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チーム天狼院

私にとって村上春樹はヒカキンである〜ヒカキン的文学探究のすすめ《川代ノート》


 
記事:川代紗生(天狼院書店スタッフ)
 
 
昨日、読書をしていてすごくびっくりしたことがあった。

私が読んでいたのは、この本だ。

村上春樹『辺境・近境』(新潮文庫)

旅にまつわるエッセイで、アメリカ、メキシコ、無人島など、さまざまな土地で体験した記録が、村上さんならではのウィットに富んだ視点で面白おかしく書かれている。

はじめに一応ことわっておくと、私は村上さんの作品がすごく好きだ。村上主義者なのだ。人生で一番影響を受けた作家であり、私が書店員になろうと決めたのも彼の小説に救われたからであり、小説・エッセイ含め、おそらくほとんどの本を読破している。あまりに好きすぎて、もはや一度村上作品にまつわる脳内の記憶を全部消して、またフレッシュな頭で一から読み直したいと思うくらいだ(たぶんわかってくれる人いますよね?)。

16歳でハマってから、かれこれ10年以上は追いかけ続けているわけだが、この『辺境・近境』(新潮文庫)を読んでいないことに気がついて、あわてて購入したのが先週のこと。

忙しかったので買ってからしばらく放置していたのだが、昨日ゆっくり読書できる時間ができたので、さて読みますかとうきうきした気持ちでページをめくりはじめた。

うーん、やっぱりこの文章のリズム感いいなあ、面白いなあと思いつつ読んでいたのだが、ある言葉を見つけたとき、私の目はぴたっと止まった。

それは、こんな言葉だ。

僕が以前ニューヨークでジョン・アーヴィングに会ったとき、彼はハンプトンからの往復の車中でディッケンズの小説の朗読テープを聴いているのだと言った。(15ページ)

え、どこがどうすごいんだと思うだろう。そうですよね。いや、私も別にこの一文が「もう傑作! 後世に残る超絶名文! サイコー!!」なんて言いたいわけではない。ただ、この文章を読んだとき妙な違和感があって、どうにもこうにも先を読み進められなくなったのだ。

なぜだろう?

じっくり振り返ってみたとき、それはその文章に出会ったときの、私の心の動きが原因だと気がついた。

私は最初に読んだとき、素直にこう思ったのである。

「えー! 村上春樹、ジョン・アーヴィングと普通に会う仲なんだ! マジか、すご! 超有名人じゃん!」

そして、そう思った瞬間に、自分の思考回路がちょっとおかしいことに気がついた。
なぜなら、エッセイの世界にどっぷりハマり、読んでいたその瞬間、私は「村上春樹が超有名人である」という事実をすっかり忘れていたからである。

ワンテンポ遅れて、「いや、でも村上春樹だって世界的な作家なんだから、同じように世界的な作家と会うくらい、別に普通だよな?」とセルフツッコミをしてしまった。

なんだか不思議な話ではあるのだが、私はそのときになって、自分が村上さんのことをまるで「すごく信頼している親しい友人」あるいは「ときどき的確なアドバイスをくれる親戚のおじさん」的な感覚を抱いていたということに、はじめて気がついたのである。

「村上春樹」とは世界的な作家である。有名人である。億万長者である。まったく手の届かないようなめちゃくちゃすごい人である。それはもちろん、十分すぎるほどよくわかっている。
にもかかわらず、私は村上春樹の作品を読んでいる間、彼と私の間の「心理的距離感」が、著しく近くなったように錯覚してしまっていたのだ。

同じような感覚を、最近べつのところでも抱いたことがあった。
それは、YouTuberのヒカキンさんに対してだ。

私の家にはテレビがないので、情報収集はYouTubeでしていることが多いのだが、このあいだ「Hikakin TV」を観て同じような気持ちになったことがあった。

それは、ヒカキンさんが小池百合子都知事に、コロナウイルスについてインタビューした動画だった。

コロナウイルスについての現状、私たちができる対策など、若者でも理解しやすいようにわかりやすく解説してくれた動画だったのだけれど、その動画を最初に観たときも、私は似た驚きを抱いた。

「ヒカキン、小池さんと会ってる!! マジか!! すげー!!」

的な。
でも、それもよくよく冷静に考えてみると、小池さんと同じくらいヒカキンさんは有名人なのである。
ヒカキンさんのチャンネル「Hikakin TV」はチャンネル登録者数833万人(4月26日現在)だし、Mステに出演して歌を披露していたこともあったし、もはや普通に「芸能人」と同じ枠組みに入ることは間違いないのだが、どうにも私はヒカキンさんの動画を観るといつも、彼が「有名人である」ということを忘れてしまうのである。

理性では彼が本当にすごい人だとはわかっているし、私と近いところにいるはずがないのだが、動画を観ているとどうにも、「電車で1時間半くらいの距離に住んでる友達」くらいの感覚になってしまうことがあるのだ。

おそらくヒカキンさんが本当に努力していらっしゃって、子どもでも楽しめるようにと徹底してわかりやすい編集をしていること、ギャグや癖になるような言い回しなど、親しみやすさを感じられるよう演出をしていること。あとは、YouTuberという仕事柄、家で撮影することが多いので、ヒカキンさんの自宅の様子や飼っているペット、普段何をしているのか、何を買ったのかなど、彼の日常生活を隅から隅まで垣間見ているような感覚があるからそう感じてしまうのだろう。

これは私個人の意見だけれど、YouTubeにうつる人物に対してはテレビにうつる人物よりも、距離感が近いように錯覚しやすいのだと思う。ちょっと手をのばせば会える距離にいる人。そんな感覚なのだ。だからこそ、「テレビに映っている人」=「ずっと遠く、実在するのかわからない人」であるはずの小池都知事と「YouTubeに映っている人」=「ちょっと手を伸ばせば会えそうな人」であるはずのヒカキンさんが対談しているのを観ると、妙なギャップを感じてしまうのだ。「うわっ、めっちゃ有名人としゃべってるじゃん!」的な驚きを感じてしまうのだ。
よくよく考えてみれば、私はヒカキンさんがMステに出演したと知ったときも、「えっ、ヒカキンMステ出たんだ、すげー! 芸能人じゃん!」と思っていた。いや、もともと芸能人だろ! と冷静になれば気がつくのだが、うっかり忘れてしまうのだ。

この感覚が、村上春樹にもあると私は思っている。そして、その感覚があるからこそ、村上春樹にずっとハマっているのだと、私は10年以上経って、ようやっと気がついたのだ。

「この人のことは何でも知っている」と錯覚してしまうような語り口。「なんでそんなに私の考えてることわかるの!? なんで私がずっと悩んでたことへの解決策、そこまで的確に教えてくれるの!?」と、長年の友人と話したかのように思える、一つ一つの強く、優しい言葉たち。ああ、そうだ、今思えば、高校二年生の頃、私にとっての一番の理解者は村上春樹だった。親にも友人にも言えない悩みを、彼にだけは話すことができた。静かな小部屋にあるロッキングチェアーに座って、うんうんと聞いてくれているような気がした。私は彼に会ったことは一度もないけれども、村上春樹の作品を通して、彼に相談することができた。コンプレックスを吐露することができた。あれはもはや、読書体験というよりも、一種の対話のようであった。彼の小説を読むことによって、私は彼自身と精神的に繋がることができた。

16歳でそう思える作家に出会えるというのは、ものすごく幸運なことだったのだなと今では思う。「繋がっている」と感じられる作家。感じられる作品。それがあるだけで、人生の見え方は大きく変わる。親友が新たに一人できるようなものだ。

彼の『職業としての小説家』(新潮文庫)という、小説家の仕事について語られたエッセイで、「読者」の存在について彼はこう語っていた。

重要なのは、交換不可能であるべきは、僕とその人が繋がっているという事実です。どこでどんな具合に繋がっているのか、細かいことまではわかりません。ただずっと下の方の、暗いところで僕の根っことその人の根っこが繋がっているという感触があります。それはあまりに深くて暗いところなので、ちょっとそこまで様子を見に行くということもできません。でも物語というシステムを通して、僕らはそれが繋がっていると感じ取ることができます。養分が行き来している実感があります。(中略)僕らは共通の物語を心の深いところに持っています。(280ページ)

まさに、こんな感覚を覚えられるような作家に出会えることこそ、読書の醍醐味ではないだろうか。
私は6年以上、「書店」という業態に所属して働いている。仕事柄ありとあらゆる本に目を通しているけれど、そんな不思議な感覚になる作家に出会えることはごく稀だ。もしかすると、「読書はつまらない」と感じてしまっている人は、あるいはそういう風に「根っこで繋がれる」作品に出合ったことがないんじゃないかと思う。だからこそそういう人が、いろいろな本に手を出して、模索できるような環境を書店側がつくれたらいいなと思っている。

そう、やるべきは、「ヒカキン的文学」の探究だ。遠くにいるはずなのに、ものすごく身近に感じてしまうような文学作品。それが見つかったときのあの痺れるような心の震えは、味わったことのある人しかわからないだろう。

さあ、本を読もう。本に出合おう。この世の中には、根っこで繋がれる誰かを探している本がまだまだあるはずだ。

文学という媒体を通してしかおしゃべりすることのできない秘密の友達なんて、これほど面白いことはないではないか。
 
 
 


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