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チーム天狼院

【京都天狼院通信Vol19:ライカを持って知ったこと】


*この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:池田瑠里子(チーム天狼院)
カメラを始めて、4ヶ月が経った。

1日1枚インスタにあげる。会社に行くという時でも、家から出る時は必ず首からカメラをかけて歩く。ファインダーを覗く前にどんな写真を撮りたいのか、景色をみてイメージしてから、ファインダーを覗く……。

時には仕事が忙しくて疲れて寝てしまうこともあるけれど、飽き性で3日坊主の私が、よくも飽きずに、こんなにも毎日毎日、細々とでも続けているよなと思う。

もう今となっては、カメラは私の生活の一部に完全に溶け込んでおり、

メイクをして家を出るのとおんなじように、携帯を持って歩くのと同じように、

自然と、カメラを持って街に出る習慣が身についてしまった。

もともとは全くカメラになんか興味がなかった私が、こんなにも一生懸命、毎日毎日カメラを触って写真を撮るのには、わけがある。

いつかプロカメラマンになりたい! という夢のためとか、

憧れの写真家の方の作品に近づきたい! とか、そういった綺麗ごとではない。

いや、確かにそういう一面もあるかもしれない。

でもそんなことよりも、もっと俗物的で、単純な理由。

それは、根本の根本を辿れば、「買ったカメラが高かった」、ということだと思うのだ。

そもそも私は、基本的に、物欲が限りなくゼロに近い。

付き合った歴代彼氏に「何が欲しい?」と聞かれた時、真っ先に「本!!!」というような女である。(なんと安上がりな女なのだろう!)(実際そんなに高いプレゼント、もらったことがない……。)

もし自分が欲しいと思ったものがあったら、その値段をみて、自分の経済力で無理なく買えるかを計算し、

どうしても欲しければお金を貯めて頑張って買うか、

お金を貯めてまで欲しいと思わないと判断すれば、買うこと自体を諦めるか、

そういう生活をしてきた。

気がついたらもう何ヶ月も洋服なんて買っていない。

化粧品も、気に入ったアイシャドウパレットを、使い切るまで新しいものは買わない……。

節約しないとと思ったら、別に毎日シリアルの生活とかでもまったく構わない。(そんなことをしているからすぐに体を壊すのだが)

要するに、若干、私はケチなのだ。

そんな私が、天狼院に入って、プロカメラマンの方に出会い、そしてカメラを持っている同僚やお客様と過ごす中で、「カメラが欲しい」、と本気で思うようになっていった。

久しぶりの、強烈な物欲。

しかも厄介なことに、私が欲しいと思ったカメラは、値段が安いカメラではなく、「ライカ」というブランドのカメラ!

私は天狼院に入るまでライカというカメラを全く知らなかったのだが、クラシカルで可愛らしい見た目と撮った時の絵の美しさに、これが欲しい! と思って、調べてみて愕然!!!

なんと値段が100万レベルのカメラなのである……。

いやいや、これはさすがに私の給料では買えない、と何度か、別のカメラの購入を本気で検討した。

悩みに悩んだ。

そもそも、カメラを全く触ったこともない、ど素人である。

今までカメラをやっていたとかならともかく、一度も触ったこともないようなカメラを、50万とか100万とか出して買って、本当にいいのだろうか……。もっと安いものから、始めた方がいいのではないだろうか……。

でもやっぱり私は、この、ライカのカメラが欲しい……。

考えても考えても、最終的に思考が毎回そこに戻っていき、3ヶ月間、散々人に相談し、悩みに悩んだ挙句、とうとう、50万のカメラを購入してしまったのである。

(100万級のものばかり見ていると50万でも安く思えてしまうから不思議である……。)

そんなこんなで、私の人生で、車の次に高い買い物だったカメラ。

買ってから届くまで数日、「いや、ほんと買ってよかったのだろうか……。私は早まってしまったのではないか……。」と何度も思った。

だから、届いた日にも、開封する時も、怖くてもったいなくて触れない、という事態に……。

「カメラ買って、まったく撮らなかったら意味がない!! 毎日首からかけて歩くという、形かPからら始めなさい」という社長の三浦の言葉にも背中を押され、恐る恐る持ち歩くようにしてから4ヶ月。

でも、50万円を出したからこそ、こんなにも、大事に丁寧に、そして、元をとるためにも撮ろう!! という気持ちになることに気が付いたのだ。

身銭を切る、ということの、一番の良さはここにあるのかもしれないとも思った。

決して安くない、自分自身の一部を切り離すように、ちょっと背伸びをして購入することで、

「いや、これ使わないと、50万円無駄になるし……。」と思うこと。

「これ壊してしまったら私の50万が水の泡に……。」そう思うと、ともかく丁寧に扱おうと意識を張り巡らすこと。

人それぞれにとって、高い安いはあると思う。金銭感覚の違いはあるだろう。私にとって、カメラに50万円も出すなんて「高い」と思う中での買い物だったからこそ、こうやってものを大事にしているのだよなと、本当に実感する日々だ。

さらに、私は毎日ライカを使っていて思うことがある。

それは、高いものには高いなりの、理由はしっかりあるのだなということだ。

もともと私は、あまりブランド志向ではない(冒頭に書いたように、もともとケチである)。

ブランドものが嫌いというよりも、値段で選ばないというか、

それがかっこいいと思えば、高いものだって頑張って買うし、でもそれがかっこいいと思わなければ、ブランド名で買わず安いものを購入する……。そういう人間だ。

だから、あまり、値段というものに対して、値段でものの良し悪しが決まるとは思っていないが、一方でライカを使う中で、「もしかしたら、高い値段というものにはそれなりに理由があるのかもしれない」、そういう風な視点も得ることができるようになってきた。

私はカメラの専門家ではないし、他のメーカーのカメラを使ったこともない。

だから、他のカメラに比べてどうか、といったことは全くわからない。

それでも、今私が使っているカメラが、「かなりいいカメラである」ということは、日々使っていて感じるのだ。

それは性能に関してだけではない(性能については良し悪しがわかるほど使いこなせていない)。

たとえば、見た目。私の使っているカメラは、かなりデザインがシンプルだけれどクラシカルで、そして洗練されている美しさがある。

重さ、持った時の質感、手に馴染む感じ……。どれをとっても素晴らしい(と思う)。

たとえば、ライカというブランド。このカメラを首から提げて歩いてると、本当に人から声をかけられるのだ。「Oh!! Leica!!」と。

嘘だと思っていたが、これは事実だった。京都というインバウンドが多い街だからかもしれない。

一期一会の出会いも増えたし、ライカユーザーとのつながりもできた。

そういったことは、カメラ本体とは一見全く関係ないことのように思えるが、実はそういったことも含めての値段なのだろうなと、実感している。

それぞれ、どういったことに、その値段分の価値を見出すか、ということは、人によって違うだろうけれど、でもそれだけの価値を誰かが見出せるという、そこには一つの真理があるのだと感じているのだ。

毎日毎日、カメラを持って歩いて、写真を撮る生活をしていて、私はこのライカというカメラを買って、本当によかったと思っている。

私に日々、こんなにも、新しい世界を見せてくれるだけでなく、ものの大切さ、高価さに含まれる貴重さを教えてくれたのだから。

ちょっと私自身は、貧乏になっちゃったけど……。

だからこそ、これからも丁寧にこの子を使っていこう。そう思って今日も私は出勤路でシャッターを切るのである。


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