『その子』のおかげで、イノベーションがやってくる
記事:永井聖司(チーム天狼院)
目覚めると、腹の上に重みを感じた。違和感を覚えつつ目線を下に向けてみると、『その子』がいた。
そうだ、と、昨日、意識を失う前の光景が蘇る。
晩酌をした後、『その子』を腹の上に乗せて動画でも見ようと思ったのだ。
そのまま寝落ちしてしまったということか、と、今の状況について理解する。
『その子』に手を伸ばしていじってみるも、うんともすんとも言わない。真っ暗なままだ。
またか、と思い至るも、最早慣れたもので、特に大きな驚きもない。
ここまでポンコツになってしまうと、怒りも湧いてこない。そのダメさ加減に、愛着すら感じてしまう。
体を起こした後、やるべき作業を考えながら『その子』をいじるも、やっぱり目覚めない。
金属で出来たそのボディ、黒のキーボード、そして真っ暗なままのディスプレイを持った『その子』。僕の仕事道具であり相棒でもあるパソコン、MacBook Airは、今日も深い眠りについてしまっていた。
この不具合が起きたのは、数ヶ月前のことだ。
今回と同じように動画を流したまま、充電もせずに寝てしまった時のこと。朝起きてみると、画面が真っ暗になってしまっていた。また寝落ちしてしまった、と反省しつつ、寝ぼけた体で充電ケーブルを取り出してパソコンと繋ぐ。充電開始の合図のオレンジのランプがついたのを見て、電源ボタンを押す。
……反応がない。
何度も押してみるが反応がない。そうか、まだ充電がされていないからと考えて、朝食を摂る。
数十分経ち、もういい加減充電が溜まっただろう、と再び電源ボタンを押してみるも反応がない。
おかしい、と、ようやくその時になって気づく。
『MacBook Air つかない』
とスマホで検索し、出てきた方法を試してみるも、やっぱりつかない。充電完了の合図の緑色のランプが光り、また色々とボタンを弄ってみるも、やっぱりつかない。
壊れてしまったか……。
正確には忘れてしまったけれど、確か5年以上使ってるのだから仕方ない、家電量販店に行って買うしかないか、そう思って、最後のあがき、と思ってパソコンを弄ってみると……
「ぅお!! ついた!!」
思わず、一人暮らしの家の中で、声を上げてしまった。
真っ暗だった画面がいきなり光りだすと、パソコンの画面ってこんなに眩しかったのか! と思うぐらいに明るく感じた。
うんともすんとも言わなかったパソコンが、突然目を覚ましたのだ。
相棒の復活に、僕はなんとも言えない喜びを感じ、仕事に取り掛かった。
しかし、以降その不具合は、ことあるごとに発生した。しかも、日が経つごとに、復活するまでの時間が長くなる。3時間程度だったのが5時間になり半日になり、ついには1日経っても目覚めなくなった。ついにこれまでか、と半ば諦めて家電量販店に持っていき、相談カウンターに座ってパソコンを開いてみる。するとまさにそのタイミングで復活する、なんて、未だかつて聞いたことのないレベルでのツンデレっぷりを見せられたこともあった。
もちろん、パソコンの買い替えも考えた。
しかし家電量販店に行って尋ねてみると、今の世間情勢の影響もあってパソコンが品薄になっており、取り寄せになってしまう、とのことで、運が良くて、到着は2〜3週間後と言われてしまったのだ。
そんなこんなで、ポンコツな『その子』との日々が続いている、というわけである
そして今日もまた、『その子』は眠っていた、というわけだ。
すぐに目覚めないことはわかっている。それでも、朝食を摂りながら、電源ボタンを何度も押してしまう。そしてやっぱり、うんともすんとも言わない『その子』に聞こえるようにため息をつき、今日の作業を考える。
そんな時にふと、『その子』がポンコツになって良かった、と思う瞬間がやってくる。
その時僕がやるべきだったことは、ライティング・ゼミの課題に関するフィードバックだった。
天狼院書店で1番人気の、『人に読まれるような文章を書けるようになる』ライティング・ゼミは、全8回の講義と、16回の課題提出を通してレベルを上げていく、という構成になっている。その、16回の課題で提出される、2,000字程度の文章のフィード・バック担当させて頂くようになって、1年が過ぎた。
毎週、多いときだと100件を超える記事に対してフィードバックさせて頂くわけだが、一つ一つの記事を読ませて頂く時間が長くなることはつまり、全体のフィード・バック終了時間に対しても多大なる影響を与えてしまうわけだ。
仮に、いつも通りパソコンでフィードバックを行っている場合、1記事を読み、フィード・バックを完了するまでが5分掛かっているとする。この場合でも、100件読めば500分。つまり8時間以上の時間がかかってしまうわけだが、この平均が1分増えるだけで、10時間、12時間と、どこまででもフィード・バックを終えるまでの時間が遅くなり、お客様にも迷惑がかかってしまう。
そんな状況の中で、パソコンが使えない状態になると、人はどうなるか。
一気に頭が、回転し始める。
パソコンが奪われ、手元にあるのはiPadとiPhoneだけ。この状態で、どうすれば同じ時間でフィード・バックを終えられるか、を考え始めるわけだ。
いつもだったら、職場にあるキーボードをつなげるなどして、入力スピードを落とさずに入力していくことが出来た。でも今は、それすらない。
まずは、iPadにそもそも搭載されているキーボードを使ってみる。
しかし慣れない感覚に、どうしても入力ミスが増え、1件のフィード・バック完了まで時間がかかってしまう。
それならばと、iPhoneで入力をしてみると入力ミスこそないものの、キーボードの入力にはどうしてもスピードで敵わず、やっぱり時間がかかってしまう。
頭の中で、掛かった時間✕記事の数の簡単な掛け算が行われ、暗い気持ちになっていく……。
そんな時目についたのが、iPadのキーボード上にある、マイクのマークだった。
もちろん、どんなものかは知っていた。たまに、遊びレベルで使ってみたことがある程度の機能、音声入力だ。
物は試しにと、押してみる。
ピコン、という電子音がなる。
「おもしろかったです、ビックリマーク」
『面白かったです!』
僕が言い終えるのと同時ぐらいのスピードで、画面上に文字が浮かびあがる。聞き取りミスはもちろん、変換ミスすらない。
「おおっ!」
驚きつつ、もう1度マイクのマークを押し、話す。
具体的な内容を話してみるも、やはり反応がとても早い。聞き取りミス、変換ミスは10%以下といったところだ。いつも、どのように書こうか悩みながら入力しているのを考えると、聞き取りや変換ミスの修正を含めても、1記事あたりの作業時間はそう変わらない。
そして1記事ごとに、変換ミスや聞き取りミスの多い単語が出る度、僕自身の言い方を少しづつ変えてみる。すると聞き取りミスも徐々に減っていき、作業時間は更に上がっていく。
音声入力、使えるじゃないか!
今までは、キーボードでの入力以外、速く作業するための方法はないと思っていた。いや、思い込んでいた。
でも、こういう状況に追い込まれてやっと、今までろくに使っていなかった機能のすごさ、ありがたさを実感することになったのだ。
そして、それ以外の仕事の仕方も、振り返るきっかけになったのだ。
1日の作業スケジュールを思い描く。朝、メール返信をして、その後、決まった流れで作業をやっていたことを。慣れたその流れと方法が、1番早いと思っていた。でもそれは、思い込みだったかもしれない、と気づくのだ。
追い込まれた時に考えてみると、それ以外にも方法は、いくらでもあることに気付かされる。その方法を試してこなかったのは、自分自身の問題なのだ。そして僕自身、慣れたことに縛られてしまう、という特徴があることにも、気付ける機会になった。
ポンコツのおかげで、やれることが制限されたことで、気付けることがあるのだ。イノベーションが、やってくる。
きっと、『その子』との暮らしは、そう長くは続かない。
でも、『その子』が教えてくれたことは、ずっと残っていくんだろう。
更に1日とちょっと経った後に復活した『その子』のことを、僕は改めて、可愛らしく思った。
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