生まれたときに呪いを掛けられた
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「呪いか。たしかにそうかも」
映画で安倍晴明が言っていた。それは簡単な呪いだと。
たしかにそうかもしれない。その呪文を唱えられると、どうしても反応してしまう。
そして自分はいやな気分になる。
そのことを親は謝った。
※ ※ ※
小学生のときから、イヤだった。
他の人にとってはなんてことの無いことなのかもしれないけれど、自分にとってはどうしてもイヤなのだ。
「まさお。オッス、元気?」
「いや、だからそれやめてもらえませんか」
会社でプロデューサーが笑いながら呼んできた。
挨拶されたことをやめてほしいんじゃない。私は自分の下の名前を呼ばれることがどうしてもイヤなのだ。
「まさお」という下の名前。これを私はどうしても好きになれない。
小さい頃から何かあると、はやし立てるように下の名前で呼ばれた。
「まーさーおーくん」。
勉強とか外見とかだったら馬鹿にされても、あまり気にはしなかった。でも下の名前で呼んでくることだけは、どうしてもいやな気分になった。
世代的に間が悪かったのだろうか。漫画やアニメで馬鹿にされるキャラクターに「まさお」という名前が沢山着いているような気がする。
だからなのか。みんな私の下の名前に気がつくと、面白いことに気づいたという顔をして意味もなく下の名前で呼んでくる。
「あ!まさおって……まさおくんじゃん!」
しまった。こいつにも気づかれた。
そうなるとその人に会う度に、いつ下の名前で呼ばれるのだろうかと心配になる。
だってその人が下の名前で呼んできたら、周りにも自分の下の名前が知られてしまうから。
だから出来るだけ、自分の下の名前は表に出さないように過ごしてきた。
自己紹介も名字だけ。イベントに参加して名前を書く時も名字だけ。名前を書く機会があれば名字だけ。ひたすら名字に頼って逃げる。これが名字があまりない江戸時代だったらと想像すると現代でよかったとつくづく思う。
そうやって少しはイヤな思いも回避できた。だけど呼んでくる人がいなくても、思い出させてくることがある。
それはテレビに同じ名前のキャラクターが出てきたときだ。
楽しんで見ていたテレビにいきなり自分と同じ名前のキャラクターが現れて、他の登場人物に名前を呼ばれている。イヤだな、自分のことみたいでイヤだな。
しかもこの名前のキャラクターは何かといじられることが多いことを私は知っている。だからこの後の展開も何となく読めてくる。ああ、やっぱりこの名前は好きじゃない。
「まさおって名前……やっぱイヤなの?」
ソファの上で膝を抱え込んで睨むようにテレビを観ていると、父親がまだ帰ってきていない2人だけの空間で母親が少し聞きづらそうに尋ねてきた。
「……そりゃまあ」
母親はなんとなく私がこの名前で周りから馬鹿にされていることを知っているのだろう。
当時、高校生くらいだった私は、突然、母親に気を掛けられたことで素直に返せなかった。
「まさひろとか、他の名前がよかった?」
「……まあねえ」
テレビの中でまさおくんが泣いている。大事な物をいじめっ子にとられたんだ。
ああ、やっぱりこの展開か。まさおくんってそうなるんだよな。
私が逃げるようにテレビを睨んでいると、母親はテレビを観たままポツリと言った。
「ごめんね、まさおなんて名前にして」
喉の奥がツーンとなる。
「……ん」
そうだよ、なんて言えるはずも無かった。返事にならない声を出すだけで、そのときは精一杯だった。
イヤな思いをさせられているこの名前をつけたのは、目の前にいる母親その人だ。
他の名前にしてほしかったと何度も思った。だけど以前に、その母親から聞いた話を私は思い出していた。
この名前の「まさ」は私が物心ついたときには亡くなっていた父方の祖父から、「お」の字は見た目をかっこよくしたいからと「央」にしたんだ、と。
その話をしている母親は、どこか楽しかったことを思い出すような顔をしていたのを覚えている。かっこいいから「お」にしたのかよと突っ込みたくもなったが、母親のその顔をみて私はそうなの、と返すことしかできなかったような気がする。
だから、母親に謝られたことが苦しかった。
俺にイヤな思いをさせたくてつけたんじゃないんだろう。
良い名前にしたかったんだろう。
それでなんでお母さんが謝らなきゃいけないんだ。
苦しくて、悔しくて、情けなく……。
「やめろよー!」
テレビのなかでまさおくんがいじめっ子に反撃した。だけど、弱い。
簡単に跳ね返されて、結局、主人公に助けられた。
この展開もわかっていた。そう、わかっていたんだ。まさおくんが反撃することを、そのときの私はどこかでわかっていた。
テレビの中のまさおくんはいじめられることはあっても、名前でバカにされることはない。もちろん設定の問題かも知れない。でもそれは彼の名前が原因じゃなくて臆病な性格を持っているからだ。
臆病で優柔不断。だからいじめられる。それでも彼は、大事なもののためなら勇気を出せる。
ああ、いやだ。本当にいやだ。なんだってそんな設定なんだ。おまえはいじめられっ子じゃないのかよ。そうじゃないと俺は、自分のことがもっといやになる。
しばらくテレビを見た後、母親は無言でキッチンへ向かっていった。リビングに陽気なエンディング曲と、母親の料理支度の音だけが響いていた。
※ ※ ※
あれから10年が経ち、私は実家を出ていまは東京でひとり暮らしをしている。
いまも名前が呪いというのは本当だと思う。呼ばれたらつい振り替える。誰に呼ばれても反応してしまうとても簡単な呪い。
そのときにふりかえるのは相手だけじゃない、きっと自分のこともどこかで振り返っているのだろう。だからだと思う、私が名前を呼ばれてイヤになっていたのは。
名前のせいでイヤな思いをしているのでなく、そんな言い訳をして逃げている自分が、どこかでちらつくことがイヤだったんだ。名前がイヤだということそれ自体が、自分がかけたもう一つの呪いなんだ。
この呪いは解けるだろうか。わからないけれど、同じ名前の彼のようにやるときは立ち向かえる勇気くらいは兼ね備えたいと思う。
このことに気づけて、この名前でよかった。そう思う。
***
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