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チーム天狼院

【素直になれない】スカートを履くのが大嫌いだった私が、Sくんに出会って「女」を意識するようになるまで《海鈴のアイデア帳》


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西武百貨店の婦人靴売り場には、きらびやかなパンプスやサンダルが並んでいて、一瞬、後ろめたい感情が芽生えた。

けれどそれもすぐに消える。
どうして女の子の靴は、どれもこれも可愛いんだろう? と、買い物に夢中になる。

お気に入りの真っ白なシューズもそろそろ履きつぶしてきたところだったので、新しいものを買いに来ていた。
トップスやボトムスはリーズナブルなものでも、足元だけはいいものが欲しかった。

ヒールの高い靴や、スカートのショッピングほど、女の子を意識することはない。

試着室に入り、スカートのチャックを閉める。
高いヒールのサンダルを、かかとから丁寧に履いて、足首のベルトを留める。
鏡の前に立つと、自然と背筋がしゃんとする。

「ヒールを履くことが、いい女の条件」

国民的俳優と結婚した女優さんが、そう言っていたのを思い出す。
高いヒールは、履いているだけで少し疲れるし、スカートだって気を使わなきゃいけないけど、これで私も「いい女」になれてるかしら。

ーーーいい女。
どうしたらそうなれるか。いつの間にか、気にするのはいつもそのことだった。
そして同時に、若干の後ろめたさを感じてしまう。

あの時、Sくんとの出来事があったからだ。



私はスカートを履くのが嫌いな子供だった。それだけでなく、フリフリのリボンが付いたバッグやシューズなど、幼稚園に上がる頃には、いかにも「女の子」を示すアイコンが付いたものに拒否反応を示すようになった。

ピアノの発表会でちょっとしたおめかしをするときなんて、最悪だ。花の付いたカチューシャを付けられ途端に不機嫌になる。舞台に上がるからとエナメルの靴を履かされても、どこか居心地が悪くイライラし、しまいには靴を放り出してしまう。まったくもって面倒臭い子供である。

理由は自分でもわからない。女の子であるという自覚はあったが、女の子らしい服を着ていると「しおらしくしなければならない」のが嫌だったのかもしれない。とにかくいつも走り回っている子供だったのだ。

小学校に上がってから一緒に遊ぶのも、もっぱら男の子だった。

幼稚園が同じでそのまま一緒に小学校に上がった子に、Sくんというのがいた。

Sくんは、私の家のすぐ近くのアパートに住んでいた。
学校が終わると、私たちはよく一緒にゲームをしたり、ほかの男の子の家に遊びに行ったりした。

私の家ではテレビゲームは禁止されていたので、男の子たちの家に遊びに行ったときにだけできるゲームが、とても楽しみだった。テレビゲームのコントローラーにはなんだかたくさんのボタンが付いていて、よく分からなかったし、ゲームの画面にもたくさんのコマンドが出てきていて、何を押せばどう反応するのかぜんぜん理解することができなかった。

けれど、男の子たちがゲームをプレイしているところを隣で見ているだけで、わくわくして仕方がなかった。訳のわからないゲーム機を使いこなせるというだけで、ヒーローだったのだ。

Sくんとは、鬼ごっこやかくれんぼをして一緒に走り回ったりもした。
私の家の前は大きめのアパートが何連も連なる、ちょっとした団地のような場所になっていた。アパートの間には駐車場だけでなく中庭が配置されていた。アパートの構造も、8の字状に入り組んでいていろんな通り道があり、遊ぶには絶好の場所だった。

ピアノ教室の帰り、家に寄らずにその広場でSくんとのかくれんぼに夢中になってしまい、日がすっかり暮れたあと家に戻ると「うちの子が帰ってこない!」と軽く騒ぎになっていた。私はげんこつをくらって、さんざん叱られた。Sくんは、私の家の前で、おずおずと申し訳なさそうに突っ立っていた。

「どこか別の公園で遊ぼう!」

別の日、Sくんの家で待ち合わせ後、そういう話になると、私たちは早く公園に行きたくて、人の家の柵を飛び越え、庭をショートカットして向かった。

「なにやってるの!!!」

突然響いた怒号に、心臓が口から飛び出そうになった。
その家の住人に見つかったのだ。
お説教は、幸いにも少しだけで済んだ。解放されたSくんの横顔には、あまり懲りてなさそうな、したり顔が映っていた。

Sくんには、少し歳の離れたお姉さんが2人いた。ときどき一緒に遊んでくれたのだが、お姉さんたちは小学校高学年と、中学校に上がっていたので、小学校低学年だった私たちからすると、とても大人に見えた。
お姉さんたちがいるSくんは、いろんな遊び方も知っていて、いつも一緒に遊んでいても飽きることがなかった。

「相棒」。
当時その言葉を知っていたとすれば、私たちはそういう間柄だったと表現するだろう。

学校の休み時間に大勢で遊んでいる中にはSくんがいたし、もっと少人数で遊ぶときになっても、そこに残るメンバーにもかならずSくんがいた。
活発で、家も近かった私たちは、自然と気が合ったのだろう。

 

変化が起こったのは、小学校2年生の終わりの頃だった。

相変わらず、休み時間には校庭で走り回ったり、消しゴムをまるでプラモデルのように改造し何重にも重ね、おはじきの要領で、相手を机から落としたほうが勝ち、というゲーム「消しバト」(消しゴムバトルの略)に興じているような日々だった。
あれだけ嫌だったスカートを積極的に履くようになった……なんてことはなく、私はいつもジーンズや短パンなど、やっぱり動きやすいスタイルを好んでいた。

その時間はあまり教室に人がいなかったから、きっと休み時間や、放課後のことだったのかもしれない。

ある日、私が一人でふらっと教室に戻ると、黒板の右下のほうに、何かが書かれてあるのを見つけた。

……なんだろう。
近寄って見た瞬間、私はカッと顔が熱くなった。

それは相合傘で、
記されていたのは、私とSくんの名前だったのだ。

黒板消しを手に取ると、私は、白いチョークで書かれているそれを素早く消した。

……今なら、誰にも見られてない。
もちろん、Sくんにも。

その頃、男子たちはどこか教室ではない別のところで遊んでいたようだった。

大丈夫、大丈夫。
なんでもない、なんでもない。
何もなかった。ここでは、何も起こってなかったんだ。

自分に言い聞かせ、私はなんでもないフリをして家に帰った。

いったい誰がこんなものを書いたんだろう。

誰にもそのことは言わなかったし、そのことを話題に上げる人も、その後、誰も現れなかった。

小学校低学年とは、そんなものだ。気まぐれで人のことをからかったり、ほんの出来心で、身の回りのささいなことの揚げ足を取ったりする。
きっとその相合傘だって、書いた犯人は大して考えてもいないのだ。あまりにも私たちが一緒に遊んでいるのを見て、軽く茶々を入れるつもりだったのだろう。

けれど、胸のざわざわは、なかなか収まらなかった。

相合傘が書かれていたということは、私がSくんに気があるように見えていたのだろうか。

確かに女の子の中には、幼稚園のころから「◯◯くんが好き!」「◯◯くんと結婚する!」とかかわいい話をしていた子がいたけれど、私はぜんぜんそういうのが分からなかった。私はただ単純に、彼と一緒にいるのが楽しかった。

それとも、と思った。

本当は、そんなこと考えたくなかった。
でももし、そうなのだとしたら……さまざまな思いがと渦巻いた。

もし、Sくんの方が、私に気があったとしたら?

それを誰かが知っていて、わざと相合傘を書いたとしたら?

 

私はスカートを履くのが嫌いな子供だった。「女の子」アイコンを堂々と掲げるのが恥ずかしい子だった。

けれどあの相合傘を見た瞬間から、私は、「女」であるということを否が応でも自覚せざるを得なかった。
世の中には男と女という二つの種族がいて、それがこれからはっきりと分かれていくことをまざまざと感じさせられた。もうすでに分かれ道の直前まで来ているのだと知った。小学校ももうすぐ3年生になろうとしていた。

その日から、私はなんとなくSくんと一緒にいることに気後れするようになった。

Sくんの態度はそれからも変わらずに、私と接してくれた。
休み時間、私は、男子の輪の中に混じって遊ぶことから少しずつ離れ、女子だけのグループでつるむようになった。
クラスの男子は男子だけのまとまりになっていき、女子に対して微妙な距離感を作るようになった。

彼が体育の準備体操のとき、クラスの先頭に立って数をかぞえる役に立候補したときも、

「1、2、3、4!」

と高らかに声をあげるSくんに続いて、

「5、6、7、8!」

と数えることすら、うまくできなかった。

ーーーSくんの方が、私に気があったとしたら?

これは、完全に想像だ。彼は、きっとなんとも思っていないに違い。
けれど、そうじゃない可能性も、ないとは言い切れないのだ。

私は、問いに答えられる自信がなかった。
Sくんの準備体操の爽やかな掛け声ですら、「5、6、7、8!」と数え返してしまえば、Sくんのその問いにも答えてしまうことになるような気がした。

3年生になると、クラスが別々になり、放課後にSくんと遊ぶことも少なくなった。

そして、Sくんは親の仕事の都合で、北海道に引っ越していった。

 

私は相変わらず学校に来ていく服はスカートではなく、楽に動けるパンツスタイルが基本だったが、ピアノの発表会のときにスカートを履くことに抵抗はなくなっていた。
伸びた髪の毛を2つに結んだヘアスタイルが、私のチャームポイントになっていた。花柄のパッチワークが入っている服も、好んで着るようになった。

いつの間にか離れていってしまった私に対して、Sくんは、何か思っていただろうか?

本当はあのとき、もっと素直にいるべきだったのだ。
周りからどう見られようと、キャラとかなんとかにとらわれず、ただ単純にSくんと過ごす時間を楽しめばよかったのだ。
けれど、まだ小さかった私には、それができなかった。

Sくんはいつだって純粋に私といるのを楽しんでくれた。
私が怒られているときだって、じっと玄関の先で待っていてくれた。
それなのに、どうして私はあんな相合傘ひとつで、Sくんから離れてしまったのだろう。

あの頃の体験が、間違いなく今の私の基礎を形作っている。
最後まで、ちゃんと素直に、本当は一緒にいて楽しかったと伝えるべきだったのだ。
あの時はあんなことがあったねと、笑いながら、ちゃんと引っ越しのさよならの挨拶をやり直したくてたまらない。

大人になった今の私は、西武百貨店に入っているオデット・エ・オディールで買った、ヒールの高いサンダルを履き、コツコツ地面を踏み鳴らしている。あんなに嫌がっていた女の子アイコンであるスカートも、何着も持っている。

「女の子」を謳歌していると、「女の子」であることに戸惑っていた、あの日の私がときどき顔を出す。

もう鬼ごっこも、かくれんぼもしないし、ゲームに夢中になることもなくなった。
小さい頃の名残で少しだけ気後れすることはあるけど、それは一瞬で消える。昔の自分なら「絶対ムリ!」と首を横に振っていたスカートやヒールも、進んで身につけるようになった。

「いい女」とは、変なプライドを意識しすぎたり、キャラにとらわれすぎることなく、ただ純粋に、素直に自分の気持ちを伝えられる人のことだ。

あれ以来、Sくんとは言葉を交わしていないし、連絡も取っていない。
けれど日本のどこかにいるSくんと、今ならきっと、正面切って話せるだろうし、話したいと思う。
周りの目や、キャラに一切とらわれることなく、そのままの自分で。

こんな話をしたら、きっと驚くかもしれない。
それとも、あの頃と変わらずイタズラににやりと笑って、したり顔をするかもしれないな。

 

「ほら、私って長女キャラだし。甘えるとか自分に似合わない」
「我慢しちゃって、なかなか素直な気持ちが言えない……」
「もっと素直な自分になりたいけど、どうすればいいか分からない」

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