チケット《プロフェッショナル・ゼミ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:山田あゆみ(プロフェッショナル・ゼミ)
「どうにかしなくちゃ」
頭の中を、この言葉が駆け巡っていた。
一旦、深呼吸をして再び携帯の画面を見つめる。
この状況で頼れるのは、この携帯だけだ。
その日、私はヤフオクドームへ行った。
ライブを見るために、友人に誘われて、出かけた。
正直なところ、特別にそのアーティストに思い入れがあったわけではない。
なんとなく、暇だし、曲は結構好きだし、行こうかなと付いて行っただけだった。
それなのに、そんな軽い気持ちで参加したライブに、私は完全にノックアウトされていた。
こんなに幸せな時間がこの世に存在したのか! というくらい完璧な3時間だった。
心をとろけさせるような甘い歌声。軽やかなダンス。楽しいトーク。派手でかっこいいステージ衣装。感動したり、唸ったり、ドキドキしたり、大笑いしたりと忙しい時間だった。
良すぎた。楽しすぎた。
もう、完全に落ちた。
それは、見事に恋に落ちた。
普段、私は何をしていても「その時間」に集中することがなくなっていた。
仕事をしていても、遊んでいても、何か別のことを考えてしまう瞬間というのが、よくあって、ここにいながら、他のことも考えていて、なんだか気が散るようなことが多かった。
それは、色々なところに悩みがあって、上手くいかない事が多かったせいだった。
仕事も、人間関係にも、いろいろな問題があって、ストレスでいっぱいだった。
慢性的に、なんとなくスッキリしない日々が続いていた。
だけど、ライブの時は違った。
没入した。
完全に、我を忘れていた。
幸せとは、それ以外考えられないくらい与えられた「今、この瞬間」を生きることだ、と思う。
そうであるなら、まさしくそのライブは幸せそのものだった。
心も体もそこに集中しきっていた。
それから、友人とご飯を食べて、ライブの話や、他の話をしたのだけれど、私の頭はもう明日のことばかり考えていた。
明日も、信じられないくらい素晴らしいショーがまた開催される。
しかも、この地で。
ライブは、土日の2日間連続で行われる事になっていて、私たちは土曜日のライブを見に来ていたのだった。
それなのに、私は明日のライブが見られない。
チケットがないから!
彼らは、ここにいるのに。
そして私も、ここにいるのに!
同じ時間に、またあの夢が味わえるはずなのに。
同じライブは、もう二度とない。
どうして、友達に次の日のチケットも頼まなかったんだろう。
そもそも、どうしてファンクラブに私は入っていないんだろう。
なんで、なんで、なんで!
一生のうちに、こんな興奮を何度味わえるだろう。
こんな幸せは何度訪れるだろう。
そのチャンスは、ここにあるっていうのに、どうしてそれをみすみす逃せよう。
彼らのライブは、大人気でファンクラブでもチケットが当たらない事が多い。
明日のチケットも、満員御礼の完売で、当日券はもちろんない。
という事は、ライブは見られない。
ライブで得た幸福感の中に、段々と次の日のライブを見る事が出来ない絶望感が入り込んできた。
もはや中毒だった。
アルコール中毒の人ってこんな感じなのかもしれない。飲んでいるときは、その楽しさで全部忘れていい気分になるけれど、お酒が抜けるとまた飲みたくてたまらなくなる。
ライブの高揚感の後に来るのは、次のライブを観たくてたまらないという激しい衝動だった。
見たい、というか見ないといけない。
そうしなくちゃダメだ。
一生後悔する。
そう思った。
もうこうなったら、何とかするしかない。
なんとかして、どんな手段を使ってもチケットを手に入れるしかない。
Googleの検索画面に、思いつくだけの情報を入力した。
完売のチケット それでも見たい時 チケット 買う 当日 チケット欲しい チケット購入 完売 ○月○日ライブ
知ったのは、オークションとか、ツイッターとか、そういう手段がある事だった。
それに、都合が悪くなってチケットを売りたい人と、買いたい人を結ぶサイトも沢山存在した。それらをひたすら交互に見る。
今日、聞いた曲を何曲も早速ダウンロードして、エンドレスにリピートしながら、画面を見続けた。
あー、この美しいバラード、一曲でいい。これ一曲聞けたらもうそれだけでいいくらいに明日のライブに行きたい。出来れば、この曲も、あのダンスも、もう一回見たいけど。やっぱりトークも聞きたいし、あの衣装に身を包んだメンバーが見たい。絶対に行きたい。あの場所で、ステージを見たい。一体感に包まれた会場で、美しい歌声と惚れ惚れするダンスに酔いたい。
そんな事ばかり考えながら眠りについた。
次の日の朝、起きてまずしたのは、とにかくネットをチェックする事だった。
どのサイトは信用出来るのか、どうやって買ったらいいのか。
検索をし続ける。
チケット詐欺について書かれた記事がどんどんと出て来る。
知らない人とお金のやり取りをするのは、正直なところ気が引ける。
なんか、怖い。
でも、当日券がないとなると、見知らぬ人から譲って頂く以外に手段はない。
ということは、見知らぬ人に会ったり、お金をその人に渡したりしなくてはいけなくなる。
何だが大変リスキーな事に思えた。
私は、悩んだ。
そうこうしているうちに、ライブの時間は近づいてくる。
とりあえずもう、会場に行こう。
そう思った。
とにかくここで、どうしようと考えていても始まらないじゃないか。
少しでも、ライブに近づきたかった。
会場へは、駅からバスが出ている。
私は臨時のバスに乗りこむ。
思い思いの格好をしたファンの一群に出迎えられる。
一人として、「普通」の服を着ている人はいない。
皆、どこかに「アーティスト色」を出している。
「昨日、彼らはどこに行ったんだろうね」
「あー、何買おう、グッズ。てか、席どうかな」
バスの中には、当たり前にこれからのライブへの期待感が漂っている。
みんながライブの話をし、アーティストの事を話している。
メンバーの真似をしている女の子は、今日はアンコールちょっと長めにしてくれないかと隣の、これまたメンバーの真似をして衣装も髪も決めている彼氏に話しかけている。
「今回、アリーナだからね。楽しみ」
席は、グッズは、そんな事ばかりみんな話している。
あー、私は何をしているんだろう。
どうして、彼女も彼もチケットを持っているのに、私にはないんだろうか。
このバスに乗っていて、チケットを持っていないのは、私くらいだろう。
この当然のごとく今日のライブのために期待で胸を高鳴らせている人々に、私はチケットも持っていないのに会場に向かっているなんて知られたくない!
急に、そんな気持ちがむくむくと湧いて着た。
なんかめちゃくちゃかっこ悪い。
チケットもなく、観られるかもわからないのに会場行きのバスに乗っているなんて。しかも一人で。
もはや、バスに乗っている人みんなが、手の届かぬ特別な人にさえ見えて来る。
どの人もファンクラブだったり、友人のツテだったり、何なりでチケットを手に入れている。
すごい事だよ、入手するの大変なんだぞ。
あなた方、実はすごいんだよ、当たり前にライブが見られると思うなよ。大事に観ろよ。
思わず、心の中で語りかける。
バスは、渋滞した道を行く。
何だか昨日よりはるかに、時間がかかっている気がした。
でも、とにかくこの人たちみたいにあちら側へ行かなきゃ。
その為に、頼れるのはもう私の携帯だけだ。
そうして、またひたすら検索を続ける。
チケット、誰か譲ってくれ!
ふと、違和感を感じで、首に手を当てる。首がめちゃくちゃ凝っていた。
昨日と今日で、もう、ネット上に出ている全てのチケット情報は見たんじゃないか、というくらい見てしまっていた。
あまりにネットの見過ぎで、首まで痛くなっていた。
そうこうしているうちに、会場に着いた。
バスの中どころではない、「はしゃいだ気分」が会場の外には漂っていた。
グッズ売り場には、長蛇の列が出来ており、ツアートラックの前にも、溢れんばかりの人が殺到している。
彼らの音楽がガンガン流され、いくつかの写真を撮るのに最適なスポット前には、彼らのツアージャケットを着て、タオルを掲げて飛び切りの笑顔を浮かべる老若男女。
メンバーのそっくりさんが、あまりにメンバーに似ているという事で、人に囲まれている。
楽しさが弾けている。
それらは、全て昨日も見た光景だった。
でも、こんなに輝いては見えなかった。
昨日、この光景を見た私は、盛り上がってるねーと、友達と共に会場の外を歩き、中に入ったまでだった。
まさか、ここに今日一人で、チケットも持たずに帰って来るなんて、あの時は思ってもみなかった。
ちょっとでも「はしゃいだ気分」から遠いところにいようと思い、あまり人気のなさそうなテレビ番組会社ブースの横に移動した。
そこには、私と同じように一人で所在無げにキョロキョロしている人が何人かいる。
なんとなく、みんな心細そうだ。
私は一人ではなかったのだ。
きっと、この人たちもチケットがないのに、居ても立っても居られずに、会場に来てしまったに違いない。
なんだがちょっと元気を取り戻し、私は再び携帯を見る。
彼女たちのうち何人かも、携帯を見ている。
仲間を見つけた嬉しさは一瞬にして、この人達にチケットを奪われたらどうしようという不安に変わった。
彼らは、ライバルじゃないか。
やばいぞ、こんなにもみんなチケットを欲しているんだ。
先越される前に、買わなきゃ。
私は、目星をつけておいたオークションに思い切って登録して、入札してみた。
しかし、どんどん値段は上がる。もしかしたら、ここにいる人達が入札しているのかもしれない。
この横にいるお姉さんが、入札のライバルかもしれない。
そう思うと気になって仕方ない。あぁ、もうやめてよ。
そんなにお金持ってないよ。
その矢先、後ろから話し声が聞こえて来た。
思わず振り返ると、先ほどの一人でキョロキョロしていた中年女性の元に何人かの女性が駆け寄って来ていた。
「もう人が多かけん、会うともなかなか大変かね」
と、ニコニコしている。
途端に、待っていた女性にも、笑みが広がった。
彼女はただの待ち合わせだったのだ。
「あちら側」の人だったのか、何となくがっかりしたような、ほっとしたような気持ちで、再び画面を見る。
オークションの金額はどんどん膨れ上がっていた。
諦めるしかなさそうだ。
他の目星を付けておいたページを行ったり来たりする。
でも、何となく、どの情報も信じられず、決定打にかけて、買いますと言い出せないでいた。
騙されるような気がする。
時間は、どんどんと経って、もう開演の1時間前になっていた。
チケットを持っている「あちら側」の人達はどんどん会場に吸収されていく。
もう無理かも、と思う。
こんな短い時間で、どうやってこのチケット譲りますという投稿から、怪しくない人を見抜いたらいいんだろう。
仲間であると同時に、ライバルだと思っていた人達も、そのほとんどが、待ち合わせだったようで、数を次第に減らしていた。
心細さと焦りが募る。
どうしようか。
会場の外でも、ライブの歌声くらいは漏れて来て聞こえるんじゃないだろうか。
それでも、もういいんじゃないか、と無理やり自分を説得した。
でも、あの期待感でいっぱいの人たちが、今度はライブの高揚感いっぱいになって帰って来る中で、一緒のバスにまた乗るのはもう嫌だな。
私、ライブ見てないのにって思うんだろうな。
その時だった。
新着情報が、すっと目に飛び込んで来た。
「どうしても一緒に来る予定だった家族が来られなくなりました。私たちと一緒にライブを楽しんでくれる方にお譲りしたいです」
これだ!!
この人は、信用できる。
直感して、すぐに連絡した。
「ご家族、来られなくなって残念ですね。私、本当にどうしても今日の公演が観たくて、会場に来ているんです。チケットを譲っていただけませんか」
すぐに返事が来た。
良かった!!!譲ってもらえた!!!
お母さんと、娘さんの二人が、待ち合わせ場所には待っていた。
ほっとした。すごく優しそうだ。
お姉ちゃんが来る予定だったのに、急な仕事で来られなくなったらしかった。
「これも何かの縁だね。本当に、好きな人と一緒に見られて良かった」
私が、どれだけこのライブが見たかったか、思わず力を込めて語ると、そう答えてくださった。
チケットを手渡されても、正直なところ実感がわかなかった。
もう無理だとほとんど諦めていたのだ。
本当に、ちゃんと席でライブが見られるなんて。夢かもしれない。
夢じゃないとちゃんとわかったのは、彼らがステージに登場した時だった。
三人で、かっこいい! と、歓声を上げた。
出て来た瞬間、思わず隣にいた、チケットを譲ってくれたお母さんと、手を握り合った。
「やばい!!!!」
感動を分かち合う。
来られて良かった。
本当に良かった。諦めなくて良かった。幸せが全身を駆け巡る。
一生忘れられない、最高に最上な時間が、幕を開けた。
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