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あらしのよるに ~地方公務員の命懸けミッション~


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:蓮台寺 梓(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 

「班長、飛ばされますー!」
「大丈夫だ! まだ問題ない!!」
 

いや、全然大丈夫じゃないし。というか、そのセリフは死亡フラグなので、やめてください。あと、「まだ」ってなんですか。

 

ヘルメットの下で、バサバサと音を立てて、雨合羽が視界の邪魔をする。雨足は弱まってきたから、思い切って脱いでしまったほうがマシかもしれない。といっても、周りになにか建物があるわけではない。この場で脱ぐのは、風圧のせいで物理的に不可能だ。数百メートル手前に停めた、公用車のバンまで戻って脱ぐしかない。

 

今、私がいるのは、特大台風接近中のとある海岸。時刻は午後7時を回っている。あたりは真っ暗だ。班員のヘッドライトだけがあちこちで光っている。この堤防から一歩足を踏み外せば、確実に太平洋へ流されて、死体は永遠に見つからないと思う。

 

別に、好き好んで台風の夜に出歩いているわけではない。れっきとした、お仕事だ。

 

そのお仕事は、一般的には「水防(すいぼう)」と呼ばれている。台風や大雨の際、管理下にある堤防やダムなどの様子を見回り、点検し、水門を閉める。必要なら堤防の補修もする。土のうを積むときもある。

 

県や市町村、それぞれの出先機関の職員がその任に当たることが多いというが、今年の春、農林事務所に配属されるまでは、まさか台風の晩にわざわざ水辺に近づく業務があるなんて知らなかった。地方公務員、命懸けのミッション、それが水防だ。

 

ここで、話は前日にさかのぼる。

 

「まずい。明後日、大潮の日だ……」
もうじきサポートが切れるOSが入ったインターネット専用端末をのぞき込んだまま、隣の席の班長がぼそっと呟いた。眉間にはしわが寄っている。
 

「満潮は何時ですか?」
横から覗き込むと、彼は気象庁のホームページを見ていた。画面には、最寄り地点の潮位表が表示されている。
 

「げっ、夜中の2時満潮じゃないっすか!」
うへぇ、と口に出しそうになる。
 

うら若き乙女が、上司に対して「げっ」とか「っすか」とか言うのはどうかとは思うけれど、どうせ裏寂れた農林事務所には、私と総務のおばちゃん以外、女性はいない。毎日作業服で過ごしていると、色々なことがどうでもよくなるのだ。どうせ、今回の水防にも、男女問わず駆り出されるのだし。

 

「とりあえず、車に荷物積んでおきますね」
ため息をついて立ち上がる。
 

もうスコップ類やロープは載っているから、あとはヘッドライトとヘルメット、軍手、錆取りスプレーくらいか。水門の鍵はすぐに身につけられる場所に出しておいて、と。計測ポール……を使っている余裕はないだろうけど、一応積んでおこう。

 

われわれ農業土木班の頭を悩ませているのは、日本に向かって絶賛北上中の台風21号だ。もう10月下旬だというのに、非常に勢力の強い台風で、大きな被害をもたらすことが予想されている。

 

もう少し日本に近づけば、テレビでは盛んに「危険です。出歩かないでください。水辺に近づかないでください」というアナウンスが繰り返されることになるだろう。

 

その最中、わざわざ危険を犯して、海辺の水門(正確には、海岸沿いの堤防上に点在する樋門(ひもん))を閉めに行こうとしている。何のためかといえば、海水が排水路を逆流して、海辺の集落やアロエ畑に侵入するのを防ぐためだ。

 

せっかくの花金なのに、気持ちは晴れない。招集がかかるとしたら、明日、土曜の夜だろう。既に高潮注意報は発令されている。「注意報」が「警報」に変わったときが、私たちの出番だ。どんな真夜中だろうと、暴風雨の中だろうと、いったん事務所へ参集した上で、さらに片道20km、管理下にある堤防の見回りに出かなければいけない。

 

「こんなにいいお天気なのになあ」
窓の外には、地学の教科書に載っていそうなうろこ雲が広がっている。雨合羽や長靴を抱いて帰宅しなければならないかと思うと、気が重くなった。
 

翌日土曜日、午後6時。ついに高潮警報が発令された。外はもう暗い。かなり風が出てきた。雨が強くなる前に事務所へ向かい、同じ農業土木班の人たちと合流して、目的地へ出発した。

 

軽自動車なら横転してしまいそうな風の中、30分ほど国道を飛ばす。ほとんど車とすれ違わない。途中で雨足が強くなってきたので、ワイパーの回転数を上げる。超速メトロノームのような凄まじい速度で動き始めたワイパーの作動音のせいで、ラジオはまったく聞こえなくなってしまった。

 

山がちな地形になってきた所で、国道から脇道に入った。ここからは、携帯電話の電波も入らない。今のうちに、事務所の連絡係へ電話を入れておく。

 

車1台がやっと通れるだけの山道をくねくねと登り、峠を越して、ゆっくり下っていく。とにかくスリップしないように、道路脇の側溝に落ちないように、慎重にハンドルを握る。運転しているのに車酔いしそうになる、つづら折りの道が続く。

 

やっとカーブがなだらかになってきて、集落の明かりが見えてきた。ここからは人を轢かないように気をつけなければいけない。堤防に向かう途中、現地の巡視員さんのお宅に寄って、お礼と挨拶を済ませた。夕方時点では、堤防まわりに損傷は見られなかったそうだ。

 

堤防に近づくにつれて、雨音に混じって、波の音も聞こえてきた。舗装道路の行き止まりで、公用車を停め、装備を整える。車窓の外は、バケツをひっくり返したような雨だけれど、行くしかない。水門の鍵と錆取りスプレーだけ持って、外に出る。

 

思った通り、猛烈な暴風雨だ。海は真っ暗で、何も見えない。手すりにつかまりながら、堤防の上をゆっくり歩く。堤防は全長300mほどあり、水門は2カ所。普段は鍵をかけて、勝手に操作されないようにしている。今日出動したのは4人。私は、班長とペアになっている。1ペアあたり1つの水門を閉めれば良いわけだ。

 

班長には、先ほど死亡フラグを立てられてしまったけれど、何とか水門まではたどり着くことができた。ところが、ここで問題が発生。
「鍵が開かない!」
 

潮風のせいで、ここの鍵はしょっちゅう錆びつく。懐から錆取りスプレーを取り出したは良いけれど、風が強くて思ったように差すことができない。

 

「貸してみろ」
班長が横から手を出してくれた。さすがは本業の土木職、事務屋とは手つきが違う。何だかんだ言って、頼りにしてしまう。鍵を開けた班長は、そのまま水門のはしごをよじ登り、力強くハンドルを回した。
 

まるでギロチンのような勢いで、水門が閉じていく。

 

「全部閉まりました!」
水門の下から声を張り上げると、班長が大きく頷いた。もう一組も無事に任務完了したらしく、ヘッドライドの明かりがこちらへ近づいてくる。ライトで照らして見た限り、危ない箇所はなさそうなので、今夜のところは事務所で待機して、被害が出ないように祈るよりほかない。
 

翌日、開門ついでに浜の様子を見に来ると、堤防の手すりがひん曲がっていた。側溝は、ありえない位置に飛んでいる。これは、補修工事の発注で忙しくなりそうだ。公用車の窓は、潮で真っ白になっていた。幸い、民家や畑には被害がなかったらしい。新米公務員にとっては、いささかハードな一夜だったけれど、秋晴れの青空を見上げて、少しだけ報われた気持ちになった。

 
 
 
 

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2020-04-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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