メディアグランプリ

 時間泥棒


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:北澤 佳苗(ライティング・ゼミ 冬休み集中コース)
 
 
「この質問もこの質問も、先日の打ち合わせで丁寧に説明したはず」
先日、上司の嘆き声が隣から聞こえてきた。
取引先から80項目にものぼる質問シートが送られてきた。私も一緒に打ち合わせに出ていた。
先方は担当者2名で来ていたはず。確かに項目の80項目の半分以上は、打ち合わせのときにスライドを用いて1時間半に渡り説明した内容だ。
結局、隣の席で上司は土日の予定を変更し、80項目の質問を埋めた。
 
 
「なんか、みんな仕事が雑になってきたな」
そういえば同じ感想を、3年前に私も持ったことがある。
政府が働き方改革を打ち出した、年度が始まって2ヶ月くらい経った頃だった。
当時働いていた会社では、本社全体で22〜23時帰りが当たり前だった。「無駄をなくして効率の良い働き方を推進する」という通達が出た。
残業削減策として会社全体で8時より前に帰るようと言われる。
 
 
早く帰れることは嬉しい。ショッピングがまだできる時間だ。ヨガにも行けるし、久しぶりに会いたい友人と飲みにも行ける。家の掃除もできる。やりたかったことが平日に終われば、休日も自由な時間が増える。
 
 
しかし早く帰れる分、そのしわ寄せは大きい。1日平均2〜3時間かけて作業したり考えていたりした時間の穴埋めはどこでするのだろうか?
仕事が減るわけでもない。人が増えるわけでもない。いきなり能力が上がるわけでもない。
 
 
「じゃあその案件の資料を全部メールで送ってください」
そんなことを考えている中できた、他部署の中堅社員からの一本の照会電話。
私が担当していた案件と類似案件を考えているので、やり方を教えて欲しいという話だった。仕事がスムーズに進むなら喜んで力を貸したい。
参考にしたいと言われた資料は、関係者も多く、期間も長い、かなりパワーを要した案件だった。資料全部送るなんてことになれば、それだけで2日はかかる。他の仕事もある。どの部分が欲しいとかいう特定はできないのか。
「はい、今まだ特定できず、どの部分が必要かまだ分からないので、全部ください。2日後でもいいですよ」
 
 
悶々とした気持ちを抱えながらも、結局考えに考えていくつか資料を送ることにした。結局私はその日19時からの飲み会に2時間遅刻していくことになる。
飲み会で待っていてくれた友人たちは笑顔で向かい入れてくれた。そして、23時頃まで話で盛り上がる。眠そうな顔をしている友人もいた。
 
 
翌日の寝覚めは最悪で、とにかく猛烈に眠かった。
「遅くまでご飯に行っていたから仕方ない。原因は自分にあるから仕方ない。」
重い体を起こしながら、ふと気づく。待っていてくれた友人たちも猛烈に眠いと思いながら起きているのかもしれない。
2時間も遅刻しなければ、21時頃には終わっているはずの会。
日付変わる前には床に就く時間に帰宅できたはず。
「もっと何を送って欲しいのか、相手と向き合って、時間がかかっても突き詰めていったほうが、もっと早く終わらせられたのかもしれない」
その時にようやく気づいた。
80項目の質問をもう一度送ってきた取引先の担当者や、2日かからないと送り切れない資料を要求してきた他部署の中堅社員と本質的には同じことをしていることに気づく。
 
 
「モモ」という文学作品を知っているだろうか?
1973年にドイツの作家によって書かれた児童書で、「時間貯蓄銀行」という銀行から泥棒たちに盗まれた人間の時間を、主人公のモモが人間たちに取り返していくという、「時間泥棒」を描いた作品だ。
この物語の中で人間たちは、時間を泥棒に奪われはじめてから、時間を節約するために、せかせかと生活しだす。次第に、生活に喜びを失うようになり、金儲けだけを考えるようになっていってしまう。
 
 
「私は忙しい」
私もよく口にしてしまう言葉だ。時間が金額に計算される社会だから、尚更時間の価値は大きい。しかし、いつだったら忙しくなくなるのだろうか。
みんな常々忙しい。時間が空いている時というのは、直近でいつあったのだろうか。
 
 
約束をすっぽかして自分の仕事を優先してしまうこと、自分の作業を丸投げしてしまうこと、思考を放棄してしまうこと。ふと振り返ってみると、心の余裕がない状態だ。
早帰りしろと言われている中で、残業しても評価が下がるだけだからとにかく帰えるか、という諦め。とりあえずこの仕事をやっつけなきゃ、という焦り。自分の評判が下がるのが嫌だから仕事優先、という勝手な判断。
いずれも何か外からのものに追いかけられていて、自分の状況を見失っている状況、ということに気づかされる。
 
 
「時間とは、生きるということ、そのもの」である。「そして人のいのちは心を住みかとしている」
「モモ」の文中にでてくる一節である。評価や早帰りに追い立てられている時は、気づくと息をしていない。気づけばもうこんな時間だ、と意識を失いワープしてしまっている。
私もそうだし、きっと取引先の担当者や他部署の中堅社員もそうだったのかもしれない。
 
 
以前職場の先輩から言われた言葉をふと思い出した。
「忙しい、という言葉は心を亡くすという字で成り立っている言葉。これを使うようになったら、心に余裕ないってことだよ」
時間泥棒が日常の中に潜んでいることに気づかされる。全くもってその言葉の通りなのである。
 
 
 
 
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2020-01-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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