メディアグランプリ

「父は光に包まれて」


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:野上 洋 (ライティング・ゼミ特講)
 
 
私は墨のような闇に包まれている。
「サーッ、サーッ」
柔らかくきめ細やかな水の粒子が私の顔に吹きつける。
固く閉じた瞼をそっと開く、一気に光の波が押し寄せる。
そして眩い光の先には、父の姿が……。
これは夢の中なのだろうか?
父の手には霧吹きが握られている……。
「イヤ、なにしてんねん!」
「起きたか、ヒロシ。釣りにいくぞ!」
学生時代、予定のない休日の朝は決まって父に起こされる。私の気持ちなど完全に無視して。一方的に自分の都合を押し付けてくる身勝手な父。
そんなあなたが嫌いだった時期もあった。
 
その父が2019年1月1日、世界中の人々が年明けを祝っているであろう日の朝、亡くなった。末期がんだった。つい1週間前に74歳の誕生日を迎えたばかり。突然の別れではない。覚悟はしていた。でも、あまりにも早い死だった。
 
私は仕事上、たくさんの人の死に立ち会う。介護施設で働きだしてから、100名近い方々の看取りに立ち会った。
高齢者の施設なので、死の原因は老衰によるものがほとんどだ。積極的な治療は行わず、必要最小限の点滴や酸素吸入を行う。脳は酸欠になるとエンドルフィンという脳内麻薬を分泌し、恍惚状態になるといわれているし、呼吸が弱くなると血液中の炭酸ガスが増え、その麻酔作用のために眠ったような状態となり、苦しむことなく安らかに最期を迎えることができる。延命にこだわり、いつまでも点滴をしていたり、酸素吸入をしたりしてしまうと、体はいずれ水分を吸収できなくなりパンパンにむくみ、胸水がたまり、苦しみが増すだけだ。
 
最近では終活とかいって死を肯定的にとらえる方も増えてきている。また、がんを患っても、事実を受け入れ積極的に活動されている人も多くいる。
 
人はいつか死ぬ。だから、死を恐れるのではなく、積極的に今を生きることが大切なんだ。延命にこだわらず、今を精一杯生きようじゃないか!
多くの人との別れを通じ、そんなふうに思うようになっていた。
治ることのない病気にいつまでも立ち向かうのではなく、共存する。
老いと戦うのではなく、自然なことと受け入れる。
それが人間の正しい営みなんだ!
 
父の闘病生活は壮絶だった。前立腺がん、肺がんと2度の手術を乗り越えた。片方の肺は3/4が切除された。術後もつらい放射線治療や抗がん剤治療が続いたが、決して音を上げなかった。毅然として病気に立ち向かっていた。原因不明の頭痛に苦しみながらも、調子の良いときは孫たちと沢山遊んでくれた。クリスマスにはサンタの仮装をしてプレゼントを持ってきてくれた(子供たちは大号泣していたが……)。
ほどなくして、もう片方の肺にもがんが見つかった。もう手術はできない。抗がん剤治療も効果が出ず、がん細胞は全身に飛び散ってしまった。
医師から、もう治療法はない。ターミナルケア(終末期医療)に移りましょうと告げられた時、父は糸の切れた操り人形のように動かなくなった。
今まで治るかもしれないという希望が父を突き動かしていたのだろう。
夕食を一緒にしようと頻繁に実家に顔を出すようになったが、いつも父はベッド上。
「わかってはいるが、やる気が出ないんだ」と言われると、返す言葉もなく沈黙が続く。
とてもじゃないが「がんを受け入れて、前向きに残された時間を楽しもう!」なんて言えたもんじゃない。
 
そして2018年12月21日、誕生日を3日後に控えたその日、息苦しさと痛みを訴え、悶えていると母親から連絡が入る。救急車を呼ぶように母に告げ、私も仕事を切り上げ病院に向かった。
「胸水がたまっていて、肺がむくんでいる。入院して点滴をすれば、少し楽になるだろう。家に帰るのを目標に頑張りましょう」と医師は父に説明した。だが、父はまるで他人ごとのように無反応だった。病室が決まり、父を部屋に送り届けた後、私と母が医師に呼ばれた。「正直に言って、がんが大きくなりすぎていて、神経を圧迫し、口から水や食べ物が入らない状態、痛みも相当強くなっているみたいなので、麻薬を使いますが、なんとか年を越せるかどうかだと思っておいてください」と。
 
それならば、せめて父の大好きな家で治療ができないかと考えた。そして父にそのことを相談した。「もう、そんなことはどっちでもいいし、考えたくもない。とにかくこの痛みをなんとかしてほしい」それが父の答えだった。
 
入院してから日に日に痛みは増しているようだった。麻薬を使用し、意識は混濁していった。うわごとのように「痛い、安楽死、明日はもうなし、もういい」と繰り返していた。見ていられなかった。
医師に寿命が縮まってもいいので、痛みをとってあげてほしいとお願いした。
 
人を楽しませるのが好きで、人が嫌がることも率先して引き受ける。正義感が強くて家族を大切にする。いつも父は私に大切なことを教えてくれた。
 
「ヒロシ、勉強するのはいいことだ。経験から答えを導き出すのも大切だ。だが、調子にのるなよ。病気を受け入れて、前向きに生きろだと? 病気に立ち向かい、燃え尽きてしまうことだってある。お前がすべきことは、お前の考えを他人に押し付けることなのか? それぞれの考えに寄り添うことではないのか?」闘病生活を通じて父は私にそう教えてくれていたのだと思う。
 
元旦に父は逝った。家族想いの父らしいなと思った。
 
家族みんなそろっているよ。孫たちも家でおじいちゃんの帰りを待っているよ。
 
さあ、おうちに帰ろう。
 
 
 
 
***
 
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2020-03-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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