大人になったらできなくなっていたこと
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記事:わかいく(ライティング・ゼミ日曜コース)
「あ~、惜しい。見ててね。逆上がりはこうやるんだよ」
1年生の息子が苦戦しているのを見て、私は息子の隣で鉄棒を握りしめた。
フワッと体が回転しつつ運ばれていく感覚を思い出しながら、地面を蹴る。
次の瞬間、鉄棒を越えていけなかった両足が、ドシンと地面に下りた。
え、なんで? できるはずなんだけど。
躍起になって何度もやったが、すべて失敗に終わった。できる気がしなかった。
「さかあがり、むずかしいねぇ」
母親が内心ショックを受けていることなど知る由もなく、息子は砂場へと駆けていった。
「ちょっと、その縄跳び、お母さんに貸してみて」
3年生だった息子が二重飛びの練習をしているのを見ていたとき、懐かしさからつい手が出た。まずはウォーミングアップ。
規則正しく地面を打つ縄を、軽くぴょんぴょんぴょんと跳んでいく……はずが、鉛のように体が重い。
二重跳びどころか、普通に縄跳びができない。
おかしい、何がこんなに難しい?
1回跳ぶごとに、脳振とうを起こしかねないような振動を頭に受け続け、情けなさを感じつつも縄跳びを放り出した。
子育てをしていると、しょっちゅう懐かしいことに出くわす。
一瞬で時間が逆流し、年齢を忘れて心躍らせ、当時と同じようにやろうとする。
その結果、まったくできなくなっている自分と対面することも、しょっちゅうだ。
まあ仕方ない、これが歳をとるってことなんだから。
そう言い聞かせてやり過ごす。
6年生になった息子は、ここ1年の間、晩ご飯のあと寝るまでの数時間を、大好きな漫画のキャラクターたちを描くことに費やしている。
無心で絵を描くその横顔を眺めていて、思い出した。
同じ歳の頃、その日の新聞の折込チラシで裏面に印刷がないものだけを集めてきて、好きなだけ女の子の絵を描いていた。女の子の顔は似たり寄ったりで、一人一人に、自分でデザインした洋服と様々な髪形を合わせて描いていく。
チラシがなくなるまで何十人も描いた。いつもまだまだ描きたくて、チラシがなくなるのが不満だった。
「よし! お母さんも今日は好きなだけ描くぞ~」
鉛筆を握ったが、一人目で手が動かなくなる。
あれ? 何にも出てこない。
洋服のデザインも、奇抜なヘアスタイルも、さっぱり出てこなかった。
がっかりだった。
記憶に刻まれていたはずのあの頃のワクワク感が、もはや蜃気楼のようだ。
「できなくなっていたこと」に出くわすのはしょっちゅうで、その都度やり過ごしているはずなのに、今回ばかりは急速に気持ちが沈んでいくのを止められない。
なんだか、ずい分つまらない大人になってしまった、ような気がしてくる。
こんな失望は、子育てをしていなければ味わないで済んだかもしれない。
そんな八つ当たり的な発想しかできない自分に気づき、さらに失望。自己嫌悪。
ノートを広げて、髪の毛の一本一本を繊細に描こうとしている息子のまなざしは、真剣そのものだ。
夜10時前、息子がパタリと閉じたノートを何気なく手に取り、パラパラとめくっていると、あるページに息子が手を挟む。
「このとき、僕、ヘタクソだなぁ~」
1年ほど前の日付がうたれたページを見て、過去の自分の絵を、嬉しそうにけなす。
そして、同じキャラクターを書いた今日のページをくって、満足そうにため息をつく。
「描くの楽しい?」
「上手く描けたときはね」
「でもさ、楽しいから、こんなに毎日描くんじゃないの?」
私の問いに、息子はこう答えた。
「ちょっと違う。もっと上手くなりたいから、毎日描くんだよ」
ふむ……、そうか。
どうやら、私は大事なことを忘れていたようだ。
最初から楽しくて描くのではなく、上手くなりたくて描くんだ。
描いて上手くなったら楽しいんだ。
鉄棒も縄跳びもデザインも、私は「できること」としか思っていなかった。
それって、面白くない。
そして、それができなくなっていたとき、いつもただ喪失感を味わった。
それじゃあ、全然つまらないはずだ。
次の休みの日、近くの公園に行って、逆上がりをやってみた。
最初はできなかった逆上がりができるようになった昔のこと、記憶の奥から引き出して、何度も何度もやった。ついに成功。達成感が気持ちいい。
痛みを感じて手のひらをみると、懐かしいものが目に入った。
「そうそう、これこれ」
指の付け根あたりに並んでいるマメに、思わず納得。
公園からの帰り道、できたてのマメを撫でながら思い返していた。
「できるようになりたい」と思って、ああでもないこうでもないとやってたとき、私のなかにワクワクが生まれていたこと。
私が、大人になって一番できなくなっていたこと。
できるようになりたい、と純粋に思うこと。
もっと上手くなりたい、もっともっと、と願うこと。
できていたことが、できなくなった。
またできるようになりたいなら、またやってみればいい。
その時は、ただ「できるようになりたい」と思えばいい。
つい最近、息子に教わったことだ。
***
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