「彼女が私に教えてくれたこと」
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記事;落合明美(ライティング・ゼミ平日コース)
今年も、住んでいる調布市の通学路が、あちらこちらをピンク色に染めだした。
3月半ば。桜の花が一斉に咲き出すと、私はいつも彼女のことを思い出す。
彼女は、あの時も、満開の桜の下で、私を精一杯の笑顔で送り出してくれた。
「姉ちゃん! 東京でも頑張って!」
6歳年下の彼女「ちのちゃん」とは、実に20年間もの付き合いになり、私は、かつて妹分の彼女から、とても大切なことを教えてもらった。
彼女との出会いのきっかけは、
地元の四国で、初めて『正社員』として、就職したばかりの飲食店だった。
当時、四国の某コーヒーチェーン店の「店長候補」として、25歳の私と、もう一人23歳の男性社員が、採用され、そうして早4か月が経とうとしていた。
そこには、一人。厳しい40代の店長が私達の指導係として働いていた。
「西村さん(私の旧姓)。優しいのはいいんだけど、厳しさが全くないんだよねぇ」
店長は、愛用の銀ぶち眼鏡に手をかけながら、よく皆に指導をしていたので、皆から
陰で「メガネ店長」と呼ばれていた。
メガネ店長の言わんとすることは、よく分かっていた。
私は、当時は、アルバイトの皆を叱れなかった。
何故か。皆を叱って嫌われてしまうのが、ただただ、怖い、臆病者だった。
幸いなことに、
素直なアルバイトの10、20代の女の子は、そんな気の弱い私が言うことにも
従順に従ってくれていたが、二人の男の子からは、反発を受けていて、私は
どうしたものかと、思い悩んでいた。
それまでに、私が、17歳の頃から10年近く。アルバイトでお世話になっていた、地元で有名な「某コーヒー店」
その店で、楽しく仕事をしていて、入ってきた新人に優しく教えることは得意だったが、私は只の古株の先輩なだけで、特にその『個人店』では、上下関係も別になかった為、いわゆる「叱る」といったことは、全くしてこなかったのだ。
「あ、リエちゃん。ここの、フロア。お客様がいなくなった時に掃除してもらえる?」
仲の良い女の子に、『お願い』をするとその子は
「はぁい。西村さん。分かりました」
素直に二つ返事で引き受けてくれる。
しかし、同じように、ある男の子にお願いしても、無視をされてしまう。
「林君。聞こえてる? 掃除、お願いね」
『注意』をすると、返事がないままに、掃除を仕方ないといった様子で始める。
私は、そんな反抗してくる子たちに辟易していた。
更に面白くないことに
同期の、店長候補である男性社員は、アルバイトの子たち、全員に尊敬されて慕われていた。彼は、長年、飲食業の社員を経験していたので、そういう上限関係を構築する術に長けていた。
『彼にあって、私にないものって一体何だろう?』
何かが悪いことは分かる。
けれども、決定的な解決策が、自分では分からない。
私は、自ら、ズブズブと底なし沼に陥って、そうして、いつまでも這い上がれずにいた。
こうして、悩んでいる或る日に、彼女「ちのちゃん」は、当時、19歳の新人アルバイトとして、店にやってきた。
「西村さん、宜しくお願いします。」
彼女は、ぱっちりとした瞳をしていて、身長も小柄で愛らしかった。
そして、とても素直で、どんな仕事も丁寧にこなした。掃除はきっちりと、隅まで丁寧にやり、お客様に精一杯の笑顔で接客をする。
私は、明るくて素直な彼女が好きになり、プライベートでも度々、遊ぶようになった。
そうして、彼女のことを名字でなく、仕事でも、名前からの愛称で
「ちのちゃん」と呼ぶようになり、彼女は私を「姉ちゃん」と呼んだ。
彼女は、たちまち他のアルバイトの子達とも仲良くなった。
ところが、一人。そんな彼女と相性の悪い人物がいた。メガネ店長だった。
「彼女は、確かに仕事は丁寧だけど、時々、店が暇なときに気を抜きすぎていて良くない」
そんな理由で、メガネの淵に手をかけながら、事あるごとに彼女に指導していると、次第に
彼女と店長の仲が険悪になり、そうして、店長とシフトが重なることが多かった彼女は
店を辞めてしまった。
驚いた私は、2か月後に、店長と、ちのちゃん。二人の様子を見ながら、
仲介役をして、彼女に『お願い』をして、店に戻ってきてもらったのだ。
ちのちゃんの夕方のシフトには、出来るだけ、私が一緒に入るようにした。
そうして、暫くは、何の問題もなく、仲良く一緒に働いていたが、突如、その日は来てしまった。
平日の夕方、いつもより店が暇で、店内にも、数人のお客さんだけ。
その時に、彼女は
「あーあ。姉ちゃん。今日は、暇だねぇ」
そう言いながら、カウンターでコーヒーを淹れている、私の横の、少し高くなっている
手摺りに、彼女の顎を載せて、怠そうに呟いた。
ドクン。
まずい、これが、店長が言ってた彼女の良くないところなんだ。
ここは、彼女をきちんと叱らなくちゃ。
そう、頭では分かっていたのに……
「こら、駄目でしょ。ちのちゃん」
情けないことに、私は彼女に冗談めいた『注意』をすることしか出来なかった。
幸い、彼女は
「はぁい」と間延びした返事をして、すぐに手摺りから、顔を離したので、
私は、ホッとした。
「良かった」
しかし、その1週間後に、私は、メガネ店長から、『ちのちゃんが、店を辞めさせられたこと』を知った。
「えっ、店長。どうしてですか?」
「彼女ねぇ。 僕が何回注意しても直してくれない、悪い癖があってねぇ。ほら、そこの手摺りに、お客さんがいない時に顎を載せるんだよ」
……何てこと!!
私だ。
ちのちゃんを、辞めさせたのは間違いなく、彼女をあの時に、叱ることが出来なかった私なんだ!
どれだけ後悔しても、後の祭りだった。
その日の夕方に、彼女は、洗濯をした制服を持って、最後に挨拶にやってきた。
「ちのちゃん! ごめんなさい! 私のせいで……」
仕事中だった私は、
カウンターを飛び出して、彼女の両手を取り謝って、そして、周りのお客さんがギョッとするのも構わずに、号泣した。
「姉ちゃん! 私こそ、ごめんなさい!」二人で、人目をはばからず、お互いに謝りながら泣き崩れた。
彼女は私を許してくれた。
それからの私は、仕事上では男女構わず、名字にさん付けで呼び出し、そうして、「叱るべき時」には、容赦なく、しかし、愛情を持って叱るようになった。
……すると、不思議なことに、反発していた、アルバイトの男の子や皆が
「西村さん」と、男性社員と同様に慕ってくれるようになった。
それから、約10年後に、東京の有名ビルの某コンビニの初代店長としての経歴を持った自分がいたが、これはまさしく、ちのちゃんのお蔭だった。
そして、彼女もその後、仕事はもちろん、勉強もしっかりと頑張り、36歳で立派な看護師になった。
ちのちゃんとは、私が東京に引っ越してからも、毎年、帰省する度に
逢っていたが、
突然、2年前の3月に連絡が急に取れなくなった。
彼女と私を繋ぐスマホのラインには、『ちのが退出しました』とだけの短いメッセージ。
ちのちゃんは、享年38歳の若さで、脳腫瘍で亡くなってしまった。
今でも、満開の桜を見ると思い出す。
私が、上京すると決まって、或る夜。コンビニでおつまみと缶チューハイを買って、桜の下。
二人でささやかに乾杯をした。
「姉ちゃんなら、大丈夫! 東京でも頑張って」
彼女のくったくのない笑顔と明るい声が
私の脳裏を掠める。
彼女は、今も、私の心に永遠に棲み続けている。
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