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死にたてのゾンビ

面と向かって「気まずい」と言ってきた上司を、セクハラで訴えたいと思った話 《不定期連載:死にたてのゾンビ》


記事:いちのせ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
あ、やばいかもしれない。
 
そう思った次の瞬間、目の前は、真っ白とも真っ黒とも判断しがたい色に染まった。
遠いところで、激痛が走る。頭か、頬か、肩か背中か。よくわからなかったけれど、きっと、とても痛かった気がする。
 
とても痛かった気がする衝撃のお陰で、途切れた意識はすぐに現実へと戻って来た。
さっきまで、たしかに直立していたはずの身体は、完全に床に横たわっていた。
朝、起きて早々、身支度している途中で気を失って倒れたのだと理解した私は、床に手をつき身体を起こそうとした。
「いっ……たぁ……」
けれども、重力がいつもの倍に重たく感じ、倒れた際にぶつけた身体のいたるところも痛ければ、元々痛かった腹部に吐き気を催すほどの激痛が走り、すぐに立ち上がることはできない。
銃撃戦で瀕死状態になった兵士か、いや、息絶えた後もしぶとく這い上がろうとする、死にたてのゾンビか。
「うぅ……」
床に這いつくばったまま鈍い声で唸る私は、とても不気味な存在に違いない。けれども、そんな不気味さを気にしている余裕がないほどに、身体がダルくて、お腹が痛くて、血が、全く足りないのだ。
痛みを耐え凌ぐために、更に小さく蹲った私は、心の中で「あぁ、もう、何で、こんなに辛いかな……」と自分の体調不良を静かに嘆いた。
 
倒れた原因は、生理痛だった。
 
生理痛、とひと言にまとめても、その辛さの強弱は人それぞれだ。
軽い人もいれば、重い人だっている。
恐らくは、私は、“重い人”に部類される人間だ。
生理が来るたびに、朝、起き上がることができないほどの辛さに襲われる。
特に症状が重いときには、ふとした瞬間に気を失ってしまうこともある。
それでも、なんとなく言いづらい症状のため、日常生活の中では薬で痛みと倦怠感を誤魔化して過ごしていた。
特に、当時の私はIT企業に勤めており、周囲には女性よりも男性の方が多かったため、血色の悪い頬にチークを厚く塗ったり、腰に貼るホッカイロを装備したりして、生理痛を抱えていることを悟られないように気を張りながら過ごしていた。
 
生理痛に悩む私に朗報が入ったのは、同じ会社に勤めている女性社員で食事に行った時のことだった。
「ねぇ、生理休暇って使ってる?」
先輩が放った質問に、私は「え、生理休暇って、何ですか?」と聞き返した。
「月に1回だけ使える有休だよ! 診断書とかもいらないし、扱いは普通の有休と変わらないから、使った方がいいよ! 生理で辛いときとかは、特に!」
まさに、寝耳に水な情報だった。
女性社員に対して、そんな優しい制度を用意しているなんて、と感動さえ覚えた。
けれども同時に、生理休暇って、ちょっと申請しづらい制度なんじゃないだろうか、と疑問にも思った。
私が勤めていた会社はIT企業で、女性よりも男性の方が多い会社だった。特に、休暇を申請する相手である上司は、ほとんど男性社員だ。
「みなさん、生理休暇を使ってるんですか?」
いくら制度として用意されていても、普通に活用できるものなのか。そう思って質問すると、意外にも、その場にいるほとんどの人が「普通に使っているよ」と答えたのだった。
「上司の方に何も言われませんか?」
「言われないよ! 流石にそこは、触れてこないって!」
なるほど。上司の方も、会社が用意した女性のための制度への理解があるのだな。
そんなにも浸透している制度ならば、私も使ってみようかな。
毎月のように重たい生理痛に悩まされていた私は、次、生理で身体が辛くなったときには、この制度を使ってみようと思ったのだった。
 
しかし、その意気込みは、いとも簡単に崩されてしまうことになる。
 
「ちょっと、今、話しできる?」
声をかけてきたのは直属の部長である松山さんだった。松山さんは私の入社当初からの教育係でもあり、新入社員と部長の関係ではあるものの、気さくに話せる仲でもあった。
松山さんの声を潜めた誘いに、私は「何かあったんですか?」と怪訝さを隠さずに質問した。
「いや、まぁ、ちょっと、ここじゃ話しにくいから、あっちの会議室に来てくれへん?」
「わかりました、すぐに行きます」
異常なほどによそよそしい空気に、これはただことではないな、と察した私は、それまでやっていた作業を中断させ、会議室へと急いだ。
「話って、何でしょうか? まさか、トラブル発生ですか?」
「ある意味、トラブルやな。俺にとっては」
「どういう意味ですか?」
「今ちょうどな、勤怠チェックしてたところなんやけど、早川さんから上がってきてる休暇申請が、ちょっと、わからんくてな」
早川さんは、つい1ヶ月ほど前に他部署から移動してきた女性社員だ。私とは年が10ほど離れており、案件も被ったことがないことから、会話を交わしたのは数えられる程度しかなかった。
「早川さんのことを私に聞かれても……直接、聞いちゃダメなんですか?」
「本人に聞きにくいからお前に聞いとるんやって」
それこそ、どういう意味なんだ。
深まる疑問を抱えながらも「これって、マジなやつやと思う?」と、見せられた勤怠チェック途中のPC画面を確認すると、そこには、“生理休暇”の文字があった。
「俺、この休暇を実際に目にするの初めてでな。いや、マジ、これって、ホンマなんかな?」
「そんなの、私にわかるわけないじゃないですか……」
「いや、そうなんやけどさ、これ、どう処理したらええと思う?」
「申請されたままを受け止めて、承認するだけじゃダメなんですか?」
「まぁ、そうなんやけど。これって、他の部長たちも、普通に処理してるんかな?」
それこそ、私に聞かれても困る案件だ。
「えー、この制度、使う人って、マジでおるんやな。いや、初めてのことで焦るわー」
と、繰り返す松山さんが、何をそこまで気にしているのか、私には全く理解できなかった。
「焦り過ぎですし、気にし過ぎですって……」
「いや、そうなんやけどさ……」
チラリと、窺うような視線が向けられる。
狭い会議室に、気まずい沈黙が5秒ほど流れた。
「……お前は、これ、使わんといてくれん?」
「……この、生理休暇ですか?」
「そそ。なんか、ちょっと、気まずいやん?」
生理休暇を申請されると気まずい、と面と向かって来た相手が、松山さんでなければ、私は完全にドン引きしていたに違いない。
いや、常日頃からお世話になっている松山さんが相手であっても、ちょっとばかし引いていた。と言うよりは、気持ちが悪いな、と感じていた。
生理休暇の申請を受けるたびに、「マジで、生理なんかな?」と疑問に思っている松山さんを想像したくもなくて、私は「使いませんよ。こんなに気にされるなんて、私だって嫌ですよ」と声を張って答えていた。
本当は、次の機会に使う気でいたけれども、とてもじゃないけど、松山さん相手に生理休暇を申請するなんて嫌だと思った私は、大きく首を横に振っていた。
「よかった。安心したわ。いやー、ホンマ、どうしようかと思って焦ったわー」
その声は、焦っているというよりは、単純に自分にとっての珍事件を部下に話したかっただけのように聞こえて来た。
早川さんが本当に生理を理由に休暇を申請したのかなんて本当はどうでもよくて、ただ、「生理休暇なんて、本当に使う人がこの世にいるんだな」と笑い話をしたかっただけなのでは? と疑いすらした。
正直に言ってしまえば、この人、最低だな、とさえ思った。
「安心したのはいいですけど、これ、一歩間違えればただのセクハラですからね?」
「いや、セクハラとか、マジでやめて。俺、部長でい続けたいわ」
会議室の入り口を振り返り、私たち以外にこの会話を聞いている人間がいないことを確認した松山さんに、私は完全なジト目を送っていた。
会議室に二人きりのシチュエーションで、生理の話を振ってくる上司を、擁護する気には到底ならなかった。
 
松山さんと、気まずい会話を繰り広げてから数週間後、私は、ついに憤慨した。
その日の朝の目覚めは、最悪のひと言で片付けられるほどに最悪だった。
起きた早々にうずくまり、「うぅー‥‥‥」と唸り声を上げるほどに、体調がすこぶるに悪い朝だった。
ベッドから起き上がるだけで数分かかり、起き上がっても、立ち眩みが平衡感覚を奪ってくれる。
乱れた髪を整えることもせず、壁に手をつきながら、ズンズンと痛みの走る腹部を押さえ、背を丸めてゆっくりと歩く。
気分はまるで、死にたてのゾンビだった。
「どうして、こんなに辛いのに……」
会社に行かなければならないのだろう、と壁に寄り掛かりながら悔しがる。
本当だったら、会社の制度として用意された“生理休暇”を使おうと思っていたのに。
他の女性社員は普通に活用している制度を、私も使ってみようと思っていたのに。
松山さんが言い放った「気まずい」という言葉のせいで、私は使えるはずの制度を使えずにいたのだった。
「気まずい」を理由に、この辛さをないことにされては、たまったものではない。
「気まずい」と言うのなら、執拗に気にせずスルーしてくれればいいのに。
生理の辛さを男性に理解してほしいとまでは言わないから、せめて、いじわるだけはしないでほしかった。
ズルズル、ズルズルと、身体を引きずり、やっとの思いで辿りついた洗面台。
水受けの縁に両手をつき、息を吐き出しながら鏡を見た。
丸まった姿勢。ボサボサの髪。青白く染まった頬と唇に、虚ろな双眸。
鏡に映る、ゾンビと化した自分と睨み合った私は、恨めしい声で呟いた。
 
「あの人………マジで、訴えたい……」
 
こんなのは、セクハラ以外の何物でもない、と。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
いちのせ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京生まれ東京育ち。
元システムエンジニア。現在、クリエイターとして革小物を中心に制作活動をする日々を送る。

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2020-05-11 | Posted in 死にたてのゾンビ

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