再び父になる
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:近藤泰志 (ライティング・ゼミ平日コース)
「うちの子にならないか?」
「ほう、俺があんたの子供に? それで条件は?」
「毎日リンゴと人参を飽きるまで食べさせてやる」
「……悪くないな。いいだろう」
これは僕が脳内で彼と交わした会話である。場所は京都市内の某ペットショップ。大きめのケージの中を縦横無尽に駆け回る彼に僕は出逢った。様子を見つめている僕に気が付いたのか、彼も僕を見つめてきた。
瞬間……互いの目と目が合う。
そして先ほどの会話の後、彼は僕の子供になった。
彼は生後一か月のモルモット。人間でいうとまだ4歳~5歳ぐらいの年齢だ。
思えば、彼は生後一か月で母親の元から離されて、どこともわからない場所で『商品』として売られていた。世の中の仕組みがそうなっているとはいえ、いささか複雑な思いがした。
彼がどのぐらいその場所にいたのかは僕にはわからないが、他の動物の鳴き声、店内の騒音、そして「かわいい」という理由で不特定多数の人に触られていたストレスを考えると、走り回っていたのはもしかしたら恐怖で逃げ回っていたのかもしれない。だがこうして縁あって僕と出逢い、晴れて僕の子供になってくれた彼に僕は自分のできる限りのことはなんでもしてやろうと心に決めて彼を連れて帰った。
そしてこの日を境に僕は久しぶりに【父親】になった。
まず一番初めに頭を悩ませたのは彼の名前を決めることだった。
名前を決めないと彼はいつまでたっても『税別4,500円のモルモット』のままだ。さすがにそれは不憫すぎる。だがこの命名に僕は悩みに悩んだ。そして顔を合わせるたびに『税別4,500円のモルモット』(仮)は僕の脳内にこう語りかけてきた。
「親父さん、俺の名前……決まったのかい?」
「いや、まだなんだ」
「そうかい。一つ洒落たのを頼むよ」
「……ああ、わかったよ」
それから2日後のことだった。自転車に乗っていた僕に突然、ある名前が舞い降りた。
「……小太郎」
今思い返しても不思議なのだが、彼はもともと『小太郎』という名前だったように思えた。自宅に帰った僕は、ケージ越しに近づいていた彼にこう告げた。
「君の名前は『小太郎』だ」
彼……いや、小太郎は興味なさそうな顔をしてそのまま巣箱の中に戻っていった。
とりあえず反論はしてこなかったので、多分気に入ってくれたのだと僕は勝手に思った。
晴れて名前が決まり、これで一安心と思っていたが、小太郎は本性を現わし始めた。
とにかくよく鳴く。
ひとたび冷蔵庫を開けようものなら、春闘の労働組合のように大声で鳴いて人参やリンゴを催促する。ついには僕が水仕事やトイレの水を流すだけで鳴くようになった。おそらく人参をあげる前に水で洗っていた時の音を小太郎は覚えたのだと思う。しかしうちに来る前に人参やリンゴを飽きるまで食べさせてやるという条件を出したのは僕なのでここは彼の要求に従うことにした。
とにかく良く動く。
生後一か月の小太郎は先ほども書いた通り人間でいうと4歳か5歳だ。さしずめ幼稚園の年中さんといったところだろうか。年中さんの男の子はおとなしい子もいるだろうが、大半はおはようからおやすみまで元気いっぱいに走り回っている。現に僕の息子も年中さんの時に自分が仮面ライダーになったつもりで親の僕を怪人に見立てては何かしらの必殺技の名前を叫び、おもちゃの武器を持って突進してきた。小太郎も武器こそ持ってはいないがその有り余るリビドーをぶつけるかのように朝から晩まで「お前は蛙か」と言いたくなるぐらいにモルモットなのにぴょんぴょんと飛び跳ねては、ケージの中を走りまわり餌の入った器も水の入ったお皿もひっくり返す。その様子はまるで善良な主人の屋台をひっくり返していく愚連隊のようだ。これをほぼ毎日やってくるので、小太郎はモルモットの姿をした悪魔なのではないだろうかと僕は思うようになった。
昼夜を問わず大声で鳴き、いつも蛙のように飛び跳ねている悪魔の小太郎。しかし彼といると僕はとても懐かしい気持ちに浸れるのだ。
それはまだ子供達が小さかった頃に育児に悪戦苦闘していた頃の気持ちだ。小太郎といるともう二度と経験することはないと思っていたあの頃のハラハラドキドキした気持ちなる。中学生になった僕の子供達はさすがに小太郎のような振る舞いはもうしない。今は皆がそれぞれ青春を謳歌している。良くも悪くも今の僕にはそれをただ見守る事しかできない。だがこの小さな悪魔は僕にもう一度父親としての楽しみを与えてくれた。
ペットを迎えるということは責任重大だ。しかし小太郎はとうの昔に忘れてしまった気持ちを僕にもう一度思い出させてくれた。
はしゃぐ小太郎を抱きかかえて膝の上に乗せる。
「僕の子供になってくれてありがとう」
膝の上でくつろぐ小太郎にそう声をかけると僕を一瞥して軽く目を閉じた。
傍らには今したであろう大量の糞が僕の膝に落ちていた。
「まだ父親とトイレの区別がついていないんだな」
僕は苦笑いをして彼を撫で続けた。
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