パスポートを忘れたあの人のごまかし
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記事:みさと(ライティング・ゼミ平日コース)
「あっ…… もう、これムリだよね?」
関西空港、朝8時。
2時間後には離陸する飛行機のチェックイン。
ズボンのポケット、スーツの胸ポケット、スーツケース。
一切焦らない、ゆっくりした動作は
とうてい、それを探す人には見えない。
気が気でない私たち。
「どうか、その言葉だけは言わないで……」
と祈った。
探し終えた彼は
全員の顔を見回し言った。
「パスポート、忘れた」
それを言ったのは、ほかでもない。
うちの代表取締役。社長だった。
3秒ほどの沈黙。
誰も何も反応できない。
社長は私の目を見て、また繰り返した。
「これ、もうムリだよね? (笑)」
パスポートを取りに帰ったら
往復4時間はかかる。
最悪な状況を少しでも良い方向に。
私たちは動いた。
5名だった予定を4名に変更。
なんとか代わりの便を探すため
受け付けで交渉した。
が、見つからなかった。
最悪だ。
搭乗時刻ギリギリまで粘った末
「まぁ、なんとかするわ」
と言って、社長は涼しい顔で去っていった。
私は先輩に聞く。
「これ、間に合わなかったら
どうなるんですかね?」
先輩は応える。
「んー。普通にヤバイ。
今から16時間飛行機に乗って
19:00に現地に着くやろ?
20:00から打ち合わせ。
商談は明日の12:00。
これに間に合わんかったら、
ヤバイな」
そう、
明日のお昼からの商談は
社長がいないと本当に「ヤバイ」。
実は代わりの飛行機はあった。
しかしその飛行機は避けたかった。
なぜなら、社長は英語が
ぜんぜん読めないから。
代わりの飛行機は
ホテル近くの空港に着かないものだった。
深夜に到着してから
現地での移動が発生する。
迷子になるかもしれない。
みんなで、シートベルトをした離陸直前まで、
ホテル近くの空港に着くものを必死に探した。
「社長、1人で現地移動したら
迷子になりますよね」
「せやな、へんなタクシーに乗って拉致される。
とかあるかもしれへんしな」
こんな会話をしながら。
結局、会社にいる社員に
飛行機の手配を任せることにした。
不安と一緒に離陸。
16時間後。
現地に着くと嬉しいお知らせがあった。
社内の人が探し回ってくれて
飛行機が見つかった。
社長は早朝5時、現地に着く。
「まじかー、助かったー!」
これでみんな一安心。
翌朝5時に無事到着した社長は
「ギリギリまで、寝ます。
起こさないでください」
とみんなにメールを打った。
本当にギリギリまで寝ていた。
そして商談に向かった。
後日、社長はこんな話をしてくれた。
パスポートを忘れた1日が
どんなにハッピーな1日になったか。
という話だ。
「あの日会社に帰って仕事したら
めちゃくちゃ捗ったよ。
だって、飛行機に乗ってる
はずの時間だからね。
会議とかアポとか全然なくて
静かな良い1日だった」
とか
「夕方はね
子供と空港で待ち合わせして
メシ食ってからここに来たよ」
とか。
あの日、
何事もなかったかのように
堂々と帰社して
(社内はざわついたらしいが)
仕事をしてきたようだ。
そして家族と飛行場で
晩御飯を食べてから
飛行機に乗り込んだ。
パスポート忘れたのに、
なんて優雅な1日だ。
私たちはあんなに大変で心配したのに。
先輩に軽く愚痴を言った。
「私だったら、パスポート忘れたら
絶対笑えません。落ち込みます」
そしたら、先輩から
思いがけない返答がきた。
「いや、あれはなー
社長は心で泣いてるよ。
だいぶショックやったと思うで。
ただそれを
オレ達には見せてへんだけや」
私は
「おぉ! これぞ
会社を背負う人の心構えか!」
と衝撃を受けた。
確かに、社長はこんな話もしてくれた。
「あの日はパスポート忘れて、
気分的にマイナスだったでしょ。
それでね、
『とりあえず家族と空港でメシ食おう。』
と思ったの。
そしたらプラスマイナスゼロになるでしょ」
1日をプラスマイナスゼロで終わらせる。
マイナスが起こった時、
意識的にプラスを持ってくる。
それが社長のポリシーのようだ。
友達にこの話をすると
「いや、社長大丈夫!?
てかパスポート忘れたの
ごまかしてるだけやん」
と、笑われた。
「ごまかし」か。
そう思われても仕方ない。
ただ、これに関してはごまかしではない。
あの日、私は社長の本気を見た。
だって商談の準備のために、
私たちは連日、徹夜で打ち合わせをした。
最高に準備をしたのに、
最後にパスポートを忘れた。
たぶんパスポートを忘れるほど
大事な商談だったんだ。
マイナスな気持ちにならないはずがない。
商談に間に合うか間に合わないか。
間に合ってもベストなコンディションでは
挑めない。
「どうしたらキズを最小限にできるか」
1番考えてたのは社長だと思う。
いつもいつも、極限までリスクを考えている社長だから。
だけどそんな心配を外に出さず
涼しい顔で空港を去った。
家族とご飯を食べてきた。
そして、今では笑い話にしている。
これができるのはめちゃくちゃ強くないか。
リーマンショックの時
彼はリストラせずに
ここまで会社を大きくしてきた。
良かったこと、悪かったこと。
全ての結果を背負ってきた。
その彼が言うんだから
間違いない。
「起こったすべてを、ポジティブかえなさい。
マイナスが起これば無理やりプラスを作りなさい。
そうすれば今日1日は、プラマイゼロ」
社長が身をもって教えてくれた。
私の話をすると、最近、家でじっとするのが辛い。
でも、不謹慎かもしれないが
プラスのことはたくさんあった。
何年かぶりに近所を散歩した。
同じ景色のはずなのに、
子供の頃との見え方がぜんぜん違っていた。
「こんなに良い町だっけ」と感動した。
将棋アプリを始めてみた。
これがめちゃめちゃ面白くて、ハマった。
不安定な状況で、これからどんなことが
待ち受けているのかわからない。
だけど自分の大切な1日は、
プラスマイナスゼロ。
むしろ、ちょっとだけプラスで
終われるようにしていきたい。
***
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