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陸橋の下を走る列車が希望を連れてくる

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記事:柴沼由美子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「ああ、走ってるよ!」
あの日、目の下を走る列車に思わず声をあげた。
「水郡線が走ってるよ」
その日から、
「陸橋の下を走る水郡線を見ることができたら希望の光が射す」
という私だけのジンクスが生まれた。
 
車通勤の私は、毎日陸橋を車で渡る。陸橋の下を通るのは水郡線、黄と赤、黄と青の二種類のカラフルな車両を持つローカル線である。信号待ち、渋滞の状態等の条件をクリアすると目の下に前方から走ってくる水戸行きの水郡線を見ることができる。一番車両数の多い編成でも四両の列車は軽やかに走る。上から見下ろすと絵になるその姿を見かけた日は、何となく得をしたような気分になる。
通勤途中に水郡線を見ると密かにガッツポーズをとっていた。
「ラッキー! いいことあるよ」
実際にいいことがあったかどうかは、あまり覚えていないが気分は上がった。しかし、ただそれだけのこと。
 
それが変わったのは九年前のこと。
日本が揺れた東日本大震災で自宅待機を余儀なくされた私は、三週間ほどの不安な日々を自宅で過ごした。ようやく職場復帰したものの、道路はあちこち陥没し通行止めも多かった。水戸~郡山間を結ぶJR水郡線も運転休止になっており、まだまだ日常に戻るのは先のことと思われていた。
 
職場復帰して十日ほどたったある日の通勤で、久しぶりに色鮮やかな列車を目にすることができた。それは今まで見たなかで一番堂々と美しい姿に見えた。日常が戻りつつある、そう思えたのだった。その日、水郡線は水戸の隣の常陸青柳まで運転を再開したのだ。
大事なものが戻ってきたようで、なんともいいようもなく嬉しく、早速SNSに書き込んだ。
「水郡線が走ってた。すごく嬉しいね。」
思いを共有してくれた仲間から
「イイネ」
をたくさんもらった。
水郡線だけではなく、街はどんどん復興していった。昨日まで大きく陥没していた道路は綺麗に舗装され、ブルーシートで覆われた屋根も次々と修理されていった。日常は目に見える形で戻ってきた。
 
しかし日常が戻ってくると、あれほど嬉しかった気持ちも薄れてしまう。日常はやはり当たり前にあるものだと思った。突然奪われることなど滅多にない。水郡線は再び、見かけたら
「ラッキー!」
なだけのものになっていった。そんなものだ。当たり前の日常はひどく忙しく楽しい。私はいつのまにか日常にどっぷりとつかっていた。
 
九年たった。再び私は日常を奪われた。コロナウイルス感染拡大防止のため、在宅勤務となって一か月たった。通勤はほとんどしていない。それどころか車を運転することもなくなった。ひたすら自宅で仕事をし買い物も近所で済ませる。陸橋の下を走る水郡線を見ることなど全くなくなった。閉塞感と不安感に溢れた日々だ。街は一見、いつもと変わらなく見える。どこも壊れていない。窓ガラスが割れてもいない。道路も綺麗に舗装されている。
 
ただ、人がいない。私の知らないうちに世界は死に絶えてしまって、一人きりでマンションの部屋に取り残されてしまったのではないかと、何度も疑った。ゆっくりと静かに日常が崩壊していった。朝、家事を済ませ朝食を取り仕事に出かける。仕事を終え帰宅して夕食の支度。金曜の夜には近所のバーに飲みにいったり、週末のライブと映画、平凡で当たり前の日常が少しづつ消えていく。まるで手のひらにすくった砂が指の間から流れ落ちるように。怖かった。本当に怖かった。
 
そんな中、改めてあの日見た水郡線を思い出すようになった。震災の時に久しぶりに見た水郡線は、大切な日常が壊れてしまってもその先に希望があることを見せてくれたのだ。
「また、見たい」
そう思った。また、あの鮮やかで堂々とした姿を見たい。
陸橋に至る坂道を登りたい。道路の両脇に建つカフェを横目で眺めたい。チェーン店が立ち並ぶバイパスから、緑が深くなった林の道を通り抜けたい。職場の正門までの渋滞をラジオを聴きながらやり過ごし、自分のデスクに座りたい。いつのまにか当たり前になってしまった日常を深くしっかり味わいたい。毎日少しづつ変わっていき、二つと同じものがない日常を記憶にとどめたい。
 
五月二十五日、緊急事態宣言が全面解除された。この日から週三回の出勤と二回の在宅勤務となった。久しぶりに車のエンジンをかけ、ゆっくりと車道に出た。胸がなぜだかときめいていた。橋を渡り、坂道を上る。陸橋に差し掛かる。水郡線は見えなかった。
がっかりはしない。水郡線は走っている。毎日、日常を乗せて走っている。必ず見ることができるのだ。目の下を力強く駆け抜ける列車を。
 
 
 
 
***
 
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2020-05-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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