メディアグランプリ

父親はニセモノだった。


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記事:てらっち(ライティングゼミ)

彼女の父親はニセモノだ。

 

少なくとも彼女はそう思っている。

彼女の父と名乗る男は、まるで大橋巨泉のような人で、みかけから態度から本当に似ていた。メガネの小太り、細い目に少ししゃがれた声。いつも横柄でいばっていて、上から目線で命令口調。従わないと言葉でこれでもかとやりこめる男だった。

だからそれに耐えられなかったおとなしい彼女の母は、何度も家出をしたのちに離婚した。

 

親の離婚からこれまで、彼女は長いこと父親とは会ってはいなかった。

母と彼女と弟と三人で、小さな1Kのアパートに詰め込まれるように暮らしていたのだが、貧しい生活ながらも父親と名乗る男の圧力から逃れられるこの生活は、これはこれで快適だった。何者にも縛られない自由がそこにはあり、のんきに好きな本を読んでいられることに幸せを感じていた。

 

ある日、彼女はこんな夢を見た。

 

背の高い、中井貴一のようなスマートでおしゃれな男性が自分の元へやってきて、こう言ったのだ。

 

「わたしが本当のお父さんだよ」

 

そうだ、この人がお父さんだ。

父親と名乗る男がその横で苛立ちをあらわにして母を怒鳴っている。こんな怒鳴ってばかりで母を悲しませる男がわたしの父親であるはずがない。そんな男に父親だとえらそうにされる権利はない。

 

この新しい人が本当のお父さんなんだ!

 

それから彼女は恋愛をし、結婚した。もちろん父親と名乗る大橋巨泉のことを、夢を見て以来、ますます受け入れずに生きてきた。彼女は、ずっとニセモノの父親として扱ってきた。

 

「今度家に来い」

 

父がある日命令してきた。

相変わらず上から目線である。態度はでかいし人の言うことはきかない。あの本当のお父さんならそんなことはしない。彼女の言い分を聞いて、やさしく「遊びに来ないか?」と聞いてくれることだろう。

 

彼女は断るために理由をいくつか並べていると、

「いいから、来い」

大橋巨泉は言い切ると、電話をがちゃりと切った。

 

とても遊びにいく、なんてそんな気分ではなかった。

結婚はしたものの、あまりいい状況ではない。結婚したダンナがもう一年以上も働いてはいなかったのだ。会社が傾き、そのまま給料が払われなくなり、なんとか失業保険をもらいながら彼女のパートの収入で暮らしを立てていたが、子供もいながら働かないダンナという状況を、大橋巨泉にとやかく言われたくなかった。

 

よりによって大橋巨泉は定年退職をしたあと、彼女の近所に引っ越してきていた。

「なんでこんなに近くに引っ越してくるかなー」

彼女はぶつぶつ言いながら、せっかくの休日の予定を変更して大橋巨泉の元へと行くことにした。ダンナと子どもも一緒にご飯をおごってもらおう。これで夕飯が一回浮く。普段は食べられない寿司でもおごってもらえば許してやらないこともない。

 

大橋巨泉は孫たちといても不機嫌な顔を崩さなかった。

それはずっとそのままで、寿司をおごった後も、そのままだった。

「じゃあね、じいじに挨拶してかえろ」

彼女がそう言いながら逃げ出した子供たちをかき集めているとき、部屋に残されたのはダンナと大橋巨泉、二人。

 

「仕事をしろ」

 

大橋巨泉はメガネの奥の細い目をさらに細めて、絞り出すように言った。

「だいたい男が仕事をしなくてどうするんだ。え? 今みたいにずるずると無職のままいる気なのか? 私が一番心配しているのは娘ですよ。今のままなら、娘をかえしてもらいたい」

 

営業上がりの丁寧な口調でありながら、やはり重圧感のある、巨泉の言葉に、ダンナはたじろいだ。

 

「……仕事、探します」

 

彼女は目を瞠いて大橋巨泉を見た。

母親が死んでから、もうわたしを守ってくれる親などいない、と気丈に生きてきたのだ。

父親なんかに頼らなくても生きていけるとずっと信じて生きてきたのだ。そんなクリスタルのように固く、そして氷のように冷え切った心を、大橋巨泉の言葉がじんわりと溶かしていった。

大人になった今、少しわかるようになった、と彼女は思う。考えてみると、父親も弱い人間だったのだ。弱いから大声で怒鳴り、人を従わせなければ自分のアイデンティティが失われてしまう、そう信じる弱い人間だった。

そして、彼女を愛する父親であった。

 

大橋巨泉は中井貴一になることはなかった。しかしニセモノの父親ではなくなった。

 

 

 

……後日、そう、弟に話しをしていると、弟はぽかんとして彼女の話す顔を見つめた。

「なんでニセモノだって思ってたのさ?」

「思うさ。あんな大橋巨泉みたいに態度がでかくて横柄で、お母さんをいつも泣かせるような人が父親だなんて死んでも思いたくなかったからね」

「だって、ねーちゃん」

弟はクスクスと笑って言葉をつづけた。

「ねーちゃんが一番おやじにそっくりじゃねーか」

「え?」

「一緒だろ? 態度はでかいし、上から目線でしゃべるし。それに本も似たような本いっぱいもってるだろ? 知らない?」

 

父親の書斎に走る。彼女の持っている本と同じ本がずらりと並んでいた。今まで興味がなくてそんな話をしたこともなかったが、邪馬台国の歴史なんて本がずらりと並んでいる。まるで自分の部屋をみているようなラインナップだった。

 

「あんたら、ちゃんと親子だよ」

 

彼女はへなへなと父親の書斎に座り込んだ。

そこに大きな姿見があった。彼女がふとそちらを見ると、父にそっくりな自分がそこにいた。

 

***
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2016-08-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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