メディアグランプリ

不器用な親子


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記事:前田三佳(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「たまには彼を心配させてやりなさい」
「そうだね。うん。でもやっぱり帰るよ。ごめんね……。また来るね」
そそくさと荷物をまとめ私は病室を後にした。
思えばこれが父と交わした最後の会話になってしまった。
夫の帰りがいつも遅いと気を揉む私に、ジョークとも本音ともとれる言葉をかけた父。
最期に私に甘えてくれたのかもしれない。

もう16年前になる。
100歳まで生きると豪語していた父は71歳で亡くなった。
胆管がんが見つかった時はすでに手遅れで、入院して6か月、あっけなく逝ってしまった。
当時私は幼い子ども二人を抱え、満足に見舞いに行くことも叶わなかった。
桜がはらはらと舞う中、父の遺骨を抱いて泣きながら歩いた。
あの日を今も忘れない。

父は七人兄弟の三男として軍人の家に生まれた。
父親と長男、次男が相次いで戦死。父は若い時から長男の役割を担ってきたらしい。
らしいと言うのも、父はとても無口で自分の事を語ることなど殆ど無かったから。
ましてや、つらい経験こそ私たち家族に決して語らずに、その胸に抱えたままだった。

大学を出た父は陸軍に入隊後、中尉にまでなったが大戦で満州に渡り終戦を迎えた。
そして、抑留されたのだ。
「シベリア抑留」という言葉を耳にした事があるだろうか。
終戦直後、当時の満州国などに残っていた日本兵約60万人が、ソ連によって捕虜となり
シベリアをはじめとするソ連各地に移送され強制労働を余儀なくされた。
マイナス40℃にもなる想像を絶する寒さの中での強制労働、劣悪な生活環境により、
約6万人が命を落としたといわれている。
10人に1人は飢えや寒さの中で、無念の死を遂げたのだ。
父はここに3年も抑留されていたと、叔父(父の弟)から聞いた。
帰還した時、父は頬がげっそりこけ亡霊のようだったという。

捕らえられた恐怖、絶望。
粗末で灯りもない不衛生な収容所。家畜の餌のような食事。
あまりにひもじい時は鼠を捕まえて腹の足しにしたと叔父は聞いたそうだ。
そして極寒の中での強制労働。その中で何度、仲間の死を目にしたことだろう。
その時父は何を希望に生きていたのか。
いや希望なんて言葉、忘れていたかもしれない。
ただ、生きて日本に帰る。それだけを繰り返し自分に言い聞かせていたのかもしれない。
その3年はどれほど長く感じたことだろう。

その経験をずっと胸の奥にしまって父は生きてきた。
戦後心に闇を抱えて病んだ人は多いというが、父は帰還後身体も心も病むことなく仕事を見つけ家庭を築いた。温和な父のどこにそんな強靭な精神力があったのだろう。
そして私が生まれた。
自分でいうのもおこがましいが、壮絶な体験の後で授かった赤ん坊の無垢な瞳は、
どれほど父に希望と生きる力を与えたことだろう。
親になってそれがわかった。

私は父に叱られた記憶がない。
いつも無口で何を考えているのかわからなかった。
思春期にはそんな父が少し嫌いになり、反抗したこともあった。
それでも父は声を荒げるようなことはしない。
悲しそうに私を見つめるだけだった。

やがて大人になった私の結婚が決まり、父はとても嬉しそうだった。
披露宴やハネムーンの予約などやることを抱えて右往左往している私に、旅行会社で働いていた父は得意の手配力でサポートしてくれた。
披露宴では気持ちよさそうに歌まで歌ってくれた。
「なんだ、お父さん嬉しいんだ。淋しくないのかな……」と思った。

けれど里帰りした時の父の嬉しそうな笑顔。
赤ちゃんができたと聞いた時の、ちょっと寂しそうな顔。
(それでも産まれてからはとても可愛がってくれた)
母が亡くなった時、私を抱きしめて泣き崩れた顔。
父は、私が齢をとるほどに少しずつ私に素顔をさらし、甘えてくれるようになった。
それは嬉しい反面、父が年老いたことを実感させた。

父の過ごしてきた日々をもっと聞きたかった。
戦争の辛い経験もできればすべて吐き出してほしかった。
けれども不器用な似た者同士の父と私は、最後まで本音で語り合うことができなかった。

父が亡くなる直前、私は長女の小学校入学を控えていた。
「4月7日、入学式だからそれまでに元気になってよね!」と私が言うと
父は力の入らなくなった手で「入学式」と時間をかけて手帳に記してくれた。
「退院したら、大学で園芸を勉強する。願書を取り寄せておいてくれ」という父の頼みに
願書を取り寄せたりもした。
父は自分の死期が迫っていることを知っていたと思うが、お互い下手な芝居を続けていたのだ。
あの時言いたくて言いたくて堪らない言葉すら言えなかった。
やっぱり私たちは似た者同士の不器用な親子だ。

今となっては叔父も亡くなり、父の生きてきた証を知る人も少ないが
父が必死に生き延びてくれたお蔭で今の私が、娘たちが、孫がいる。
このコロナ禍、もし父が生きていたら何と言うだろうかと考える。
おそらく父のことだ。「お父さんの若い頃はもっと大変だった」などと苦労自慢はしない。
少し考えて「甘いな……。」と呟くに違いない。
今度こそ私はおとなげなく、父に甘えたい。
そして「お父さん、大好きだよ。今まで育ててくれてありがとう」とあの時言いたかった言葉を伝えるのだ。

***

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2020-12-25 | Posted in メディアグランプリ, 未分類, 記事

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