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ただ、前を見て進む人


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:川﨑 裕子(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「まだ旅行に行く気にはなれない」
ポツリ、ポツリと父は話し出した。
 
母が亡くなって1年くらい経った頃だった。母の兄弟たちがいる親戚の集まりでのことだった。
 
父は定年退職したてで、やっと自由な時間ができた頃だった。
そんな時に母の病と向き合った。
 
本当だったら、夫婦のんびりといくらでも旅行できただろう。それが、母の治療のため、湯治場などに行くようになっていた。
 
ポッカリと心に穴が空いたようになるのも無理もない。
一人で出かける気になれない気持ちもよく分かる。
 
私も、1年では乗り越えられなかった。一人になると、急に寂しさがこみ上げてくるのだ。さめざめと泣いた時もあった。受け入れるのにかなりの時間を要した。
 
父はこのまま弱ってしまうのか……。
妻に先立たれると、元気がなくなってしまう男の人は多いと聞く。
 
嫁にいった娘として大したことができないまま、時間は容赦無く過ぎていった。
 
あれからもう15年が過ぎようとしている。
結論から言うと、心配無用だった。
 
父はすこぶる健康で元気に生きている。
 
趣味のゴルフを続けて、こちらが呆れるほどプレイしている。
地域のボランティア活動や組織の委員などもして、友達もたくさんいる。
活動の一環で旅行にも出かけるようになった。
 
東日本大震災も一人で乗り越えた。
コロナも妻なしでなんとか乗り越えている。
 
戦中に生まれ、昭和の時代を生きた人だ。私が育った環境は、古風な家庭だったことは否めない。母も仕事はしていたけれど、一家の大黒柱は父という感じだった。母に家事全般は任せっぱなしだった。
 
「母がいなかったら、何もできないのではないか」傍目にはそう映っていた。
 
一人残された父。ある程度の年齢になってから家事を覚え生活するのは大変だ。父は衰える一方かもしれない。そう心配していた。
 
本人としても、相当苦労はしただろう。
 
でも、今となっては「そんなこと、なんのその」といったふうに見える。掃除機をかけ、風呂掃除を手際良くしている。私が子どもの頃には考えられない父の姿だ。母が見たら驚くだろう父の姿がそこにある。
 
私が娘を連れて帰省すると、父はせっせと布団などを準備していてくれる。朝ごはんも味噌汁から卵焼きまで、父が作ってくれる。
 
よく庭仕事をしている父は言う。「夫婦二人いると楽なんだよ。庭仕事している間にお母さんがご飯は作ってくれたし。一人だと後片付けも全部しなきゃならない」
 
誰に言われなくとも、母のありがたみが十分以上に身にしみているだろう。
 
「もっと生前にいたわればよかったのに」との思いがあった時期も私にはあった。仏前にではなく、生きているうちにお花をもっとあげてもよかっただろうに。もっとねぎらいの言葉をかけておけばよかっただろうに。こういう思いが私になかったといえば嘘になる。
 
でも、時代が移り変わる中、その時その時で父も精一杯生きてきたんだと今は思う。病気一つしてこなかった母に、父は甲斐甲斐しくお世話してもらっていた。いつも丈夫な母と、ちょっとでも調子が悪くなれば「この世の終わり」のように騒ぐ父のコンビだった。
 
母が病気してからは、父が甲斐甲斐しく看病していた。治療の記録もノートやパソコンにバッチリつけてある。本もたくさん読んで勉強したようだ。可能性のあることはいろいろ試した。
 
母の病室で看病をしていた私と代わった時だ。
昭和の男が妻に抱きついて、微笑んで話しかけていたのだ。
 
父は父なりにできることは懸命にした。
そうなんだと思う。
 
私は父が泣いたところを見たことがない。祖母が亡くなった時にうっすらと記憶はある。でも私がまだ物心ついたばかりの頃だったので鮮明ではない。
 
母が息を引き取った直後のことだ。
たまたま病院のエレベーターで父と私たち姉妹の3人きりになった。
 
「いいお母さんだったなーーー」
「終わっちゃったなーーーーー」
父は力強く言って、泣いた。
 
不謹慎に思われるかもしれない。
母が死んだその日、父のその姿を見て、私は今まで生きていてよかったと思った。こんな素晴らしい両親に育てられて、私は幸せだと思った。
 
母が若くして亡くなったのは本当に本当に残念だ。
15年経った今でも生きていて欲しかったと強く思う。
 
でも、母が先に逝ったことで、父の違う一面が出てきたのも事実だ。
父も定年退職した後だったから、思う存分看病ができた。
困難を受け入れ、ゼロから頑張る父の背中。
お互いを想い合う夫婦の絆。
たくさんのことをまざまざと見ることができた。
 
私が妊娠出産した頃は、父とはぶつかり合うことも多かった。
心の中で、「お母さんがいれば」とお互いに思っていた。
 
でも、父は父なりにできることをして支えてきてくれた。
何よりも「前を見て生きる」という姿勢を見せてくれた。
 
母の逝去以来、風邪を引かずに頑張っている。本当は一度だけすぐに引いてしまった。でも、「看病してくれる人がいないと大変だと分かった」そうだ。その後はストイックに健康管理をしている。病気一つせずに頑張っている。
 
1964年の東京オリンピックで水泳競技を観戦した父。インターネットのない時代、自分で調べて20歳そこそこで田舎からはるばる出かけたそうだ。
 
長生きして、もう一度観戦することを心より楽しみにしていた。でも、コロナでこの先どうなるかは分からない。
 
それでも父は落ち込んでいる様子はない。自分の力で変えられないことはどうしようもない。でも、今の自分が楽しめることをして、前を見て歩いている。
 
いつの時代も困難はある。でも、希望を持ってもいい。どんな状況でもよりよくなると信じてもいい。
 
そうやって私たち人間は生きていける。私の父はそう信じさせてくれる人だ。
 
 
 
 
***

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2020-07-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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