チーム天狼院

【一人暮らしの始め方】これから一人暮らしをする全ての人が必ずやっておくべきこと《海鈴のアイデアクリップ》


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そろそろ、私が一人暮らしをはじめて4年が経とうとしている。

それに気付いたのは、いま住んでいる部屋の契約の更新を知らせる書面が届いたからだ。
うち1年は日本にいなかったので、東京で過ごす冬は今年で3回目になる。

 

4年前、当時18歳で親元を離れひとり東京に出てくる前の私に、今の私が伝えたいことがたったひとつだけある。

 

「一人暮らしの準備をしてはいけない」、ということだ。

 

振り返ってみると、一人暮らしはハッキリ言ってやってみないと分からないことが多すぎた。

上京してくる前こそ、

「カーテンは何色にしようかな?」とか、

「キッチン用品は色までそろえたいよね」とか、

何から何まで一から自分でコーディネイトできるとあって、無性に気合いを入れて家具選びをするのである。

暮らしが始まってもいないのに料理本を集めてあれこれリストをつくってみたり、
進路が決まってから実家を出るまでの期間、少しでも多く台所に立つようにしてみたり。

想像の中の「一人暮らし」は、きらびやかで華々しい世界だった。

 

けれど、浮き足立っていられたのは最初だけだった。

頭で描いていた夢のような生活は、実際にはとても難しいものだった。一人暮らしを始めると同時に、目まぐるしく周りの環境が変わっていき、それに適応しようとするだけで精一杯になってしまったのだ。

思いもしない予想外のハプニングだって、たくさん起きる。

洗濯物の量が思ったより多くて、干すのに時間がかかり家を出るのが遅くなってしまったり、外で友達と夕飯を済ませる日ばかりで、上京前にあれだけ心躍らせていた自炊がなかなかできなかったり。

請求されてきた電気やガスの値段にびっくりしたり、真夏の深夜3時、網戸もせず開け放していた窓から部屋に乱入してきたでっかいイニシャルGを、半泣きで友達に電話しながらなんとかして部屋から出そうと格闘したり。

 

一番びっくりしたのは、簡単にできると思っていた小さな作業にさえ時間をかけてしまう自分の手際の悪さだった。

たとえば、実家にいたころ、親はまるで呼吸をするかのように洗濯物を干し、皿洗いをし、毎日の献立を決め、食事を作ってくれた。

けれど、実際に日常生活と並行してやってみると、帰ってきてへとへとになっている状態でのそれは、呼吸だなんてとんでもない、ひと山越えるくらいの大仕事にしか思えなかった。

家路の途中でスーパーに寄り、食事の献立を考える。しかし、これがまたなかなか決まらない。レシピを見ながら材料を買い集め帰ってきたと思ったら、そこから調理時間はだいたい40分から1時間だ。その間に干してあった洗濯物を取り込んで、お風呂を沸かして・・・。あっ、トイレットペーパーがなくなりそう!せっかく今買い物に行ったのに・・・チェックしておけばよかった。

暮らすということは、こんなに大変なものだったのか。親があまりにも当たり前のようにやっていたから、全然気づかなかった。

 

親の「今日は何食べたい?」という質問に、

「なんでも。」

と答えていた自分を、これほどうらめしいと思ったことはなかった。

 

そして、実家にいた時の自分が、いかに実用性のない「名ばかりの家事」をやっていたか気づかされたのである。

 

一人暮らしとは、時間的余裕があるときに始まる、というケースは少ない。

何かしら環境がぐるりと変わるときに並行して始まるのがほとんどであり、一つ一つの家事を根本からゆっくりと身に着けていられるほどの時間を持つことは厳しい。

“準備”や“予行演習”と言って特別イベント扱いをしているうちは、いっぱしにできるわけがないのだ。家事とは、生活の一部なのだから。

 

 

 

そして、一人暮らしの準備をしてはいけない理由がもう一つある。

 

受験も残り半年というところで、高校の国語の先生が言っていた言葉。

「今年があと残り180日。上京してから、もし地元に帰ってこなかったとする。そうすると、仕事を始めてから実家に帰れる日が1年のうち仮に10日だとする。そして、みんなの親の寿命はあと長くて30年くらいだとしよう。そう考えると、親と一緒に過ごせる日数は、実質1年もないかもしれないんだぞ。」

 

それを聞かされた時、私は事実にがく然とした。今まで、部活とか受験ばかりに目を向けていたせいで全然気づかなかったが、教室に張り出されている受験日までのカウントダウンは、親と一緒に過ごせる残り日数のカウントダウンでもあったのだ。

 

けれど、受験シーズンが本格化するにつれ目の前の勉強をとにかく必死に頑張ろうとして、とにかく視野が狭くなってしまう。

やっと受験生活を終えたかと思えば、ここからはさらに怒涛の展開だ。お世話になった人へのあいさつに、新居探しに、書類の提出にと、てんやわんやである。

進路が決まった当時の私の目も、すっかり新しい生活のことに向けられていた。

嬉々として家具を選んでいる私を見ながら、親はどんな気持ちだっただろうか。

 

一人暮らしをスタートさせるために、車に家具一式をつめこんで東京へやってきた日。

実家を出る朝は、いたっていつも通りだった。いつものように、家族で、車でどこかに出掛けるときと同じだった。

なぜだか、新居に着き、家具を一緒に組み立てているときにようやく、ああ、わたし、これからここで暮らしていくんだと、急に事の重大さが身に染みてきた。

 

別れの瞬間はあっという間に訪れた。

「ちゃんと食べるんだよ。身体壊さないようにね。」

うん、うん、また連絡する。平静を装っていたけど本当は、行かないで、行かないで、と心の奥で訴えていた。

 

「じゃあね、がんばって。」

 

差し出された手を握り返し、握手をした。親と子の間で交わされる、最後の儀式みたいに思えた。あ、いよいよ本当にここから一人なんだ、と思った。

部屋を出ていくとき、親が扉の向こうで最後まで手を振っていた姿が、目の裏に今でも焼き付いている。

 

扉が完全に閉まったとき、ふいに、親は子どもが家から出ていくまでの18年間、いつかこの日が来るのを知りながら今まで育ててくれていたのだと分かった。

特に高校生活の3年間は、親にとってみれば、子どもと同じ家の下で過ごせる最後の3年間だったのだ。けれど、私は、未来のためのステップのひとつとしか感じていなかった。それなのに、親は何も言わず、顔色ひとつ変えず、私の夢を支え続けてくれた。

 

子を送り出すその瞬間の気持ちは、今はまだ想像の範囲の中でしか、感じることができない。

私も親になって、いつか同じように実家を出ていく子の後姿を見たときに、分かるだろうか。同じ思いをするのだろうか。

 

今が親と一緒に暮らせる最後の時間だということを忘れがちになってしまうくらいの「一人暮らしの準備」なら、そんな準備はいらない。そんな暇があるのなら、親と過ごす時間を少しでも大切にすべきだ。

そもそも、実家がなければ、「一人暮らしをする」なんて言い方はできないのだから。

 

 

TEL:03-6914-3618

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