パリのメトロで出会った女性が教えてくれたこと
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:AZE(ライティング・ゼミ5月開講通信限定コース)
「急に明日が来るのが怖い毎日が始まりました」
見ず知らずの彼女が話す言葉を、20人あまりの人が息を呑んで聞いていた。
想像してみて欲しい。
・1分以内に
・誰も貴方のことは知らないし、自分の事に夢中
・マイクは使えないが騒音
・足場は良くない
この状況で、貴方は相手に共感して貰い、投げ銭をして貰えるスピーチができるだろうか?
これは想像だけの世界ではなく、パリのメトロ内で毎日行なわれている光景だ。
パリというと華やかなイメージを持たれがちだが、実際にはそれだけではない。
滞在許可証を持たない移民や失業者、路上暮らしが半径50m以内には必ずいるような、光と闇が共存して成り立っている街である。
日本でも少なからず同じような問題を抱えている人たちはいるだろう。だが、普段の生活で彼らを目にする機会は少ないように感じる。
パリのメトロ内では様々な事情を抱え、お金を恵んで欲しいと訴える人たちに1日1回は遭遇する。
彼らは動くメトロの中で2駅分、時間にして約1分程のスピーチを行い、その後通路を練り歩いて投げ銭を貰う。そして車両を移ってまたスピーチを行うというのを繰り返す。
「私は何歳の〇〇です」
「今仕事がありません」
「少しの現金、もしくはレストランチケット(飲食店などで使える商品券のようなもの)を恵んでください」
彼らのスピーチの内容は大体こんな感じだ。シンプルで、分かりやすい。
パリに住み始めた当初、私はその文化に驚きながらも財布を開けてお金をあげるような事はしなかった。
彼らに起こった出来事が他人事のように思えていた事もあるし、そもそもメトロ内でこの様な金銭を求める活動は禁止されている。彼らの訴えよりも理性が勝ってしまうのだ。
毎日毎日繰り広げられる車内でのスピーチは、段々と日常の光景になり、次第に私は彼らのスピーチを聞いても何も感じないようになっていった。
しかし、ある日を境に私は変わった。
それはある一人の女性のスピーチに出会ってからだ。
まず彼女は女性という事で、目を惹いた。
メトロ内でスピーチに挑戦する人は、声が通りやすい男性が殆どだったからだ。
年齢は40代位だろうか。鞄は持っていないものの、服装は至って普通である。
彼女は、朝のメトロ内で大声を出して迷惑をかける事を詫びた後、こう続けた。
「私は先月、会社から“一方的に”解雇されました」
彼女はメトロの中にいる人全員が聞こえる大きな声で、ゆっくりと訴えかけた。
はじめは、いつも通り聞く耳を持たず携帯を触っていた人も、友達とお喋りしていた人も、黙って彼女に注目し始めた。
「最後の月の給料は会社から支払われませんでした」
「急に明日が来るのが怖い毎日が始まりました」
「それでも私は生きなければいけません」
「どんな仕事だってします」
「働ける人を求めている方がいれば、仕事を紹介して下さい」
「助けて下さい」
車内は静まりかえり、メトロが走る乾いた音だけが響いた。
急に仕事を失い、最後の月の給与も支払われないという彼女の言葉は、現実味を感じさせた。
明日が来るのが怖い。これほど彼女の今の心境を的確に表す言葉が他にあるだろうか。
それでもなんとかして生きていかねばならない。また働きたい。
その日暮らす金では無く、再び自分で稼げる仕事を紹介して欲しいという彼女の訴え。
彼女のスピーチが終わって数秒間の沈黙は、全員が自問自答していた時間だった。
もし自分が彼女の立場だったらこれほど強くいられるかと。
今ここで自分が彼女にしてあげれる事は何だろうかと。
その後、みんなが一斉に鞄を開け、財布を出し始めた。
そして彼女が通路を練り歩くと、「頑張って」と声をかけながら投げ銭をした。
中には握手する人もいた。
到着駅が近づいてきた乗客は、わざわざ自分から彼女の元へ歩み寄り、投げ銭をしてから出て行った。
その車両内では、残念ながら彼女に仕事を与えられる人はいなかった。
それでも、皆が彼女のスピーチに心を突き動かされ、今自分に出来る事を考えた上で咄嗟に動いたようにみえた。
私も例に漏れず、迷わず投げ銭をした。手が震えた。
気の利いた言葉はかけられなかったが、彼女の目をしっかり見てからお金を渡した。
その時の彼女の目の奥の表情は一生忘れないだろう。
乗り越えて欲しい。いや人の心を動かすスピーチのできる彼女はきっと這い上がるのだろうと心から思った。
それと同時に、今まで聞き流していた他の失業者の方たちのスピーチも、彼女ほど上手くは無かったかも知れないが、状況は変わらないのだろうと気づいた。
更に言えば、電車内でスピーチはしないが、同じ状況の方はまだまだいる事にもやっと気づいた。
彼女のスピーチは、彼女だけでは無く、同じく失業者として今を必死に生きている人たちの声の代弁だった。
それからというもの、車内でスピーチをする人にきちんと耳を傾けるようになった。
彼女を超えるスピーチをする者は現れない。
しかし、シンプルに削ぎ落とされたスピーチの背景を想像する事が出来る様になった。
真剣にスピーチをする人は皆、あの時の彼女と同じ目をしていた。
私が彼らにできる事は本当に限られている。
だからこそ、まずは彼らの訴えをきちんと聞いてみるところから始めようと思う。
それが彼らに歩み寄る第一歩に繋がるかもしれない。
今日も私はメトロに乗る。
***
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