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メディアグランプリ

勝手に課題図書


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:加藤里加子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
ベッドに寝転んで文庫本を読みながら、私はだだ泣きしていた。
読んでいたのは、五味川純平「人間の條件」。
高校3年の夏休みだった。
 
夏休み初日、父が私の前に「課題図書」を積み上げた。父が、1万冊以上ある自分の蔵書からピックアップしたもので、15冊ほどあった。
 
高校では、夏休みに「課題図書を読んで感想文を書け」的な宿題が出たことはなかった。国語教師の父が、そんな状況を憂慮して、自前の「課題図書」を私に課した気持ちも分かる。
 
そうはいっても、高校3年の夏休みだ。そろそろ本格的に受験勉強を始めようという頃だし、課題図書を読んでいる余裕はない。
 
だが、父は機嫌を損ねると星一徹並みに怖い人だった。私はおとなしく課題図書を受け取り、夏休みの間、午前中の1時間を読書に充てることにした。
 
最初に手に取ったのが「人間の條件」全6巻。
 
タイトルを見て、麦わら帽子が飛んでいる映画を連想したからだが、今にして思うと「人間の証明」と勘違いしていたようだ。もっとも「人間の証明」がどんな話か知らなかったので、読み始めても自分の勘違いには気がつかなかった。
 
いや、たとえ気づいたとしても、関係なかっただろう。
1巻からグイグイと惹きつけられた。読むのをやめられなかった。読書時間は1時間と決めていたはずなのに、昼食だと呼ばれるまで読み続けた。
 
「人間の條件」は、太平洋戦争中、主人公の梶が中国の鉱山や帝国陸軍を舞台に、時代に流されながらも完全に流されきれず、自分の良心に突き動かされていく物語。私はそう受け止めた。
 
言論の自由のなかった時代。自分が信じる思いを言葉にすると思想犯扱いされてしまう時代。上官の命令は絶対という理不尽の中、不当に迫害される弱者を助けたいと願う梶。
 
なのに、その気持ちに従って行動するたび、梶自身の立場がどんどん悪くなっていく。自分の利益しか考えずにうまく立ち回る奴がいて、そいつが梶の正義を踏みにじる。
 
何故だ?
 
梶が言っていることは正しいだろう? 梶が、中国人鉱員を、捕虜になった戦友を、大陸に取り残された民間人を、助けたいと願う気持ちは正義じゃないのか? 何故、それが報われない? 何故、卑劣な奴が得をする?
 
私は、読みながら憤った。憤って、泣いた。
憤りで涙が出るのだと、初めて知った。
 
そして、「人間の條件」は私の愛読書になった。
大学生になって実家を離れた後、古本屋で全巻買って、本棚の一番取りやすい段に置いた。時々読み返しては、憤怒の涙を流した。
 
その後、社会人になり、何度か引越しを繰り返すうちに、文庫本はいつの間にかなくなっていた。6巻全部ないので、引越し作業中、間違って処分品の箱に入れてしまったのだろう。
 
もう一度、古本屋で買ってこようか。
 
そう思いつつ、だが、今の私には、もう一度あの本を読む勇気がない。
今読み返しても、あの時のような感動はないのではないかと思う。
 
「人間の條件」は、正しい行為が報われるとは限らないという不条理を、私に突きつけた初めての物語だ。
 
梶は、弱い人を救うために、英雄的なことはしていない。自分の手が届く範囲で、自分ができることをした。それが、私にはとても現実的に思えて、梶に共感し、梶が陥るひどい状況に納得ができず、やり切れなくて、憤った。
 
だが、今の私は、涙を流すほど憤るだろうか。
 
梶の気持ちは分かる。不当な扱いを受けている人をなんとかしたいと願う思いは、尊い。
 
でも、その行動は、行き当たりばったりで稚拙だと感じてしまう、今の私がいる。助けたい人を、本当に助けるつもりなら、梶のような正面突破のような手段ではなく、もっと根回しをするべきだし、賢く立ち回った方がいい。梶の行動は、自分の正義感を満足させるだけのものではないのか、と思う。
 
社会に出て、もまれて、私は純粋な気持ちを失ったのか。
そんな風に寂しく感じる一方で、あの時、素直に感動できる時に「人間の條件」を読んでおいてよかった、とも思う。
 
書籍には、野菜のように旬がある。
 
「人間の條件」は、たぶん、今読んでも面白いだろう。
でも、それは冬に食べるナスやキュウリと同じだ。夏野菜は、夏に食べてこそ力強い味がある。書籍にも、それを読むのにふさわしい旬の時期があり、旬のものを読んでこそ、強く心に残るのだ。
 
あの夏休み、私に「課題図書」を押しつけた父は、こう言った。
「宝島は面白いが、あれは小学生が読むものだ。高校生になってから読んでも、小学生ほど楽しめない。それと同じで、この辺の本は今読んでおかないとダメなんだ」
 
その通りだった。
父は、自分の本棚という畑で、私のための旬の本を選んでくれていたのだ。
 
あの時の「課題図書」を、私は全部読むことができなかった。数冊を残して夏休みが終わり、タイムアップになってしまった。その時はなんとも思わなかったが、今は、旬の本を味わい損ねたことがもったいなくて仕方がない。
 
「人間の條件」は、まだ買い直していない。
 
 
 
 
***
 
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2020-03-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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