ねじ曲がった性体験を持つアラフォー女が純粋にときめいた、キレイな官能小説《リーディング・ハイ》
記事:貫洞沙織(リーディング&ライティング講座)
男尊女卑の家庭で育った。女は高校を卒業したら見合いをして結婚し、子どもを産むのだと教えられた。それこそが幸せなのだと、片田舎の小さな町で強く言い聞かせられた。
しかし、そう言われれば言われるほどにわたしは「男」を自分から遠ざけた。なぜあんなにも輝いている「仕事」の世界に、わたしは入れないのだろう。「男」にはそれが許されているのに。わたしは弟も大嫌いになった。理由は、弟だけ学費を出してもらったから。わたしは働きながら夜学なのに。
親戚のおじさんが酔っ払って、わたしに「女は男に抱かれるのが一番気持ちいいんだ」と教えてきたことがあった。興味がないので何の話をしているのかわからない。おじさんは質問を変えた。
「なあ、耳かきって気持ちがいいだろう? そのとき耳の穴と耳かきの棒、どっちが気持ちいいと思う?」
わたしは一瞬考えて、
「耳」
と答えた。無視すると拳が飛んでくるおじさんだったから。すると「そうだろう、そうだろう、絶対耳の方が気持ちがいいんだよ」おじさんは手を打って喜び、汚く笑った。意味がわからなかったが愛想笑いをした。早く一人になりたかった。
その後、実家を出て一人暮らしを始めた。親戚にも会わなくなった。世の中は基本、金で動いているので、わたしは恥も外聞も捨ててお金を稼いだ。失うものがないというのは本当に強い。しかし上手にお金を使えなかった。可愛くなんてなりたくないのに、服を買うくらいしかお金の使い道が思いつかなかった。渇きは癒されず、何をしても一秒も楽しくなかった。頭を使わずに生きていると、マジですることがないのだ。
そんなときにたまたま、
「耳かきと耳の穴のどちらが気持ち良いか」
のエピソードを思い出し、いろいろ試してみることにした。薄っぺらな二十五歳だった。
結論を言うと、耳かきの形や大きさはさまざまだが、受け入れる体勢をずらすだけでほとんどの耳かきを、奥の気持ちいいところに当てることができる。そして、耳かき棒は、棒なりに気持ちよくなっているということがわかった。
友達が全然できなかった。耳かき遊びをしていても誰にも本音を話せなかった。耳かき棒はおもしろい話をしてくれないし、粗雑だった。
わたしは友達が欲しくて仕方がないのに、周囲の人たちが何を話しているかが理解できなかった。知らない単語が連なると意味がわからない。英語を早回ししているみたいに聞こえた。バイトのしすぎテレビを見る時間がなかったので、何の話にもついていけなかった。
寂しかった。
寂しくて仕方がないから、わたしは耳かき棒をなるべくたくさん用意して遊ぶようになった。
耳の穴も耳かきも平等に気持ち良いのだから、ずっとこれをしていれば良いやと思った。しかし、しらふになって自分の人生を眺めると、情けなくて涙があふれた。
やわらかい人になりたいと思った。男とか女とかじゃなく、太陽の下で胸張って笑いたいと思った。
わたしは自分なりに仕事を見つけた。必死で働いているうちに、体を重ねなくとも人と理解しあえることがわかった。共通の言語を話す方法として、販売や営業の仕事をした。営業の仕事は、商品の魅力をどう伝えるかを考えたり「あなたならどうやって売るか?」と互いに意見交換をするので、人と自然に話すことができた。
「仕事ってこんなに楽しいのか!」
とびっくりした。仕事で使う言葉は、早口で話されても理解できた。雑談が始まると会話から抜けた。「仕事バカ」のあだ名がついていたが、そのうち営業成績がトップになったので、誰も文句を言わなくなった。
ずっと仕事をし続けた。
そうして年を重ねた。耳かきのことなど忘れていた。しかし仕事で疲れ果てた者同士で激しく求めあった夜があった。時間を忘れて触れ合い、交わり続ける夜があった。耳かきをする前にたくさんの時間をかけ過ぎて、夜が明けてしまったこともあった。行為でなく会話でわかりあう時間もいとおしく、わたしは自分の人生も目の前の人も、心から愛せるようになっていった。
愛する一人の人と何年も一緒に暮らすうち、わたしは「おばさん」と呼ばれる年齢になった。どこにでもいるただのアラフォー。そんなわたしの体に少しずつ変化が訪れた。
耳が悪くなった。工場の騒音の中でバイトをしていたことと、ずっと右耳にインカムのイヤホンを入れていたのが災いしたのか、右耳が聞こえづらい。映画館くらい大音量なら聞こえるが、小さな音のテレビなどは聞こえにくい。
目も悪くなった。遠くのものがぼやけはじめ、やがて近くの文字が見えにくくなった。最近では太陽やテレビや対向車のライトがまぶしくてサングラスをかけないと目が痛い。
胃が悪くなり、好きな食べ物を好きなだけ食べることはむりになった。美味しいものはたまに、少しだけいただく。上品なおばあちゃんになった気分だ。
五感のうちいくつかが、確実に弱ってきている。そのうち他の器官も弱まっていくのだろう。ああこれが、年を取るということなのか。
さて、そんなマイナス要素もはねのける強さで、今頃になって、わたしのなかにふつふつと湧きおこる欲求がある。
それは、五感のすべてがふるえるような体験をしたいという欲求だ。
耳が喜ぶような最高の音楽が聴きたい。目が喜ぶような名画や美しい景色が見たい。鼻腔から体内にしみ渡るような森林のすがすがしい香りを嗅ぎたい。じゅわっと口内にあふれる美食を舌の上でころがしたい。
そして、もういちど、全身で触覚を堪能したい。崩れ落ちるほどの快楽に溺れたいのだ。
体の細胞すべてが自分を肯定する感覚。わたしのすべてを肯定してくれるやわらかな唇、よく届く舌、すべてを包んでくれるあたたかい指先。それをすべて享受する夜がほしい。
三十五歳を過ぎた女の体が、こんなにも欲深く、悩ましいものだなんて、誰も教えてくれなかった。三十五を過ぎた女には、魔物が宿る。
散りゆく前に咲きたい。衰える前に味わいたい。鋭敏な感覚で五感のすべてを使い切って楽しみたい。
うかみ綾乃「指づかい」は、そういう女の感覚を上手に言語化してくれている。
この毛羽だった感情を、誰かにわかってほしかった。この毛羽立ちを経験した人としていない人とでは、浮気や不倫に対する情けのかけ方も変わるほどに世界が変わってしまう。自分の中にある正義なんて、軽く押し流してしまう強く鋭い感情、まさに発情期。
風俗店に行ったことがある男性諸君からの軽蔑は一切受け付けない。なぜ女だけが、僧侶のように性欲を我慢し続けねばならぬのだ。
わたしは信じている。わたしの中にある燃えさかる命の炎を。
そして、炎に導かれるままに、いつか激しい夜が訪れることも。
………
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