使い尽くして「自分」になる。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いたものです。
【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:斉藤萌里(チーム天狼院)
自分の部屋。
懐かしい自分の家の匂い。
母の手作りの朝ごはんを食べて、「行ってきます」という日々。
18歳、高校卒業と同時に私が失くしたものだ。
大学から地元を離れ、卒業後も地元ではない場所で働くことになった。
別段珍しいことではなく、同じような境遇の知り合いは何人もいる。
ごまんといる。
だから特別じゃない。
でもいま、私は実家から職場に通っている。
仕事が変わり、研修期間での話だ。
久しぶりの朝ごはん。食パンだけじゃなくて、ちゃんとおかずがある。野菜とタンパク質がある。ずいぶんと長いこと、朝ごはんを食べない生活に慣れてしまった私には、数年前まで当たり前だった光景が特別なことに思えた。
実家にあるのは朝ごはんだけじゃない。
リビングにどかんと鎮座しているアップライトのピアノ。
その上に、いくつもの写真。
私と兄たち、私と両親、私と兄たちと両親の。
いまやインテリアと化しているそのピアノの、蓋を開けて弾いてみた。
シャン。
あ、いま。
変な音がした。
もう一度。
シャン。
ねえ、ほら。
雑音。
弦にゴミが引っかかっている。
大した音ではないけど、耳をすましたら聞こえる。
ちょっと気になるくらいの、小さな音。
母に聞いた。
調律ができていないのだ。
私以外弾く人がいないピアノだから仕方ない。
なんでも、長年調律を頼んでいた調律師さんが、数年前に亡くなったらしい。
それも、雷に打たれたって。
そんなこと、あるんだ。
そんなこと、思いもしないよね。
私のピアノちゃんもきっと、あの調律師さんはどうして来てくれないんだって思ってる。
シャン。
この音はきっと、泣いている音だ。
それでも弾いて、音楽を奏でていたら、泣き止んでくれた。
シャン、という音が聞こえなくなった。
きちんと、前みたいに慣れ親しんだ音を届けてくれた。
満足。
指は回ってないけど、なんとか弾けた。
弾いたという感触は強く残った。
それから私、仕事が休みだった日に、自分の部屋で参考書を漁っていた。
なんでかと言うと、天狼院書店で「参考書セット」を売るためだ。
私が受験勉強で使っていたものをそのまま売っていいと聞いたから、どんな参考書を使っていたか思い出そうとした。
しかし、そこで私、困る。
自分の部屋に、ほとんど参考書の類が残っていなかった。
そうだ、この間捨てたじゃないか。
母に、「これもう捨てていいよね」と聞かれたから、「うん」って言って。
もう使わないし、と思って。
まさか、こんなふうに使う日が来るなんて思いもよらなかったけれど。
丹念に本棚を見てやっと見つけたのは、日本史と世界史の教科書。
橙色とブルーの。
きっと誰しも一度は見たことがある教科書。
でも、その教科書の表紙見て、ドン引いた。
色が、なかったのだ。
表紙の色が、抜け落ちていた。
橙色とブルーの教科書なのに、色が取れて薄いベージュが、本来の紙の色が現れている。
日焼けしたからじゃない。
使いすぎたのだ。
使いすぎて、擦れた。
覚えがあった。
高校の教室。机の上。茶色い机。最近の学校ではもっと綺麗な机を使っていることだろう。
でも私が高校生だった当時は、消しゴムで机を擦ったら色落ちするような机だった。
その机の上で、何回も開いた。
授業中だけじゃなくて、自習のときもだから、何百回開いたか分からない。
教科書の中身は、赤の線がびっしり引かれている。
マーカーじゃない。
緑の下敷きで消えるやつだ。暗記用の。
私はこれで、ひたすら暗記していた。
どのページに何が書かれているのか、どの時代とどの時代の間の話か覚えようとして。
日本史とか世界史を、こんなに必死に勉強する人ってあんまりいないだろうな。
だって普通、国数英でしょ。
国数英。
国語、苦手な現代文。
数学、最初から全部苦手。とくに確率がきらい。
英語、人並みのレベル。喋ることはできない。リスニングも苦手。
自信を持って得意だと言えるのは、古典と英語の日本語訳ぐらいだった。
それでも、受験はやってくる。
否応なしに、何が得意かとか関係なく。
待ってよ。
まだ、準備できてないって。
あと3ヶ月、2ヶ月、1ヶ月——。
京大の赤本を開いて、解けない数学。
なんだこれは。
初めて見る問題ばかりで。たまたま解けた問題もあるけれど、本番は緊張して絶対に解けない。
0点かもしれない。
0点だったらどうしよう……。
毎日、不安だったな。
暗闇みたいだった。
トンネルの中を、一人で彷徨っていた。
前にも後ろにも、誰も助けてくれる人はいない。
仲良しの友達も、隣のトンネルで一人進んでゆく。
「一緒に頑張ろうね」といったライバルたちも皆。
誰もが一人きりだった。
怖い。
数学のトンネルはとても長くて深い。
終わらないような気がする。
不安の中で、とっさに思いついたのが、日本史を極めることだった。
二次試験は、国語、数学、英語、日本史。
配点が大きいのは国語と英語。
数学と日本史は同じ配点。
だったらもう、取れるところで取るしかなかった。
国語、英語、日本史。
数学が0点でも合格するように点を取ろうと思った。
日本史は、ひたすら暗記。
学校で配られた教科書と資料集を、暗記ペンで真っ赤にし、毎日覚えた。
本番では何が出るか、全然分からない。
教科書の端っこの、参考注に書かれたワードが答えになることだってザラにある。
必死だった。
ページをめくって、追いかけて、追いかけて。
大事なキーワードは授業で先生から教わって。
それ以外でも、教科書からはみ出た歴史の資料を食べるようにして読んだ。
京大の日本史試験の特徴。
よく知らない資料が出てくる。
たくさん出てくる。
「これは何の資料か?」というタイトルがないまま、問いに答えさせられる。
見たことのない資料でも、キーワードで「日露戦争だ」と分かることもあるけれど、そこにいきつくには幅広い時代の知識が必要だった。
だから、できる限り「一度は見たことのある資料」を増やしたかった。
なんとなくでも眺めたことがある資料であれば、本番頑張って思い出せるかもしれない、という淡い期待だ。
教科書や資料集以外に使っていた参考書もあるけれど、問題を解いてまた教科書を見て、と繰り返すうちに、教科書の表紙がこんなに色あせてしまった。
同じ教科書を持っている友達と、全然違うものになっていた。
同じはずなのに、色が違う。
年季が入っているというような。
私、びっくりした。
毎日見ている教科書だから、変化に気がつかなかった。
また、周りの子たちの教科書も同じように変化していると思った。
でも、違うんだ。
これは、私の教科書で、私の参考書。
友達のとは違う。
皆それぞれに頑張った教科、必死にページをめくった参考書があると思うけれど、私の場合それが顕著に表れたのが日本史だった。
日本史って、ふつうあまり頑張らない教科だけれど、色あせた教科書が自分のものだと思わせてくれた。
高校を卒業してから7年ぐらい経つけれど、やっぱりドン引く。
実家の本棚には普通の本たちもたくさんあって、その中でとても異様だから。
君だけ、ちがうね。
もう一度触れてみる。
私の参考書。
人と違って良い味が出ている。
久しぶりに弾いたピアノ。
シャンという雑音が途中で消えて、私の音になっていく。
ちゃんと「私の音」になってくれるのは、このピアノを使い続けてきたからなのかな。
初めて弾いた時の音は覚えていない。
もう20年も前のことだから。
物心もついていなかった頃のことだから。
でもきっと、その時の音といまの音はちがうの。
確証はないけれど。
昔。
音が何かとか、どの鍵盤がどの音だとか全然知らなかった。
和音も、リズムも、変調も。
だから、何年も練習したよ。
いちばん音が綺麗に出る力加減。
ミスのないような指の動き。
20年後のいまの自分が触れたピアノは、ピアノが奏者の私を理解してくれていて、私に合う音にしてくれている。
感覚で言うとそんな感じがした。
ピアノと一体になって演奏しているとき、ああ、これが自分なんだなと思う。
自分の音だと確信できる。
同じピアノでも、私が弾くのと友達が弾くのでは違う音がする。
一つとして、同じ音はできない。
君も、ちがうんだね。
ちゃんと私のために、音を選んでくれているんだね。
妄想だって思われてもいい。
たとえ妄想でも、私が思い込めばその音は私のものになる。
使い尽したから、私のものになるんだ。
また、自分の部屋に戻る。
机、ノート、参考書。
使い古した参考書。
表紙もページも、色あせた一点もの。
君は、私だけのもの。
君を見ていると思い出す。
自分の部屋で、何度もページをめくったこと。
教室の机の上で、先生に言われたことを頭の中で反芻しながら。
そんな小さな文字で下の方に大事なこと、書かないでよ。
見落としちゃうでしょう。
見落とさないように、注釈に引いた赤い線が、いまではもう薄い。
ページの上部に載せられた写真。
絵巻物だったり銅像だったり。
タイトルと、絵の意味と、銅像の作者。
どんな顔をしているのか、どんなお話なのか。
覚えられない部分は、別の参考書を開いた。
そこを見れば、もっと広い世界が広がっている。
教科書以上に多くの絵画。
同じようで違う銅像たち。
タイトルに線を引っ張って。
銅像の顔とにらめっこして覚えた日々。
使い尽くした。
もしかしたら拾えていなかった部分もあったかもしれない。
でも、私なりに必死に使った。
「この参考書、汚い」
って、他人に言われてもいい。
そう言われるぐらい、使うことができたなら。
ピアノも参考書も、使い尽くしてようやく自分のものになる。
初めて弾くピアノはどこかよそよそしく硬い音。
けれど、めげずに練習すれば
新品の参考書はきれいだけど、使い尽くした参考書は美しい。
美しい、だけでもない。
思い出がある。
努力した跡がある。
跡を見れば、迷ったときの灯火になる。
また迷うかもしれない。
暗いトンネルを彷徨う日が、これから何度も訪れるかもしれない。
でも、使い尽くしたものたちが教えてくれる。
まだ大丈夫。
また、大丈夫。
君は、大丈夫。
ええ、大丈夫よ。
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