ち、私は先輩の妻になった。
先輩から受け取ったはちみつのような優しさがきっかけである。
パスポート事件は最近の話で、私は結局「バカだなぁ」というクラスの男子的態度から改められずにいる。
けれどこれは多分に照れ隠しが含まれている。
私の言う「バカ」は、愛だ。

 

先輩はバカである。
バカであるが、この上なく愛おしくて、いつまでも尊敬してやまない存在なのである。
 
 

ライタープロフィール
笹川 真莉菜(READING LIFE公認ライター)
1990年北海道生まれ。國學院大學文学部日本文学科卒業。高校時代に山田詠美に心酔し「知らない世界を知る」ことの楽しさを学ぶ。近現代文学を専攻し卒業論文で2万字の手書き論文を提出。在学中に住み込みで新聞配達をしながら学費を稼いだ経験から「自立して生きる」を信条とする。卒業後は文芸編集者を目指すも挫折し大手マスコミの営業職を経て秘書業務に従事。
現在、仕事のかたわら文学作品を読み直す「コンプレックス読書会」を主催し、ドストエフスキー、夏目漱石などを読み込む日々を送る。趣味は芥川賞・直木賞予想とランニング。READING LIFE公認ライター。

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2019-01-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol.16

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