私はそして、思い出たちに別れを告げた
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:松尾 恵実(ライティング・ゼミ通信限定コース)
久しぶりに会った弟は、見覚えのある懐かしいTシャツを着ていた。
「それ、まだ着てるんだ」
何度も洗われて色もあせて、少しヨレヨレになっているが、胸元にプリントされている絵柄に見覚えがある。
もう10年くらい前かもしれない。
弟と一緒に、普段着を買いに新宿へ行ったことがある。
その時に買った、ファストファッションの、お手頃価格のTシャツだった。
夏服だから質よりも数だ! と、少しでも多く買おうと思って選んだやつだ。たしか千円くらいだったと思う。
「まだ着られるからさ」
「もう、捨ててもいいのに」
自分の口から自然と出てきたその言葉に、私はハッとなった。
そうか。
そういうことだったのか。
その時、ここ最近考えていたことに対する答えに気がついたのだった。
「うち、散らかっているんだ。汚いけど、ごめんね」
社会人になってからは、友人の家に泊まりで遊びに行くことが増えた気がする。
一人暮らししているから、気軽に泊まれるし、宅飲みもできるようになったからだ。
そして、友人たちの家にお邪魔するたびに、よく聞くのがこの言葉だった。
この言葉を聞くたびに、いつも私の胸はチクリと傷んだ。
散らかっているんだ、と話されたその部屋に入ると、大抵は、ものは散らかっていないし、きれいに整理されているし、掃除もされている。
「え、きれいじゃん?」
「そんなことないよ〜」
きれいの基準が違うんだろうな。
それに比べて、私の部屋は。
床には本は積み上がって、カバンや、スマホの充電器やタブレットパソコンが散らかっている。
部屋が散らかっていると、頭の中も整理しづらいのだと何かで読んだことがある。
仕事でも、プライベートでも、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃと、心を落ち着かせる暇もなく、いつも焦っている感じがする。
紙にTODOリストを書き出したらすぐにいっぱいになってしまいそうだ。
数年前に断捨離が流行った時に、ゴミ袋10袋くらいは捨てたし、本もこの前数百冊売ったはずなんだけどな。
おかしいな。
そう思いつつ、数ヶ月放置していた。
この春、外出自粛になったこともあり、世間もお片付けムードになった。
その流れに乗って、私は再び部屋の片付けを行うことにした。
本を処分するのは簡単だ。
間違って処分してしまっても、大抵の本はまた買い直せる。
これから読まないだろうなと思う本、読み返さないだろうなと思う本を選ぶ。
書き込みがない本は古本屋に売って、それ以外は資源ゴミの日にポイッと捨てるだけ。
捨てる、捨てない、の判断が難しくはない。
同じ理屈で、使わなくなった家電や小物も捨てるのは難しくない。
必要最低限のもの以外は捨てる。
間違って捨てたとしても、買い直せば、以前より性能の良いものを買える。
ここまでは、ものを整理整頓する時間さえ確保できればなんとかなる。
なにせ、数年前に断捨離した時に、いろんな本を読んでものの捨て方について学んでいる。
ゴミ袋にして10袋以上を捨てた実績があるのだ。
逆に、整理が難しいものは衣類の一部だった。
それが、何度も着ては洗濯を繰り返し、ボロボロになってもう着られなくなった服だったら簡単だ。役割を終えたものとして処分ができる。
ここ数年着ていない服も簡単だ。流行遅れのデザインの服がメインになるからだ。
流行は繰り返すというけど、それも十何年も先の話。その時は、服の趣味も変わっているだろうし、仮に取っておいたとしても傷んでしまっているだろう。
問題は、もう十何年も来ていない服だ。
高校生の時の学校祭で着るために作ったオリジナルのTシャツ、中学生の時に着ていた苗字が刺繍されたジャージ、小学生の時に住んでいた自宅近くの洋服店で母に買ってもらったカーディガン。
何となく捨てられず、ずっと生き残り続けてきた選手たちだ。
いつか捨てなければならない、でも今捨てなくてもいいのではないかと決断を先送りにしてきた洋服たちは、今回も私を悩ませる。
どれも学生時代の思い出が詰まった品ばかりだ。
捨ててしまったら後悔するのではないか?
そこにあるのは、物としての価値ではなく、思い出としての価値がしみついているからだ。
これらを捨てることを思い出を捨ててしまうことになるのではないか?
そういった想いが、いつも決断を先送りにさせてきた。
捨ててしまってからでは遅い。
なくしてしまって後悔してからでは遅い。
私は、物を捨ててしまったことで後悔する可能性があることを知っているのだ。
なぜなら、母が後悔している姿を見たことがあるからだ。
祖父母が仕事で毎日のように使っていた洋裁用のハサミを、なぜ形見として保管しておかなかったのか。母は、ことあるごとに後悔していて、その姿を私は見ているのだ。
私は、昔から物持ちが良い方で、今でも小学生の時から愛用しているマフラーがある。
高校生入学のお祝いに、父から買ってもらった時計もいまだに使っている。
長年使っているものは愛着が湧く。
それらは、自分と共に成長してきた相棒のようなものだ。
祖父母のハサミのように、大切な人が大切にしていた相棒が無くなっても後悔するのだ。
自分と共に成長してきた相棒たちを私は捨てることができるのか?
わからなかった。
でも。
今回、ちょっと試してみようか?
そうして、私は思い出の詰まったTシャツを捨てた。
ジャージを捨てた。
友人たちの家のようにきれいな部屋にしたかった。
先日、思い出の詰まったジャージたちの入った袋が、収集車で運ばれていくところを見送った。
悪いことをしている気分だった。
でも、せめて私の思い出が去っていく姿を見届けようと思ったから。
まだ、少し心に穴が開いている気がする。
でも、私はまだ生きている。
後悔したっていいじゃないか。
きっと後悔って、生きている人間だから感じられる感情だよね。
もし激しく後悔したとしたら、また同じくらい大切な思い出を作ってやればいいじゃないか。
そして、私は、弟の着るヨレヨレのTシャツを見た。
これも、紛れもなく思い出の詰まったTシャツといえるだろう。
私は気がついた。
仮にそれを弟が捨ててしまっても、私は何とも思わないだろう。
弟と服を買いに行ったのは、あれっきりない。
買い物に行ったその日は気持ちのいい晴れの日だった。
楽しかったな。
また一緒に買い物にいってもおかしくないくらいの、仲のいい関係でこれからもいたいな。
本当に、純粋に、そう思ったくらいだった。
***
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