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チーム天狼院

【京都天狼院通信Vol16:ホラー映画という「鏡」】


*この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いたものです。

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記事:池田瑠里子(チーム天狼院)

ここ数日、なぜか無性に、ホラー映画に興味がある。

私はそもそも、ホラー映画や残虐なスプラッター映画の類が苦手だ。

お化け、幽霊、悪魔。暗闇から忍びよる影。

それだけでなく、血が出たり、生々しく人体が破壊されるような描写があると、もう全身に鳥肌が立って、さらに痛みも無駄に想像して、体の奥底から、凍るような感覚になる。

遡れば子供の頃。私が最初に出会ったホラー映画は、「チャッキー」(正確にいうと「チャイルドプレイ」)だった。

一人で留守番をしていたある日、寂しくてたまたまつけたテレビで、「チャイルドプレイ」というホラー映画がやっていたのだ。

おそらく多くのみなさまがご存知であろう。殺人犯の魂が乗り移ってしまった呪われた人形、チャッキーの話。

子供の頃の記憶で恐怖により改竄されている可能性が極めて高いが、

私の脳裡に焼き付く映画のワンシーンは、チャッキーは胴体だけの状態に、ナイフを持ち、ドアにガンガンナイフを突き立てているシーンだった。

本当に怖いと思った。絶対にいやだと思った。こんなふうに人形に襲われたら。こんなふうに人形に襲われて死ぬのだけは。

私は恐怖に取り憑かれて、文字通り動けなくなり、リモコンで消すこともできず、でも目を離すこともできず、

茫然とずっと、その画面を食い入るようにみていたことを覚えている。

(結局親が帰ってくるのが遅かったため、映画が終わるまで、観た。本当に怖かった)

私はぬいぐるみが子供の頃から大好きで、家には熊やねこ、ペンギンだけでなく、人形も多く持っていた。

それらが、いつか、私が悪いことをしたら、あの映画の人形のように、恐ろしい形相で襲ってくるかもしれないと想像すると心底恐ろしく、

映画を観てから数日間、夜寝ているときに、ベッドの横のぬいぐるみたちが動き出すのではと恐怖に駆られていた。

そんなこんなで人生初めての、忘れられない恐怖のホラー映画体験をしたのだが、

あまりにも当時私にとってショックすぎたからか、ホラー映画というものを見ることがなく(というよりもわざわざ避けて)、29年間、ここまでやってきた。

それが今になって、ちょっとホラー映画というもの、というよりも、ホラー映画やスプラッター映画を見る人間の心理に対して、興味が湧いてきているのである。

先日、「ゲーム・オブ・スローンズ」という海外ドラマを見始めたという文章を書いたと思うが、

実はそのドラマを観てから、私は人の残虐性とそれを否定しながらも惹かれる心情に、興味を持つようになった。

このドラマも、かなり、「ホラー」で「グロい」のだ。

人の首はすぐ飛ぶし、血もでるし、そもそもオープニングからちょっとホラーである。

それを観ていながら、不快にも思いながら、怖い怖いと思いながら、

だんだんと観ることに慣れている自分もいて、

そんな自分に客観的に気がついた時に、ふと思ったのだ。

なぜ、人は、わざわざ、あんな残虐な、そして恐怖に満ちた、映画を作成し、そしてそれを見るのだろうか。

映画だけではない。小説だってそうである。

ホラー小説の類は、読んでいるだけで痛くなりそうだったり、すっと背中に冷や汗が流れるようだったり、怖いものが多い。

そういったものを、どうして人はわざわざ書き、そして読んだり観たり、するのだろうか。

苦手なのにも関わらず、ホラー映画やそういったものを見る心理の研究などを調べていて、なんとなく思ったことがある。

私たちは、もしかしたら、「死」というものを恐れながら、そして残虐的な行為をあり得ないと思いながらも、

でもどこかで、死を受け入れ、残酷さを自らの中にも見出しているのではないかと。そうふと思ったのだ。

言うなれば、ホラー映画は、自分自身の恐怖や醜い一面を映し出す、鏡なのかもしれない。

私は、確かに、残酷なものが苦手だ。恐ろしいと思うし、それが魅力的だとは思えないし、できる限り、忌避したいと思っている。
(貧血検査で自分の血を見るだけでも、逆に貧血を起こしそうになるのが、私である)

死も、悲しく恐ろしいものだとずっと思っている。

たとえば男に捨てられた時とか、仕事が全くうまくいかない時など、「もう死んでしまいたい……」そう思うことも多いけれど、自分が簡単に死ぬことができないことくらいわかっている。死というものがどれだけの悲しみと虚しさを人に与えるものかも、わかっている。

でも、一方で、もしかしたら、自分自身の中で、そういったものを嫌がりながらも、怖いものみたさで見てしまいたくなる、自分の中にある残酷な一面を知りたいと思ってしまう、そんな一面もあるのではないかと気がついた。

それを時々、嫌だと思いながらも、見たいと思ってしまう。

誰にでもそういった一面はあるのだろう。

死というものを恐ろしいと思いながら、どこかで憧れにも似た感情を抱いてしまったり。

誰かを傷つけたりすることがよくないことだと分かっていても、心の片隅で快感にも近い思いを抱いてしまう自分に気がついたり。

本当に人間というものは複雑で、不思議な生き物だと思う。

自分でも理解しがたい、でも紛れもなく自分自身でもある、そんな内面の一部を見せてくれるものが、もしかしたらホラー映画のようなものなのかもしれない。

そんなことを思ったのだ。

私はこれからもおそらく、ホラー映画やスプラッター映画の類は、好んでみないだろう。

これからも呪われた人形のチャッキーは怖いと思うだろうし、残虐なものだって、やっぱり嫌いだ。

でもたまには、そんな映画たちをみて、怖がりながら楽しむ時間を持ってもいいのかもしれない。


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