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喪中はがきにハッピーエンドのお話の最後の1ページをつづるには


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:ハルキハルヒラ(ライティング・ゼミ 平日コース)
 
 
「たけちゃん…… 苦しい たすけて」
夜中の2時。
孫である主人の携帯に祖母から電話があった。
私は7歳の息子を起こして、妹と待っているようにと伝え、お酒を飲んで寝た主人の代わりに運転し、自宅から1、2分の祖母宅に向かった。
 
心不全で入院し、退院してちょうど1週間が経った日だった。
ひ孫になる私の子供たちを連れて、祖母の家を訪ね、一緒に夕ご飯を食べ、21時頃別れたばかりだった。祖母は玄関まで送りに来てくれたが、息が切れて、息を吐いた最後にヒュー、ヒューと苦しそうな音がしていた。また少し苦しそうだな、と思ったが、「また明日もくるね」と別れた。あの時に病院に連れて行っていればよかった。
 
祖母の家に入ると、ベッドの上で携帯電話を手に祖母は倒れていた。
主人は人工呼吸と心臓マッサージをし、私は救急車を呼んだ。
「おばあちゃんの息が苦しそうだったのに気付いていたのに、ごめんなさい」
主人と祖母が救急車で行ってしまったあと、私はひとり、全てを見ていた祖父の仏壇に謝って、泣いた。
 
急いで帰ると、30分間2人だけで待っていてくれた子供達は私の姿を見て泣きだし、今度は3人で泣いた。
 
今までは、喪中はがきを受け取ると、まず亡くなった方の年齢を見て、80代、90代であると、ご長寿だったのだな、ほっとしていた。
今度は私が出す番になった。
白黒の味気ないものは嫌で、オレンジ色で、ロッキングチェアと編みかけのセーターと毛糸、老眼鏡の挿絵入りの温かみのある喪中はがきを選んだ。大好きな祖母が亡くなって寂しいという気持ちが少しでも伝わったらと思った。
「祖母が94歳で亡くなりました。」
喪中はがきの文例に年齢を書き込みながら、「でももっと生きられたかもしれないんです」と心の中で1文付け足している自分がいた。94歳でもこんなに未練が残っている喪中はがきがあるのだと、初めて気がついた。
 
それ以来、喪中はがきを受け取っては、たとえご長寿であったとしても、いったいどんな最期を迎えられたのだろうと想像した。
 
私にはもう一つ家族の死の経験がある。
私が大学生の時に父が肺がんになった。
父は医者だった。
咳が長引き、風邪をこじらせたのかと思っていた。
見つけた時にはガンはもうかなり大きくなってしまっていた。
「もっと患者さんの診察をしたかった」父は言った。
父は入院し、抗がん剤治療が始まった。
私は当時医学部に通う学生で、大学の授業の帰りに毎日病院に通院した。
父が寂しいといけないので、毎日少しでも顔を出し、父の病室で試験勉強をした。
たまにわからないことがあると父に質問をした。
普段から口数の少ない父だったが、医学のことで私が質問することができるようになったことを嬉しく思っていたようだった。
ぺーパードライバーだった私のために、父は自分の乗っていた車を売って、私が運転しやすいようにとコンパクトカーを買ってくれた。それに乗って、週末は母を乗せて病院に通った。
 
抗がん剤は効果がなく、父から「ホスピスにうつりたい」と申し出があった。
 
学校帰りにホスピスに通う毎日になった。
相変わらず父とはとこれといった会話はなく、病室で同じ時間を過ごすだけだったが、それでも父を安心させるのではないかと、とにかく毎日通った。
 
父が亡くなったのはガンを診断されてからわずか半年だった。
58歳だった。
 
もちろん父は死ぬには若すぎたと思う。父にとっては無念の一言だったろう。
ただ、私は毎日通院し、慣れない車を運転し、必死だった半年だっただけに、やりきったという気持ちがあった。半年の生活の中で父の死を受け入れていたのだと思う。
 
祖母は私が諦められなかっただけで、祖母自身は受け入れていたのかもしれない。
 
死にゆく人の気持ち、周りの人の気持ち。
どちらも満足のいく死に方なんてあるのだろうか。
 
ところが、昨年末初めてこんな喪中はがきが届いた。
 
父○○が91歳で幸せな人生の幕を閉じました
 
その喪中はがきはまるで
「幸せな人生でした。めでたし、めでたし」
というハッピーエンドの話の最後のようだった。
 
亡くなったお父様も、ご家族も、「幸せだったね」と言えるような人生だったのだろう。
 
最期の迎え方は人それぞれ。
選べるものではないが、私は最期に「幸せだったよ」と家族に伝えたいと思う。
 
私には父のようにもっと仕事をしたかったとか、やりたいことがあったのに、なんてものはない。あるとしたら、子供たちがもう少し大きくなるところを見たかったなあ、くらい。
特に人生の目標がない自分が、ダメと言われているような気分になることがあるけれど、つまりは今の自分で満足ということなのだ。
 
でもこのことが周りに伝わっているかというと、そうではない。
今私が死んだら、周りは「若いのにかわいそう」と思うだろう。
だからもっと普段から伝えておかないとと思った。
 
もっと自分の気持ちを丁寧に伝えよう。
「ありがとう」「たのしかったね」「おいしいね」
小さな言葉の積み重ねで、幸せを伝えられる。
 
いつか出す私の喪中はがきにハッピーエンドの1ページをつづってもらうために。
 
 
 
 
***
 
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2020-04-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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