ほくろを取っても、人生が変わらなかった話。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:安井美貴子(ライテイング・ゼミ特講)
「1女かわいいランキングの結果を発表しまーす!」
世の中、顔顔顔。
気づいたら、そんな世界に両足を踏み入れていた。
小中高一貫校に通い、ほぼ女子しかいない環境の中で育った。
多くの同級生がそうだったように、わたしにとっても「ここ」は唯一の居場所で、その居場所に強く強く執着していた。限られた人間関係の中で生き抜くためには、常に自分だけの個性が求められていた。日々巻き起こる日常の小さな紛争から居場所を守るためには、ほかの誰でもない、自分だけの個性を確立することが何よりも重要だった。外から見れば、笑ってしまうくらい多様性のない集団だったと思う。見た目で差がつかないからだろうか。小さな違いで自分と他人を語ることばかりを考えて生きていた。
そんな世界の中でも、早い段階で化粧やファッションの楽しさに目覚め、どんどんと垢ぬけていくクラスメイトがいた。彼女たちの会話には、時折学外の話題が登場する。それはとても怪しげで魅惑的で危険なもののように感じられた。その先の話を聞きたくて、紙芝居に集まる子どものように、その話題に釘付けだった。朝から晩まで部活だけに熱中していたわたしにとって、「ここ」以外に居場所があることがとても大人びて見えた。
ただ、残念ながら、当時のわたしには、その新しい居場所のつくりかたがわからなかった。執着せざるを得なかったひとつの世界の中で、自分をさがして戦いつづけた。気づいたら、大学生になっていた。
大学には、色々なひとがいた。たしかに、色々だった。多様に見えた。ひとつしかなかったわたしの世界は、突如、5にも10にも広がった。それぞれの世界における密度は、高校までのそれとは比べものにならないくらい低くなった。同時に、そこは、あまり個性を重視される世界ではないことに気がついた。日常の小さな紛争や、自分さがしのための争いもなくなった。広がったその世界は、なんだかとても優しい世界に感じられた。
優しい世界に馴染むためには、まず最低限流行を意識したファッションと、清潔な印象を与える化粧が必要なようだった。「最低限の身だしなみを」と、母に連れられ、百貨店の化粧品売り場で、似合う化粧品を見繕ってもらった。説明書通りに筆を左右に動かせば、色の付いた粉が付着した顔面ができあがった。しかし垢ぬけた顔とは程遠く、正解もよく分からなかった。
入学してすぐ、なんとなく大学のテニスサークルに入った。それも、大学というコミュニティに順応するため、さまざまな媒体で所属を推奨されたコミュニティだったからだった。入学前に想像していたイメージとは異なり、先輩も同級生も、皆穏やかで、優しい世界のひとたちだった。
サークルでは、気味が悪いくらいに丁寧な扱いを受けた。特になんの取柄がなくても、1女(1年生の女子)であるということは重要なことのようだった。同級生の男子から「それが役割なんだよ」と教えられた。なるほど、この優しい世界では、自ら特別な役割を創造する必要はなく、周りから求められる役割を果たすことが重要なのか。もちろん、丁寧な扱いを受けるのは、決して悪い気はしなかった。
しかしそれは突然始まった。
「1女かわいいランキングの結果を発表しまーす!」
優しく見えたその新しい世界は、ただ優しいわけではなかった。重要視される評価軸が変わっただけだった。
この世界では、「ふつう」の個性の元に成り立つ、作り込んでいない自然な華やかさがとても重要だった。特異な思考や発言は、まったく求められていなかった。
見た目が同じ分、強烈な個性を重視されていた、かつてのコミュニティにおける文化との違いを知ったとき、優しい世界の中で、わたしはひとり、不自然な「変わった子」という見られ方をしていることに気づいた。目指すべき姿が「ふつう」であることに変わった。
意見を求められれば「ふつう」に空気を読み、人並みの見た目になれるよう「ふつう」の女子大生を目指した。次第に、目指していた「ふつう」を体現できるようになると、今度は、ちょっと「ふつう」を超える容姿を目指したいと願うようになった。
鏡を見て、色々と工夫をしてみても、どうにも印象は変わらなかった。どこから手をつけたらいいのかもわからなかったし、劇的な変化を指摘されるのは嫌だった。あくまで、作り込んだ印象のない自然さ。「頑張った感」のない、都会的で洗練されたイメージは、ぼんやりともっていたが、何をどうしたらいいのかもわからなかった。
社会人になると、容姿への欲求は、どんどん増していった。没個性的になりすぎないよう、適度に個性的で、自分に似合うものを研究した。どこにお金をかければよいのかわからなかったため、毎月、美容院、ネイルサロン、眉毛サロン、エステサロン、人工まつげの付け替えに通った。びっくりするような金額を払って、顔に塗る水を買った。
少しずつ肌は綺麗になったし、化粧室で鏡を見ても瞬間的に落ち込むことはなくなったし、周りからは「何かと手入れを欠かさないひと」という印象を持ってもらえるようになった。
しかしどうしても理想に近づくために、邪魔なものがあった。
顔面に点在する、ほくろである。
母はわたし以上にほくろが多かった。母の若い頃の写真を見ると、顔だちやファッションの前に、どうしても目についてしまうほくろ。それと同じものがわたしの顔面にも散らばっているのだと思うと、どうしても落ち込んでしまう。
そんな母は、数年前にほくろを除去した。その変わりようは、今でも忘れられない衝撃だった。ほくろが無くなって、たしかに母はとても綺麗になった。しかし、顔の印象が変わり、娘としては、どこか物足りない寂しさのようなものを感じていた。
あくまで目指したいのは「ふつう」。だからこそ、お金をかけてほくろを取ることは「容姿にこだわりすぎたひと」という作り込んだ印象を持たれるようで、抵抗感があった。
しかし、突発的に「今だ!」と思うタイミングが訪れてしまった。前日の夜、午後休の申請をして、病院へ向かった。不思議な行動力に駆られ、あっという間に取ってしまった。
ほくろが無くなった穴を見て、ひどく後悔した。次に会社に行ったとき、友人とランチをするとき、まじまじと顔を見られて「ほくろ取ったんだ」なんて言われたら、どうしよう。
しかし、結果、誰からも気づかれなかった。拍子抜けするほど、何も言われなかった。
気を遣われているのかと思い、思い切って自ら聞いてみたりもしたが、皆驚いたような表情になり、揃って「元の状態が思い出せない」と言うのだ。
急に病院へ行くことを思い立ったあの日は、ほくろを取ったら、間違いなく人生が変わると思っていた。しかし人生は変わらないどころか、自分の容姿に執着しているのは、自分だけだったと気づかされた。
長年こだわってきた容姿も、個性も、役割も、自分だけが気にしていた見えない幻想だったと気づいた。同時に、目指していたイメージから解放され、ほっとした。
「ふつう」の感性をもつことは、とても大事だと思う。しかし、もう一方で、自分だけのオリジナリティを持っていたい。そして、周りからの評価ではなく、自分が評価したいと思える自分像をもちたいと思えた経験となった。
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