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私がオーストラリア移住を決めた、ある人との出会い


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記事:三國 希実子(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「私の中で何かが弾けた」
小説かドラマの中のことかと思っていたこの感覚を、高校2年生の夏に味わった。私はオーストラリアの小さな町にいた。気がつけば、道路の向こうに見える畑へ向かって走り出していた。都会育ちの私が持つ「常識」という小さな枠がパリンと割れたようだった。
 
両親へ嘆願し、夏休み中にホームステイプログラムへ参加していた。そこでの出会いが、のちの私の人生を大きく変えたのだった。
 
日本全国から集まった他の高校生たちと一緒に、成田空港からオーストラリアへ出発。ブリスベンへ到着し、そこからバスに揺られること約3時間。町を過ぎると見渡す限りの農場と広い空、という風景を幾度か繰り返した。降り立ったのは、通り過ぎてきたどの町よりもこじんまりしたところだった。人口1200人ほどのAlloraという小さな町で待っていたのは、テレビでしか見たことがなかった、髪も目の色も違うホストファミリーたち。
 
バスを降り、長旅から解放される。迎えに来ていたホストマザーを、挨拶もせずに「Mum!」と呼んだことは、今でも彼女にネタにされる。小学生の頃から英語に触れ、渡豪前にはオーストラリア英語を学んだ。緊張から思わず出た言葉を、彼女は「アタリだ」と捉えた。この年、初めて日本からの学生を受け入れ、毎年ホストすることを決めたと言う。私は、その第一号だった。
 
小学生の娘が3人いるMumは、シングルマザーだった。娘たちと私を学校へ送り出してから仕事へ出かけ、私たちよりも早く帰宅する。紅茶を片手にソファに深く沈み、ああ忙しい、と言う。夜にまた働きに出るのかと思いきや、9時くらいにはベッドルームへ消えていく。ある時、男性が家にやって来た。「お父さんなの」と紹介してくれた7歳の末っ子に、私はきっと混乱した表情を見せていただろう。17歳の私には、家族の関係性も働き方も、カルチャーショックでしかなかった。
 
「シングルマザーの家に子供を預けたくないって、相手先の家族に言われたこともあるのよ。古い人たちもいるものよね」と聞いたのは、私が少し大人になってから。「なんてもったいない!」と、その断った家族を哀れんだ。Mumは、他のホストファミリーとうまくいかず困っていた学生を受け入れたり、ホームステイを単なる「ビジネス」とする業者と付き合わない、愛の塊のような人だからだ。後から聞いたところによると、私の受け入れはボランティアだったという。
 
ホストファミリーと過ごしたのは1週間。現地の子供たちへ日本文化を紹介したり、大きな町やダムへ観光に連れて行ってもらったり、私のまずい料理を食べさせたり。帰りのバス乗り場で、泣きながら私にこう言ったMumを鮮明に覚えている。
 
「パスポート、失くしちゃいなさい」
 
不思議な絆が私たちに生まれていた。
 
その後、ハガキを何度か往復させた。阪神大震災が起こったときは、心配して国際電話がかかって来た。インターネットのない時代の精一杯のコミュニケーションだった。大学の卒業を控え、また会いに行った。何でもDIYしてしまう、ビール腹をした陽気な彼氏ができていた。時々、元夫もやって来て話していく。Mumはやっぱり「忙しい」と、前庭のベンチで紅茶を片手に笑っていた。
 
社会人3年目のある時、私は将来を見失っていた。在籍する部署での仕事はやりきってしまい、異動願いは提出済み。彼氏とも別れたばかり。キャリアも結婚も老後も、幸せな暮らしを想像できずに悩んでいた。そんな時にふと思い出したのが、Mumとの会話だった。
 
「いつも幸せそうだけど、先を考えて不安になったりしないの?」
「全然ないわよ。子供も友人もいるし、ここでの暮らしが好き」
 
「そうだ、オーストラリアへ行けば私もMumのように幸せに暮らせるはず!」と、仕事帰りに本屋へ足を運んだ。そこで驚くような体験をする。光って見えるものがあるのだ。“オーストラリア”がタイトルにある本や雑誌たちが目に飛び込んでくる。片っ端から手に取りパラパラとページをめくる。留学や暮らしに関する情報を仕入れて、ワクワクが止まらなくなった。
 
その翌日、職場で私はきっとニマニマしていただろう。上司に呼び出される。
 
「やりたいって言ってた仕事、明日台湾から取引先が来るから、やるなら顔合わせするけど、どう?」
 
待ち望んだ話だった。と同時に、オーストラリア行きが遠くなる、と迷った。「少し考えさせてください」という返事で、私をよく理解する上司に「何かあった」と見抜かれた。「仕事のあと、飲みに行くぞ」と誘われた先の居酒屋で、昨日のワクワクを白状することになった。「会社辞めます」と言ったあの夜は、人生最大の転機だ。オーストラリアへどうやって行くのか、いつ行くのか、何も決まっていない。あと先考えず、とはこのことだ。でも、一ミリの後悔もない。むしろ、あの日、神様から本気度を試され決断したことを、心から祝福したい。
 
今、私はオーストラリアのシドニーに住んでいる。結婚式ではMumが私の母としてスピーチをした。締めくくりの言葉は、夫へ向けての「Welcome to our family.」だった。息子が生まれたときは、10日間お世話に来てくれた。本当の母のようだ。
 
友人とヨーロッパへ旅行中のMumから電話がかかってきたことがある。パリで恋に落ち、家に帰りたくないと少女のように告白するのだ。イギリスに住む男性と3年ほどの遠距離恋愛を経て、60歳で再婚。彼をオーストラリアへ呼び寄せてしまった。「Mumが理由」で移住した、ふたり目である。
 
息子はあと5年で、17歳になる。「ここでの暮らしが好き」な誰かに出会い、のちにその人の元へ引っ越していくのかもしれない。そんな出会いが待っているなら、行きたいと望むところへ喜んで送り出そうと思う。私の両親がそうしてくれたように。
 
 
 
 
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2020-04-25 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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