プロフェッショナル・ゼミ

【人生初の同性への告白】実を言うと、あの福岡天狼院書店、メイド店長のことが知れば知るほど怖かった《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミプロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:田中望美(ライティング・プロフェッショナル)

 

突然ですが、あなたはどのタイプ?

人に褒められて伸びるタイプ?

それとも、
人に注意されて、なにクソと思って伸びるタイプ??

私は後者でした。
お前はここがダメなんだー!
とストレートに言われたほうが、なにクソと思ってやる気が出てくるタイプ。逆に、ほめられると、うれしいんだけど、それに勝る変なプレッシャーを感じて、その後全くダメになるタイプ。

なんででしょう? なんで、人間、二つのタイプに分かれちゃうのか。しかも、最後のゆとり世代の私が、なぜよりによってほめられて伸びるタイプではなく、けなされて伸びるタイプなんだろ?

こんなどうでもいいようなことを考えていたのですが、明らかな理由が見つかりました。
そしてそれは、私の現在と未来にとって、全くどうでもいいことではないと気づいたのです。だから、あなたもきっとそう。すべての人にとってどうでもいいことなんかじゃない。

答えは、子供のころからの環境にありました。

私は小学生から空手を習い始めました。空手の練習は、今の時代には考えられないような過酷さです。どれくらいかというと、先生は、5歳の子にも、容赦なく怒鳴りつけ、頭をたたき、足をひっかけて尻餅をつかせます。それを何度も何度もです。小学生ながら、その子がかわいそうで泣きそうになりました。みていられない、という感じです。そしてそれはもちろん男女関係なく、です。

これでお分かりの通り、練習時の先生は、それはそれはもう怖くて厳しかったです。形(決まった型の動きをする競技)のポーズをとって止まっているとき、みしり、みしり、と後ろから近づいてくる先生に、叩かれるんじゃないかと気が気じゃなくて恐ろしい。足音が近づくにつれ、徐々に自分の肩の力が入っていくのがわかりました。でも今、後ろなんか振り向いてしまったら、絶対的に叩かれるか蹴られる。だから絶対に振り向けない。目線を変えることさえできない。この怖さ、尋常ではありません。だから、先生が何もせずに通り過ぎたときの何とも言えぬ緊張の途切れ感といったら……このことは、今でも強く記憶に残っています。なのに、そんな、あり得ないくらい厳しい先生のもと、私は7年間、その道場で空手を続けたのです。もちろん途中で辞めていく子は多くいました。しかし私はその厳しくて怖くて嫌な週三日の練習に通い続けた。それはなぜか。

先生はいつも言っていました。それは、気持ちで絶対に負けるな、ということ。
武道の心を教えてくれたのです。
相手と戦うとき、絶対に気持ちで負けるな、どんなに相手が大きかろうと、強かろうと、心で負けるな、絶対自分はこいつに勝つんだという気持ちを持て、と。

いつも、先生は正座をして長く一列に並んだ私たちを前に、自分の胸に手を当て真剣に語っていました。その言葉に私たちは「押忍っ!」と声を上げる。

子供ながらに、その言葉をしっかりと受け止めたのでしょうか、私はどんなに殴られようと、蹴られようと、大きな声で怒鳴られようと、練習に励んだのです。何度も泣きました。時には何とかして辞めざるを得ない理由を探しました。

私は組手(相手と対面して戦う競技)がものすごく嫌いでした。なぜなら、お互い痛い思いなんてしたくないし、させたくもないのに無理やり戦わされるのです。自分が相手を殴って痛い思いをさせたら、それに怒って今度は相手が私を強く殴ってくるかもしれない。それが怖くて、怖くてたまらなかったのです。だから、相手に攻撃したくなかった。戦いがより激しくなるくらいなら、自分が殴られているほうがましだ、と。だから、当然のごとく私は弱かった。先生の言うように、気持ちで負けていたのです。

だけど、空手を長く続けるうちに、私の心に変化が起こりました。自分にも相手にも気持ちで負けていていいのか? こんな弱い気持ちでいいのか? 
このままではいけないと思ったのです。実際に私は、小学校でも、気の強いお兄ちゃんばかりの兄弟に生まれた女の子にいじめられていました。言い返せばいいのに、言い返せない。いつも流されるまま。やられっぱなし。空手を習っているというのに。

そんなこともあって、強くなりたいという思いが芽生えたのでしょう。だから厳しい練習に耐え抜いてこられたのです。その日から私はいろんな人やことに、なにクソと思って練習に励みました。先生に対しては、なにクソと思わなければやっていけませんし、組手の相手にも心の殻を破るようにおりゃーーーー! と向かっていきました。型をするときも、目の前に、襲ってくる相手が本当にいる感覚でやりました。すると、意外なほど清々しい。

頑張れば頑張るほど、結果はついてきました。九州選抜の選手に選ばれ、メダルも数多く獲得しました。全国大会にも3度出場しました。自分が強くなっていく喜びを実感できて、とてつもなく嬉しかったです。気の強い女の子に対する気持ちの持ち方も変化しました。今までは、怖がって何もできなかったけど、初めて言い返すことができるようになりました。すると、その女の子は、暴力をふるってくるようになりました。私も負けじと頑張って、取っ組み合いになったこともあります。
でも私は、これは武道の心で教えられたことに反すると思いました。先生は、自分の心に負けるなと言っていましたが、同時に謙虚な心も持て、と言っていたのです。先生の教えによって、私はこう思うようになっていました。私は空手を習っているから、本気で戦ったらあの子より強い。だから私は何をされても、絶対によけるだけをしよう、と。私の習う空手は、実は自分を守るために作られたものでした。だから組手も、本当は全て寸止めでないといけません。思いっきりあてるようなことをすれば、反則を食らうのです。それくらい精神的な強さと忍耐力を幼少期に養ってくれたのが空手でした。

でも、私が一番うれしかったのは、試合に勝った時でも、あの女の子をついに泣かせた時でもなく、あれほど厳しくて怖い先生に認めてもらえた時でした。よくやった、と背中をぼんっと叩かれた時。形に磨きが入って、そうだ、その調子だと言われた時。涙が出るほど嬉しいのです。どんなにけなされても、叩かれても、自分に負けずに、なにクソと思ってがむしゃらに頑張って本当によかった。そう思える瞬間が一番うれしかった。先生は本当に本当に本当によっぽどのことがなければ褒めることがなかったので、なおさらです。
そして、次の日が来れば、この間認めたもらったことが幻だったかのように、いつも通りの先生へと戻ります。あの喜びは本当に一瞬で、すぐさままたあの厳しい稽古の日々なのです。けれど、私は幻滅することなく、むしろよっしゃ、と思って稽古に向かっていました。あれが幻だったとしても、また食らいつくように練習して、認めてもらえればいい。すでに、この厳しい稽古が自分にとっての当たり前になっていたからです。褒められることのほうが、異様。だから、厳しい稽古はいつもの日々に戻る感覚でした。

今考えると、あの尋常じゃない厳しさは、愛情にあふれていたように思います。武道を通して教えてもらった作法も、礼儀も、心の在り方も、すべて私たちのことを思ってのことだったからです。じゃなければ、あんな体力のいるような喝を週に3回ずっと入れてくれるでしょうか? 先生だって家庭があり、普通に働いていて、自分の生活も持っていたのですから。そう考えると、とてつもない魂を込めてくれたようにしか思えないのです。

 

こんな強烈な経験をしたからこそ、何かすればすぐに褒められると、逆に気持ちが燃えないし、変なプレッシャーを感じてしまい、うまくいかなくなってしまうんだと思います。

だから、自分が褒められて伸びるタイプか、なにクソと思って伸びるタイプなのかは人それぞれだと思います。育ってきた環境の違い。どちらであっても、結果成長するのですから。

でも、私にとって、これには一つ問題がありました。

それは、大人になればなるほど、注意されること、けなされること、怒られることがなくなってくるということ。社会は調和を求めます。いかに効率的に物事を進めるのか、人間関係を保つのか、そんなことばかりです。あの頃のように、本気で向かってきてくれる先生はほぼいません。

だから、私の心はだんだんくすんでゆきました。芯を持った強い心も弱まっていきました。なぜなら、なにクソと思って頑張ることができなくなっていたからです。上手だね、と言われれば、そこからもう伸びません。できる限りの力でいいんだと言われると、そこで終わりです。

そんなんでいいのか、いいわけがない。
でも、どうしたらいいのかもわからない。
私の伸びる術は、どうやったら手に入るのだろう。

 

 

そんな時に出会ったのが、現在の天狼院書店店長である、川代紗生さんでした。

彼女は、顔も整っていて、高学歴で、多くの人から称賛されています。なぜなら、多くの人の心の奥底に潜む気持ちを言語化し共感を得る文章を書くことができるからだと思います。私もその一人で、彼女の文章に泣かされたり、興奮させられたり、とてつもない勢いで吸い寄せられ、あっという間にファンになっていました。

そんな彼女を生で見たのは、天狼院の一大イベントである天狼院旅部でした。ずっとお話ししたかった彼女と運命的にバスで隣通しになり、集団行動をするチームも同じになったのです。あの、猛烈に憧れた彼女が今ここにいると思うと、有名人と会えた時のように、どうしようという気持ちが溢れました。同時に、彼女の書く文章がどのように生み出されるのかとか、生い立ちだとか、深いところまで聞きたくてしょうがなく、緊張と欲求で葛藤していました。でも、旅部の趣旨はそこではないため、旅を楽しんだだけで旅を終えてしまいました。

だから、文章の中の彼女しか私は知ることができなかったのです。

実物の彼女はよくわからない。知りえたのは、世の中の怨念をパワーにして文章を書いているということ。その根源が私たちの心の奥底眠る感情をえぐってえぐってえぐります。だから、絶大なる共感を得る。

そんな彼女が福岡へ来て、普通に関わり合いを持てるようになると、自分のことを見透かされているようで、私の行動や態度を様々な角度から見て、怨念として受け止められているんではなかろうか、と思えてきて、少し怖さを感じていました。もともとなのでしょうが彼女は無表情なことが多いです。でも、何かを突き刺すように見ている眼をしています。あまりべらべらしゃべるようなことはありません。いつも淡々と仕事をしています。イベントなどで、興奮したりされていることももちろんあります。でも、その後のふっといつもの彼女に戻った姿を見ると、何を考えているのだろう、何を思われているのだろう、と怖くなってくるのです。

だから私は、彼女を知れば知るほど、近くなれば近くなるほどよくわからない恐怖を覚えました。彼女の偉大さがそうさせるのだろう、そう思って、少しおびえた足取りで天狼院の階段をのぼったこともあります。もちろん、私だけがただそう思っているだけで、本人は何とも思っていない、ということは十分にあり得ることです。だけど、

あんなに憧れていて、純粋にすっげーーー! と思っていたのに、
実を言うと、彼女のことを知れば知るほど怖くなった。

 

そう、思っていた。そう思っていました。

 

でも。
ある時気づきました。

私が彼女にだんだんと怖さを感じるようになったのは、彼女のせいなんかではなく、自分の中に原因があるのだ、と。

彼女に怖さを感じるのに比例していた唯一のことが、私の文章の評価だったのです。書き続ける中、だんだん天狼院のWEBへの掲載率が上がり、称賛してもらえるようにもなってきました。彼女に出会った当初は、全く書くことに自信がありませんでしたし、一生懸命書いた記事も悉くボツです。つまり、彼女には到底かなわないと思っていたのです。次元が違いすぎる、私とは住む世界が違うんだ、と。

それが、書き続けるうちに、書くことがものすごく面白くて、自分の文章にもだんだんと自信がわいてきました。読んでくれる人がいて、ほっこりした、感動した、決意が感じられたと言ってくれる人たちがいる。まだまだだと感じる側面、いけるかもしれないという自分の可能性に光が差してきたようにも思えたのです。

ここまで来て、ああ、と思いました。

 

私は、彼女に会うたびに、彼女に追いつける、追い越せると思ってしまっている自分に脅えていたのです。無意識に、そう考えている自分がいることに怖さを感じていたのです。そしてそれを見透かされるんじゃないか、と。それが、身震いしてしまうほど恐ろしい。

だって、最近なんだか書き始めた私が、学生時代に出版社から本を書かないかと言われるようなすごい人、そして私なんかよりずっと長く書き続けてきた人と同じ目線に立つことなんてできるはずがないのに。ましてや追い越すなんて、滅相もないこと。

それなのに。
私にはどんどん書くという意欲が溢れて、彼女に対して、追いつけ、追い越そうと考えている自分がいる。どうすれば追いつけるのか、そもそもどうなれば追いつくのかなんて全然わからないというのに。それなのに、彼女のようになれるんじゃないか、そして彼女を追い越せるくらいの記事をかけるのではないかと思っている心の中をいたずらに駆け回る気持ち。そんな自分が怖い。そんなことできるわけない、いや、できないとは言い切れない、でも……

 

 

私の中の何かがふつっと切れたのは、次のことに気付いたときです。

これが私にとっての唯一の、なにクソと思って自分を伸ばす術であるかもしれない。

私がここで宣言すれば、多くの人にこんな大胆な告白をしてしまったことになり、誰に何と言われようと、書き続け、上を上を目指さなければなりません。

そしてなんといっても、本人にも知られることになる。自分で言っておいてですが、恐ろしいことです。ますます、怖気づきそうです。なんてこといってしまったんだろうと思います。彼女がどう思うかは想定することもできませんが。

だけど、こうも思います。

本気でぶつかってくれるような人が少なくなった今、自分で自分を追い詰めて、自分が成長できる環境をつくっていかなければ、どうやってプロのダンサーやライターになっていくのか。いつまでも人から作ってもらった環境でなければ成長できないなんて、そんなの嫌だ。自分から自分がのびのびと進んでゆける環境をつくらなければ、一生周りの環境に左右され生きることになる。私はもっと自分の自由な人生をつかみたい。自分で自分の世界をコントロールしていきたい。

なにクソと思って伸びるタイプだった私は、自分で自分を突き上げるような環境に身をおくことで成長していこうと思いました。

彼女と私。
彼女と私は全然似ているとは言えません。それは当然のことです。そして、書くということに、勝ち負けや上下関係などないこともわかっています。一人一人が魂を込めた記事を書く。それが読み手にどんな影響を当えるのかは、書き手には手を出せない部分がある。

だからこそ、書く者同士で、刺激しあっていくことが必要なんだと思います。もしかしたら、私には一人、そんな特別な同志がほしかったのかもしれません。

紗生さん。
私は紗生さんの目指すような崇高な土俵に足を踏み入れようとするのが怖かった。
打ちのめされるのがありありと見えるので、怖かった。
でも、私はそういう状況に飛び込んでこそ、踏ん張れるタイプの人間だった。そのことを、忘れてました。でも、たった今、思い出すことができた。

勝手に紗生さんを意識して、頑張らせていただきます。紗生さんという存在がいてくれるおかげで、どんな壁にもぶち当てって行けそうです。感謝と敬意をもって、これからもよろしくお願いします。

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミプロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。

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