プロフェッショナル・ゼミ

私の笑いのツボがおかしいのは、予知能力があるからです。《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:田中望美(ライティング・プロフェッショナル)

「のんちゃん、笑いのツボがおかしすぎるよ」

私は最近、多くの人にそう言われる。

それはたぶん、あの日のことが原因なんだろう。

私が、一つ下の後輩たちの定期演奏会を観に行った時のこと。

私は大学で、和太鼓サークルに入った。サークルと言っても、よくあるような飲みサー(お酒を飲んでどんがらがっしゃん、のサークル)とはかけ離れた、部活のようなガチのサークルだ。その証拠に、私たちの合言葉が「ガッツリガッツリー!!!」であることがある。毎年、50か所以上から演奏依頼をいただくほどで、春合宿、夏合宿は鬼のように練習に入り浸る。手に血豆ができるのは当たり前で、それでもたたき続ける。お風呂に入ってシャンプーをするときの声にもならないほどのしみる痛さは和太鼓サークルあるあるだ。先輩後輩との上下関係も少なからずあって、ほんとにこれがサークルでいいのか? と何回も疑いたくなるほどの力の入れようだった。

そんな私たちが一番命を懸ける演奏が、この定期演奏会なのだ。私たちはこの日のために、依頼された演奏イベントをこなしながらも、毎日毎日和太鼓の練習をする。バイトもする暇がないくらいこのために時間を費やす。ポスターや集客、照明や舞台関係の打ち合わせなども自分たちで行う。そして、なんといっても、わたしたちのサークルには、指導者というものがいない。だから、技術面においても自分たちでプロの太鼓打ちを研究したり、先輩からの教えを懸命に身にしみこめたりしながらやっていくのだ。まさにお互いを鼓舞しあう。誰もが素人だからこそ、みんなで技術を高めあっていける。そんな集団だった。

そんな、大学生にもなって熱く濃い時間を一緒に過ごしてきた一つ下の後輩たちの晴れ舞台を観に行かないわけがないのだ。どんな演奏を見せてくれるのかというワクワクした期待と、私たちの代の演奏を超えられたら悔しいな、というまさに親とライバルという気持ちを同時に持って駆け付けた。

案の定、圧巻の舞台であった。後輩たちの圧倒的な成長と滲む努力が感じられる演奏に、涙が止まらなかった。

しかし、ここで事件が起こった。

私は、残念ながら後輩たちの演奏会を観に来ることのできなかった同期の友人から頼まれていたある曲の動画を携帯で撮っていた。友人はその曲に強い思い入れがあったため、始まる前からバッチリ、スタンバイをしていた。

無事その動画を撮り終え、これで友人も喜んでくれるだろうとホッとする思いでいると、次の演目が始まった。それは、漫才である。なんで和太鼓なのに漫才?! と思われるかもしれないが、これもお客さんと演者のための思いやりである。白熱した、繊細な和太鼓の演奏をじっと座って長時間観てくださるお客さんの緊張感を解きほぐしてもらおうということ。私たちの演者の舞台裏の準備をするため。そんなお互いに必要な演目なのだ。

なんてったって、大学生。お調子者で笑いのセンス抜群な芸人のようなやつが一人や二人はいる。そんなやつが漫才をして場を和ませる。これが予想をはるかに超えて面白い。会場が笑いにあふれていた。クスクス、あっはっは、周りからいろんな笑い声が聞こえてくる。私も同様、豪快に笑わせてもらっていた。

漫才は見ることに価値がある。人がアホになって馬鹿正直に演じるから面白いのだ。それを文章化すると、途端に面白さがなくなるだろうから、ここには大雑把すぎるほどの大雑把さでその内容を書くことにする。

二人の手足が短い男子学生が出てきた。彼らはしょっぱなから手と足が短いことを自虐ネタとして売りにしていた。そんな彼らは、先輩と後輩同士で、何気ない会話から始まった。

「今日のために毎日毎日太鼓ばっかり叩きよったよな」

「バイトも何にもできんよね」

「お金ないっすね」

「先輩、何かいいバイト知りませんか?」

先輩は、ラーメン屋で働いていた経験をもとに、湯きりの仕方を後輩に教え、お前もやってみろ、とふった。
後輩は、懸命に湯きりの動きをした。上から下に腕をしならせる。キレがある。先輩がそれを何度も何度もするようにはやしたてるもんだから、後輩は息を切らしながら、何度も何度もそれを繰り返す。するとどうだ、太鼓を打つ時のフォームに早変わり。

「おい、お前、それ太鼓ば打ちよるぞ。なんしよんねん」

「えっ? えっ?(エアー太鼓を打ち続ける)」

「毎日毎日、ぶっ倒れるくらい練習してきたもんな~」

先輩は、同情するように後輩をなだめる。すると会場から笑いが起きる。

さて、次の漫才が始まった。先輩は今度は、ガソリンスタンドのアルバイトを進めているようだ。腕を体の前で大きく回しながら

「オーラーイ! オーラーイ!」と掛け声の手本を見せる。

私はなんとそこで爆笑してしまった。
まだ、誰一人笑っていない。私一人の笑い声が会場に響き渡っていた。さらに致命的なのは、そのことに私は気づいていなかったのだ。みんな、笑っているものだと思っていた。何たること。いや、でも観にこれなかった友人のために、この漫才もついでに動画に撮っておいてあげようと思い、動画をとっていたから気づけなかったのだ、という言い訳でもしておきたい。いやー、友人のお気に入りの後輩が漫才をしていたのだ、撮らないわけにもいかない。動画をとっていなければ、私は周囲の沈黙と舞台ではない方向への注目に気づいただろうに。

そんなことも知らずに、私はただただ笑い続けていた。その証拠は自分自身で撮った動画にも残っている。

振り返ってみると、そもそも問題で、そこは笑うところではないということがはっきりしている。笑いにはオチがあって、そのオチで会場一体となって笑いが起きることは誰もが知っていることだ。

ところがどうだ。私はオチでも何でもないところで爆笑していた。これまでの流れでオチが来るだろう場所はわかっていたはずだ。それなのに、私はオチが来る前の前で、ありえないフライングように笑ってしまっていた。

第一部が終わり、一部と二部の間休憩中に、一緒にみていた同期のサークル仲間たちに口々にいじられた。

「いや、のんちゃんのツボおかしすぎやろ、どこがそんなにおもしろかったと?」

「変なところで笑いよったやろ? のんちゃんの笑い声、ここまで聞こえてきたばい」

「えーーーーーー?!」

ああ、またやらかしたと思った。いつものことだから、周りは温かな目で見てくれているが、嘘だろ、恥ずかしい……という思いがぬぐえなかった。

なぜ、私の笑いのツボは変だったのか? 私が変人だからだろうか? いや、そうではないと願いたい。頭は正常なはずだ。

その理由に気付くことが出きたのは、意外な時だった。

それは、いろんな人の書いた記事を読んでいるときだったのだ。

これまでは、「へー!」「えー!?」という気持ちで本や記事を読んできた。しかし、次第にインプット量とアウトプット量が増えてくると、読むときの気持ちが、「あ、次はこうなるかも」「なるほど、こうだから、こう言ったんだろうな」というように、自然に変化していっていたのだ。

先がみえるようになった。その一文を読むだけで、いろんな情報が頭に浮かんでくるようになった。まるで、予知能力みたいだ。そう思って、面白くなった。

とすれば、つまり、私がオチの前で大胆に笑ってしまったのは、その先輩の「オーラーイ! オーラーイ!」の仕草だけで、その後の後輩が横内(腰を据えて横向きに置いた太鼓を叩くちょっと変わった叩き方)をはじめるのだろう、というイメージがありありと見えすぎたのだ。そうだ、それしか理由はほかにない。私は笑いのツボがおかしいのではなく、予知能力のような鮮明な想像力が働いたからだ。よかった、私はまだまともな人間でいられる(笑)

それは何も、インプットするときに限ったものではないのかもしれない。アウトプットするときにだって、読んでくれる人のことを考えて書くのだから、それは先を見越しているといえる。演劇だって、そうだ。そのキャラクターとセリフの中からどんな動き方、声の出し方をするのかが見えてくる。

私は、インプットとアウトプットにいそしむ中で、自然と予知能力を身につけていたようだ。やっぱり書くこと、読むことの力はすごいと思う。いろんな可能性をはらんでいる。

三浦さんの言う「人生を変えるライティング」っていうのはほんとだなと思う。だって、私が漫才でフライングしたこともだけど、例えば、仕事中にある人が言った言葉から相手がどんなことを求めているのか、とか、どんな手段であればこの商品が売れるのかなども予知できる。和太鼓の演奏会で、漫才を入れることだって、お客さんの状態を見越して入れられた演目だ。そんな効率的な戦略や、あったかい心遣いが人より異常に敏感にできるようになれば、人生だってほんとにあっという間に素晴らしい方向に変わってしまうかもしれない、なんて思えてくる。

私は今の時点では、ものかきミュージカルダンサーを目指して日々奮闘している。ものかきミュージカルダンサーっていう文言は、自分で勝手に考えた。なんでミュージカルダンサーじゃなくて、「ものかき」ミュージカルダンサーなの? って思われるかもしれない。私も初めは単に書くことと踊ることが好きだから、ていう理由しかなかった。どっちも頑張るなんてできるのか? という不安もあった。でも、今、その考え方が変わった。

私は「ものかき」ミュージカルダンサーでなければならないと思う。

なぜなら、ダンサーは自分をどう見せるかがカギだ。技術的な部分だけではない。自分をどう売るのか、つまりブランディングが大切なんだと思う。そんなとき、予知能力がいる。ブランディングのためには自分をどう周りに印象付けるかを考えないといけないからだ。それを文章化する必要も出てくる。それだけではなく、もっと重要だと思うのは、どんな思いで、何のために踊っているのか、私は今何を表現したいのか。そういうのを鮮明に相手に届けるためにはやっぱり「書くこと」が一番だと実感しているから。

だから私はものかきミュージカルダンサーを目指しているんだ。そう理解した。それがいい。なんだか、ユニークで素敵な気もする。

書くことが人生を変えたり、予知能力みたいな力を発揮するというのは、ひょっとしたらたまたまでしょ、とか、人によるでしょ、とか思われるかもしれないけど、私は書くことをいろんな人に薦めたいと思っている。先を予知できた時の快感だとかを共有できたらものすごく楽しいだろうな、と思うからだ。天狼院書店のゼミ生には一つの記事からたくさんの面白い気づきを見出せる方々がたくさんいる。人のことより我が事の私が、おせっかいにもお勧めしたいと思っているのは、そういう場所に身をおいて刺激を受けているゆえんだろう。

ともかく、ぜひ一度、漫才を見てみてほしい。笑いのツボがおかしいと言われたら、おそらく私と気が合いそうだ。

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この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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