【天狼院放送部】女子大生のわたしがラジオで何を言いたいのか《みはるの古筆部屋》からお送りします
わたしはステージの上にいる彼女を直視できなかった。自分の夢に向かってますぐに、本当にまっすぐに進んでいる彼女の姿を見ていられなかった。
彼女とは大学に入学してすぐの必修のクラスが同じだった。普通に仲は良かったと思う。会えば話をしたり、彼女の誕生日をディズニーで祝ったりもした。仲は良かったのだ。ただ、わたしはある局面において彼女のことが苦手だった。
それは、彼女とわたしが必修のクラスメイトとカラオケに行ったときのことだ。クラスでも中心的な男の子がモンゴル800の小さな恋の歌をいれて歌い、明らかに自分に自信があるように見える女の子がAKBをいれてマイクを次々に回していく。一方のわたしはマイクが自分のところにきても、一曲も歌うことはしなかった。
別にカラオケが嫌いだったわけではないのだ。むしろ、好きなのだ。でも、わたしがマイクを握ることはなかった。
怖かったから。
上京してきて2ヶ月も経っていなかった田舎者のわたしは、東京生まれのおしゃれで遊び方もわかっている、周りの同期からの視線が怖かったのだ。自分の選んだ曲でその場が盛り上がらなかったらどうしよう、歌が下手だと思われたらどうしよう、趣味が合わないと思われたらどうしようと、ひとりでそんなことを考えてマイクから一番遠い場所に座り続けた。東京という場所に慣れていないことを盾にして、“東京生まれの同期”にちょっとでもダサいと思われることを避けていた。すごく小さなことかもしれないが、そんなことでわたしは自分の小さなプライドを守ろうとしていた。
あー、帰りたい……
寮の門限があるから、明日は1限からだから、それっぽい理由をつけて帰ってしまおうと思っていたそんなとき
「さき、歌うまいんでしょ?」
どこからか、こんな声が聞こえてきた。唐突に歌を振られた彼女は、
「いや、そんなことないよ!」
と言いながら、綾香の三日月を慣れた手つきで予約した。
そんな彼女の行動は、
褒められ慣れていることや、ちゃんと自分の十八番があること、自分の歌にかなりの自信があることを表していた。
どうやら本当にうまいらしい彼女の歌を聴いてからお開きにしようという流れになり、わたしも他のクラスメイト同様に彼女の歌を聴くことになった。
ワンフレーズ聴いただけで、彼女の自信はただの自尊心からくるものではなく、確固たるものであることがわかった。俗に言う、歌がうまいひとは今までもわたしの周りに何人かいた。ただ、ここまで他人の歌を自分のものにして歌っているひとは見たことがなかった。
歌っている最中も、終わってからも満足げな表情を崩さない彼女と、そんな彼女に釘付けになっているクラスメイト。曲がフェードアウトしてしばらく、
「さき! 超うまいじゃん! 本物かと思った!!」
と誰かが口にしたことを皮切りに、「こんなうまいひと会ったことない!」「え、何? ボイトレとか通ってんの!?」「歌手になれるよ!!」
次々に彼女への称賛の声があがった。そこまではよかったのだ。わたしも同じようなことを思っていたから。問題はその後だった。
「そう、歌手になりたくて東京出てきたようなものだからね!」
え?
そんな台詞はドラマや映画の中でしか聞いたことがない。現実で言うものではないと勝手に思っていた。
なにそれ
確かに、驚くほど歌がうまかった彼女はみんなが言うように歌手になれるかもしれない。けれど、それを本人が肯定したことにわたしは違和感を覚えた。
歌手になるなんて、そんな大きすぎる夢持ってどうするの
きっと、周りも半分ばかにしているに違いない
自分にどれだけ自信があるかは知らないけど、よく堂々とそんなこと言えたね
届くかわからない「夢」なんてものを、クラスメイトに向かって語っている彼女はわたしにとって苦手の対象となった。
頑張っても、それがすべて報われるわけじゃないことは嫌ってほど経験してきた。勉強したらその分だけ結果になる高校までのテストとは違う。「夢」というのはその程度のものではない。例えば、小学生くらいの子が歌手になりたいと言っていたらわたしは何も感じなかったのだろう。ただ、それを口にしたのが自分と同期だったから。精神的にも身体的にも法律上でだって大人と認められるようになるひとだったから。わたしと同じように努力が必ずしも結果に繋がらないことを知っているはずのひとだったから。
だから、
「夢」なんてものに向かって走る彼女をばかばかしいとさえ思った。
自分はもっと大人な考えを持っている
自分はもっと現実主義者だ
自分はもっと……
こんな風思うことで、わたしは自分の小さなプライドを守ろうとしていた。マイクを持って一度歌えば、嫌でも周りから評価されることになる。ダサいとかマイナスのイメージはもたれたくない。そう思われないように、自分が評価されないように、わたしはマイクを自分から遠ざけていた。
「さきのライブ見に行かない?」
と、唐突に友人に誘われた。
2年前、歌手になりたいと「夢」を語っていた
あの、さきのライブの誘いだった。正直わたしは、
行く
と即答できなかった。
実際、バイトのシフトがはいりそうだとかゼミのミーティングがあるからとか
そういった類いの理由もあったのだが。
彼女の「夢」でしかなかったからこそ、ばかにできたのに。
彼女の「夢」でしかなかったからこそ、自分の小さなプライドを守ることができたのに。
なのに、歌手というものが目の前で体現されているのを見るのは耐えられないと思った。
でも、それと同時に
今、自分は彼女の歌を聴くべきなのではないかとも感じていた。
結局、バイトのシフトもはいらず、ゼミのミーティングの時間もライブの時間に被らなかったわたしはライブに行くことになった。
電車で会場に向かっている途中ずっと、
彼女がステージで歌っている姿を想像しては、
その光景を実際に見た自分はどうなるのか、何を感じるのかを考えていた。いくら考えても答えは出なかったが、それが自分にとってプラスの感情ではないことだけは確かだった。
白い衣装に身を包んで、ステージの中央に立つ彼女はわたしの知っているさきではなかった。
その光景を見たわたしは、案の定
ステージの上にいる彼女を直視できなかった。自分の夢に向かってますぐに、本当にまっすぐに進んでいる彼女の姿を見ていられなかった。
彼女が歌い始めたとき
電車の中で想像し、考えていたことなんて一瞬で吹き飛んだ。頭が真っ白になった。ただ、彼女が歌う歌詞が目の前にひたすらに流れてきて、それを目で追うことで精一杯だった。うまいとかすごいとか、そんな言葉が安っぽく感じてしまうくらいに彼女の歌は歌詞は会場を、わたしを飲み込んだ。
彼女の「夢」がライブという形で体現されたら、耐えられないと思っていた自分は彼女の歌によって消されていた。彼女がすべての曲を歌い終わるまでの間、思考することをやめていたわたしの脳だが、一瞬ふと思ったことがあった。
書きたい
歌手になりたい
という「夢」を追いかけ、ずっと走ってきた彼女ほど
わたしは強い人間ではない。「夢」を抱くことさえばかだと否定していたわたしには他人に語れるほどの「夢」はない。ずっと同じ「夢」を見て走り続けることもできないと思う。
だけど、「夢」を否定しない強い彼女の歌を聴いて
ただ、今は
書きたい
そう思った。
さきの歌を初めて聴いたあのカラオケで、マイクを持つことを避けていたわたしは彼女からしたらばかだったのだと思う。周りからの評価を気にして、自分を表現できないわたしはばかだったのだ。
もう、わかった。「夢」を見るひとをばかにすること自体がばかだった。
だから、
わたしは自らマイクを持つ決意をし、声を大にして言うことにした。
7/19のTenro-In Festaの生中継で、わたくしスタッフのみはるがパーソナリティーを務めます「天狼院放送部」がスタートします!!
さきのライブが終わってから、ずっと考えていました。
書きたい、と。
わたしが書ける環境にあるのは天狼院のおかげだ、と。
このことを伝えたい、と。
マイクを持ち、今度こそ自分の「夢」を語るべきだと。
Tenro-In Festaって?
わたしが担当するファナティック棚って?
ファナティック読書会って?
さきのような形になっている「夢」ではないけれど、わたしが今必死になろうとしている天狼院での活動を生中継で配信します!!
お客様参加型のラジオにしようかと思っていますので、Tenro-In Festaにご参加いただける方もそうでない方もお楽しみいただけると思います!
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