「ながら聴き」からはじめるクラシック音楽
*この記事は、5月開講「編集ライティング講座」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:日下 舜太(編集ライティング講座)
1.「結婚できない男」に見るクラシック音楽のイメージ
「結婚できない男」というドラマを見たことがあるだろうか。このドラマの定番シーンと言えば、独身貴族の主人公桑野が、家でひとり目を閉じて、じっとオーディオから流れるクラシック音楽に耳を傾ける場面。気難しくて凝り性の桑野のキャラクターと相まって、世間のクラシック音楽のイメージがよく表されているワンシーンに思う。どうもクラシック音楽には「敷居が高い」「堅苦しい」といったイメージがつきまとうようだ。しかし、そのイメージはどこからくるのだろうか。
例えば、ひとつの曲を聴くにしても、たいてい作った人がもうこの世にいない。作曲家を知る必要がある。そして、「交響曲~番」といった馴染みのない用語が登場し、あまつさえその「コウキョウキョク」の中には「楽章(ガクショウ)」という、これまた別の名前をした曲が複数含まれる。何より、長い!その長い曲を初めから終わりまで聴かなければならない。きっと、クラシック音楽の「堅苦しさ」のひとつには、「聴き手に求められる負担が大きい」というのが挙げられる。そのことはクラシック音楽を生で聴く場、コンサートによく表れている。
2.「制度」としてのクラシック・コンサート
クラシックのコンサートにおいて、聴き手は最後の一音が終わるまで全身を音楽に捧げる、そういう場だ。コンサートの観客は静寂を保つことが鉄則とされ、そのための暗黙の了解(=マナー)を共有することで、観客は「聴衆」となる。
あまり馴染みのない方のために、具体的なマナーを知る恰好の素材がある。近年ホールが制作している「マナーちらし」というもので、よく演奏会の事前に配られるプログラムのあいだに挟まっている。パンフレットをめくる音、せきばらい、臭い、さらには演奏直後の「余韻」を崩さないため「拍手やブラボーの歓声は指揮者が棒を降ろすまで」とご丁寧に書くものまで、シチュエーションに応じて守るべきさまざまなマナーが書かれている。分かり易いイラスト付きのものまであり、ホールの涙ぐましい努力の結晶をぜひ演奏会の際に一度目にしていただきたい。さらに、開演前のアナウンスや、開演ベル、照明などコンサートを演出するあらゆる仕掛けは、ひとえに大勢の観客を聴衆へ誘導するための装置といってよい。
クラシックのコンサートは、ロックやポップスのコンサートと比べても、あらゆる制限を聴き手に与える「制度化」されたコンサートだ。「自然と体が揺れる」「歌い出す」といった、音楽に対する生理的な反応はその制度によって制限されるのだ。「やっぱりクラシック音楽は苦手だ!」で終わっても良いのだが、もう少し待ってほしい。そもそも、いつからクラシックはこんな聴き方をするようになったのだろうか。その一端として、コンサートと人々の音楽の聴き方の歴史を紐解いてみたい。
3.モーツァルトの音楽は黙って聴かれなかった!?
コンサートが成立した時期は、18世紀半ばから終わりのヨーロッパまでさかのぼる。この時期のヨーロッパは、貴族社会から市民社会へと移行し、音楽も教会や王室など一部の特権階級から、市民へと開かれはじめた。お金を払えば誰でも音楽を聴ける「公開演奏会」と呼ばれる制度が広まり始めたのである。会場は、演劇やオペラが上演されない時期の劇場を使って行われ、コンサート専用のホールが広まるにはもう少し時を待たなければならない。
さて、この時代に生きた有名な音楽家が、モーツァルト(1756~1791)だ。小学校の頃、音楽室に肖像画が貼ってあったことで知っている方も少なからずいるのではないだろうか。ふわふわの白髪を後ろで一つに束ね、赤いジャケットを着た、彼だ。いかにも品よく佇むモーツァルトの音楽を当時の人々はどのように聴いていたのか。そのヒントとなるあるコンサートのプログラムが、モーツァルトの手紙のなかに残っている。
①新ハフナー・シンフォニー(交響曲 ニ長調《ハフナー》K.385)
②ぼくのミュンヘンのオペラから、四つの楽器伴奏による、ランゲ夫人の歌うアリア「もし私が父上を失い」(歌劇《イドメネオ》からアリア)
③ぼくの予約演奏会の協奏曲から、第3番をぼくの演奏で(ピアノ 協奏曲 ハ長調 K.415)
④アーダム・ベルガーの歌う、バウムガルテンのための劇唱(演奏会用アリア K.369)
⑤ぼくの最近のフィナール・ムジークから、小コンチェルタント・シンフォニー(《ポストホルン》セレナードからの協奏風楽章)
⑥当地で好まれている『ニ長調協奏曲』をぼくが演奏。これに『変奏曲ロンドー』をつけました(ピアノ協奏曲 ニ長調 K.175 新しいロンド K. 382付き)
⑦ぼくの最後のミラノのオペラから、タイパー嬢の歌う「私は行きます、急いで」(歌劇《ルーチョ・シッラ》からアリア)
⑧ぼくの独奏で小さなフーガ(皇帝がいたので)と、『哲学者たち』というオペラのアリアによる変奏曲―これはもう一度アンコールしなくてはなりませんでした。それに、『メッカの巡礼たち』から「愚民が思うは」の主題による変奏曲(即興的なピアノ独奏[フーガと、パイジェッロおよびグルックの主題による変奏曲])
⑨ランゲ夫人の歌で、ぼくの作曲による新しいロンドー(演奏会用アリア K.416)
⑩最初のハフナー・シンフォニーの終楽章(最初の交響曲の終楽章)
これはモーツァルトが1783年3月22日にオーストリアの「音楽の都」ウィーンで開いたコンサート。曲目の詳細はさておき、なんと盛沢山な内容だろうか、演奏時間は2時間半を超える。この内容を当時の人々が、最初から最後までじっと客席で黙って聴いていたのだろうか。
実は、当時の人々にとってコンサートはまず「社交の場」の場だった。演奏中は飲食や、他の客とぺちゃくちゃとおしゃべりもしていたし、ひとつのショーを楽しむように音楽を「ながら聴き」するのが通常だった。江戸時代の落語や現代のポップスのライヴを観る感覚に近かったのかもしれない。あのモーツァルトの音楽も例外ではなく、極端に言ってしまえば、まともに音楽を聴いていたかすら怪しい。
プログラムをさらに見ていくと、歌もの(声楽曲)をさまざまな歌い手が担当していたことに気づく。今でこそクラシック音楽のコンサートは交響曲などの器楽曲(楽器のみの曲)が中心で、せいぜい2、3の全曲を演奏するのが通例だが、当時のプログラムの中心はまず声楽曲で、器楽曲はその間に織り交ぜられる「ごったまぜプログラム」が一般的だった。もちろん、器楽曲の中でもソロが活躍する協奏曲は特別で、特にモーツァルトはピアノの名手だったから、その腕前で当時の観客を楽しませていたはずだ。しかし、最初と最後に楽章が分けて配置されている「交響曲」は、始まりと終わりのベルのような役割に過ぎなかった。曲が演奏されるあいだに、人々がぞろぞろと会場へ集まってくる。当時のコンサートではおまけや箸休め程度のものだった。
さらに言えば、当時のプログラムは同時代の流行りの曲や新作を上演するのが通例で、すでに亡くなった過去の作曲家の曲を演奏するなど、稀なことだ(このあたりも、現代のポップスと似通っている)。モーツァルトの自身の曲のみで構成されるこのプログラムですら、当時からしたら珍しいことだ。
つまり、当時の人々はコンサートで自分の好きな曲、というよりも歌手や奏者を目当てにかいつまんで聴いていたのだ。クラシック音楽の「本家」といわれるヨーロッパのコンサートの始まりは、現在と随分様子が異なることをお分かりいただけるだろうか。
4.いつから集中して聴くようになったのか?
では、現在の沈黙を鉄則とするコンサートはどのようにして作られていったのだろうか。
19世紀になると、社会はますます市民が権利を持つようになり、コンサートの数も急増する。とはいえ、その初めはいまだ「ごったまぜプログラム」「ながら聴き」が一般的だった。しかし、はっきりとどこからと言うことはできないが、19世紀を通じてそのようなコンサートの在り方に対し、「崇高な芸術の音楽をながら聴きするなど、いかん」と警鐘が鳴らされるようになる。「芸術」という考え自体がこの19世紀になってようやく登場したのだ。そして、「娯楽としての音楽」から徐々に「芸術としての音楽」が求められる。芸術の音楽にふさわしい殿堂を、ということでコンサートを専用に行う「コンサートホール」が各地に建てられるのだった。現在でもヨーロッパを訪れると、この時期に建てられたホールが残っているが、大理石がふんだんに使われた内装、あちこちに施された装飾やシャンデリアに照らされる雰囲気は、まさに「芸術の殿堂」という印象を与える。なかでも、よく見かけるのが、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンといった作曲家たちの胸像だ。
崇高な「芸術」という理想のための音楽、その模範されたのが実は過去の作曲家たちだった。彼らは「巨匠」という神格化された存在として崇め奉られるようになり、コンサートのレパートリーも彼ら過去の音楽が主流となる。メンデルスゾーンがバッハの復活演奏会を開いたり、ベートーヴェンの交響曲が理想とされるほか、オーケストラの一番手前で指示を出すあの「指揮者」が登場するのもこの頃。「え、それまでいなかったの?」と思うかもしれないが、実はそうなのだ。このことはまた別の機会に取り上げることとしたい。
そして時代が進み20世紀に入ると、ますます「芸術としての音楽」の考え方が進む。その初頭にはホールの建物も余計な装飾を排したデザインとなり、演奏中はあたりが暗くなり、舞台上の演奏者にのみスポットが当たり、観客は音楽のみに集中するようになる。いよいよ私たちの知るクラシックのコンサートの姿となるのであった。
5.ふたたび現代へ
現代のコンサートができるまでの歴史をたどると、「ながら聴き」と「ごったまぜプログラム」の18世紀、「芸術としての音楽」の19世紀、20世紀初頭の完成、という一連の流れが見えてくる。もちろん地域差もあり、一朝一夕に行われたものでもない。それでも、私たちの知るコンサートができあがったのは、実は最近のことだということに気づかされる。一見社会と独立しているような音楽も、社会変化や時代の流れと決して無関係ではなく、むしろ人々の聴き方を大きく変えてきたのである。
21世紀の現代、制度化されたクラシックのコンサートはいまだに私たちの生活に息づいている。しかし、そこに新たな動きが見えているのも確かだ。20世紀の後半には、舞台だけでなく客席で演奏することで空間を意識した作品が生まれたほか、21世紀には観客がコンサートホールに枕とブランケットを持ち込み、深夜から明け方までの演奏のあいだに「眠るコンサート」まで誕生した。極端な例かもしれないが、国内でも誰もが参加できる「社会包摂」という、新しい参加の在り方がホールやコンサートに求められるようになってきている。クラシックのコンサートは静かに聴かなくていい!と言うつもりは全くない。しかし、近年その歴史の中で排除されてきた「聴く」以外のあらゆる要素が、より総合的な「音楽体験」という形で改めて注目されているように思う。
さらに、テクノロジーの発達により、音楽は「いつでも・どこでも」アクセスできるようになった。その影響が顕著に出たのが、新型コロナウイルスの蔓延により、観客を入れたコンサートが次々と中止になる一方、動画配信サイトを用いた「無観客公演」なるものが生まれたことだ。おそらくそれが初めて日本で行われた日、私の体験を振り返ると、自分の勤め先のホールを退勤し、個人の宅へ急ぎパソコンをつけた。約7時間に及ぶヴァーグナーの大作が流れるなか、私はパスタを茹で、もぐもぐと食べてそれを観ていた。モーツァルトの頃と全く異なる形だが、「ながら聴き」が復活した瞬間にも思えたのだった。
読者のみなさんは、はじめての音楽体験をどこから始めるだろうか?
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