三年越しの恋 ―『伊勢物語』第二十四段より―
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記事:川上さくら(ライティング・ゼミ日曜コース)
「わかった。出ていくよ。そのかわり、君は俺を愛してくれたように、新しい男を愛してくれ」と、男は言った。
その男と女が暮らしたまちは寂しかった。きらびやかな文化が届かない、のどかな、小さなまち。けれども、男も女も、お互いがいればそれだけで幸せだった。目の前にある小さな幸せをかみしめて、ふたりで生きた。
ある日、男は単身、都会へ勤めることになった。ふたりが暮らしたまちからは遠く離れた場所。慣例に従い、女を連れていくことはできない。男は、必ず帰ると約束して、都会へ出発した。
女は待った。都会から送られてくる、男の手紙を。男の訪問を。月に一度、いや、数ヶ月に一度でもいい。一年に何度も帰ってこられないのであれば、せめて一年に一度だけでも……。
けれども、男は帰ってこなかった。手紙もない。
そうして、三年が経とうとしていた。
男と離れてひとりで暮らす女のもとには、とても熱心に愛を伝えてくれる男が現れた。
女の心は揺れる。夫はきっと帰ってきてくれる。帰ってきたら、新しい二人の生活をスタートさせて、きっとそれは、今まで以上に甘く、幸せな日々だ。
でも、もし帰ってこなかったら……?
一年に一度、帰ってくることもなかった。もちろん、仕事が忙しいのは分かっている。慣れない都会での仕事。きっと田舎に帰る間も惜しんで、私たちの生活のために働いてくれているのだろう。
でも、手紙をよこすことくらいできるのではないか?
三年間もあったのだ。一度くらい会いに来てくれたっていいじゃないか。手紙を書いてくれたっていいじゃないか。
もしかして、新しい恋人ができたのかもしれない。こうして、私に言い寄ってくる男性が現れたように、都会の女性との出会いがあったのかもしれない。
男が家を出てからちょうど三年が経とうとする日、女は、かねてより愛を伝えてくれていた男性に伝えた。今夜、逢いましょう、と。
その夜。ドアをノックする音がする。
女は身構える。新しい彼だ。私がこれからしようとしていることは、夫に対する裏切りになるかもしれない。けれども、三年間待ちに待っても、夫は帰ってこなかった。だから、今夜、私は新しい男と契りを交わすのだ……!
けれども、ドアの向こうから聞こえた声は、懐かしい夫の声だった。
「ここを開けてください」
女はつらかった。ドア一枚隔てた向こうに、かつて愛した男がいる。でも、私も三年待ったのだ。三年間音信不通にしたのは、三年間ずっとつらい思いをしたのは、彼のせいだ。もう不安な思いはしたくない。
そうして、こう伝えた。
「私、新しい彼と逢う約束をしているの。今夜。だって、三年間ずっとあなたを待っていたけれど、帰ってこなかったじゃない!」
ドアの向こうの男は黙っている。きっと怒っているに違いない。せっかく帰ってきてくれたのに、なぜ私はこんなことを言ってしまうのか。でも、三年間、待ちわびたのだ。そして、男を待つことに疲れてしまったのだ。
男から返ってきた言葉は意外なものだった。
「わかった。出ていくよ。そのかわり、君は俺を愛してくれたように、新しい男を愛してくれ」
幸せにな、と言って、男の足音が遠ざかっていく。
違う!
女は気が付いた。夫が私を愛しているかなんてどうでもいい。私は夫を愛していた。それだけで十分だった。それなのに、なぜ彼を疑ってしまったのだろう。なぜ、寂しさを埋めるように、新しい男と契りを交わそうなんて思ってしまったのだろう。
「待って! やっぱり、私、あなたのことが好き!」
女は叫んだが、男は出て行った。
女は、男のあとを必死に追いかけた。男は振り返らず、まっすぐに前を向き、足早に去っていく。
必死に必死に追いかけて、女はとうとう転んでしまった。すりむいた指から血が流れる。その指で、目の前にあった岩にこう書いた。
「私の思いは、あなたに届かなかった。あなたに愛されない私は、もう、消えるしかないのですね」
女は、そこで息を引き取った。
三年間帰ってこなかった男と、三年間待ち続けた女の話。
男は、なぜ三年間連絡をしなかったのだろう。会いに行かなかったのだろう。なぜ、丸三年が経過するこの日に帰ってきてしまったのだろう。
女は、なぜ三年間というときを決めて、待ち続けたのだろう。もしかすると、もっと早くに新しい男に心を決めていれば、悲しみのまま亡くなることはなかったかもしれない。
この話のキーワードは「三年」だ。
男と女が生きた、その時代は平安時代。当時の法律『令義解』には、「三年間音信が途絶えた場合には、離婚とみなしていい」ということが記されている。
だから、男も女も「三年間」待ち続けたのだ。
男は、丸三年が経過するその夜に帰ってきた。
女は、丸三年が経過するその夜まで、新しい男と逢わなかった。
お互いに、これ以上離れ離れにならないよう、必死に気持ちをつなぎとめていたのだ。愛し合っていたのだ。
ほんのちょっとのすれ違いから、男と女は悲しい結末を迎えてしまった。
「わがせしがごと うるわしみせよ」(俺を愛したように、新しい男を愛してやれよ)と、女の幸せを祈る男のきもち。
「むかしより 心は君に よりにしものを」(前からずっと好きだったのは、あなたよ!)と愛を叫んだ女のきもち。
お互いに想いあいながらも、その想いがすれ違ってしまった、ふたりの物語は、千年以上たった今も語り継がれている。
(注1)『伊勢物語』本文は、『新編日本古典文学全集⑫ 竹取物語・伊勢物語・大和物語・平中物語』による。なお、現代語訳は私に行った。
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