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パナマがなければ変わらなかったかもしれない


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:わかいく(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
7歳のとき、私はパナマ共和国に渡った。
ダム建設に携わっていた父親の赴任に、家族一同、ついていったのだ。
 
出発が近づくにつれナーバスになってくる母親をよそに、小学2年生だった私は、このパナマ行きをひそかに楽しみにしていた。
その理由の一つは、パナマという国が、一年中夏だということを知ったから。
冬の寒さが大の苦手だった私には、「冬がない国」イコール「天国のような国」だった。
もう一つの理由は、軍隊を抜けられるから。
軍隊とは学校のことで、入学以来、休み時間以外はいつも緊張していた。
授業中は、先生に指名されることがないように、ひたすら縮こまっていた。
 
日本を発ったのは、梅雨時期だった。
丸一日以上の長旅を経てパナマに着くと、そこは真夏だった。
一年を通して平均気温29度の、亜熱帯気候。
冬と学校からの脱出、成功!
南の異国情緒たっぷりの街並みや、新しい住まいとなる石造りのアパート。
開放的な南国の雰囲気に、私のテンションは一気に高まった。
この国に来ただけで、引っ込み思案な性格は吹き飛んでしまったかのように思えた。
 
数日後、それが大きな錯覚だったと思い知る。
日本人学校への転入初日、これまでにない緊張で膝を震わせていた。
全校生徒の集まる講堂のステージ上で、自己紹介をしなければならないという。
日本で一度経験した転入の時は、先生が、教室の黒板に私の名前を書いて紹介してくれた。私は、ただ立っていればよかった。
異国での転入初日に、想定外の注文を出された私は、「お腹が痛い」とか何とか言って逃げ出したくなった。
校長先生が「どう、できるかな?」と聞いてきたので、首を横に振ったつもりだった。
それなのに、「よし、頑張ってみようね」と笑顔で励まされた。
望まない展開に心中パニックを起こしていると、校長はさらに「マイクを使わずに自分の声だけでやれるかな?」と聞いてきた。
即座に「マイク、いります」と言ってしまった。
緊張すると、いつも蚊の鳴くような声しか出ない。
この大勢を前に、そんな自分を想像するだけで、ぞっとしたのだ。
 
ステージに上がると、鼓動がはげしさを増し、足がどこをどう踏んで進んでいるのかわからず、頭は真っ白。
それでも校長先生が、始終私の背中に手を置いてくれていたおかげで、倒れずに済んだ。
自分の名前と出身地をどうにか声にし、あとは「よろしくお願いします」と付け加えるので精一杯だった。
 
日本の学校では、「できない」というオーラを出していれば、それ以上要求されることは、まずなかった。
先生は、できる子とできない子をなんとなく区別してくれていて、「できない」「やりたくない」という意思を察してくれた。
ここでは、そういう暗黙の区別はないのか?
「できない」オーラが使えなかったら、どうなってしまうんだろう?
 
毎朝、家の前までスクールバスが迎えに来てくれる。
私の家は順路の最後の方だったので、私が乗り込むときにはほぼ満席だった。
乗り口のステップを上がって空いているシートに座ったとき、すぐ後ろから「おはよう」と聞こえた。クラスメイトのI君だった。
「バスに乗ったらね、まず運転手さんに挨拶してから、席に座るんだ」
バスに乗り込んできた生徒を見ていると、皆「ブエノス・ディアス!」と元気に言ってから座っていた。
「スペイン語で、ブエノス・ディアスが、おはようの意味だよ」
クラスでリーダー的存在のI君は、優しく丁寧に、教えてくれた。
私の声が小さいのを知って心配してくれたのだろう。彼は、こう付け加えた。
「ちゃんと運転手さんに聞こえるように、大きな声でね」
私は逃げたくなった。
大きな声でスペイン語の挨拶なんて、恥ずかしくて、逆立ちしても出来そうになかった。
 
翌朝、家の前でバスが停まると、緊張で心臓が激しく打った。
ステップを上がる足が、おぼつかない。
座るまでの間に、運転手さんに向かって声を発さなければならない。
頭が真っ白の私は、タイミングをつかめず、黙ったまま座ってしまった。
この時はまだ、「できない」を通せば許してもらえるのでは、という気持ちがあった。
I君と目が合った。
「また明日、がんばって」
その言い方は、優しかった。
私を責めたり、プレッシャーをかけたりしているようには、聞こえなかった。
それから毎朝、緊張に喘ぎながらバスに乗り込むが、勇気が出ない。
I君は、いつも真剣にじっと私を見ていたが、特に何も言わず、あとは気さくだった。
何日たっても、できない私に苛立っている様子はなかった。
私のなかに、はじめての感覚があった。温かいかんじだった。
I君は、ただ信じて応援してくれているんだ、とわかった。
ある朝起きると、信じてくれる彼に対して、申し訳ないという気持ちが芽生えた。
「今日は、やらなきゃ」
バスに乗り込むやいなや、うるさいくらい胸を打つ鼓動にわき目もふらず、自分史上一番の大きな声を放った。
「ブエノスディアス!」
パナマ人の運転手さんは、こちらを向いてにっこりと笑い、同じ言葉を返してくれた。
I君は、すぐに祝福してくれた。
「ちゃんと言えたね! よかったね」
その瞬間、彼に対して感謝の気持ちがあふれた。
 
日本にいたとき、私は「できない」オーラで自分を守っていた。
そうしていると、活発なクラスメイトが手を差し伸べてくれた。
つまり、「できない子」の私の代わりに、その子がやってくれた。
I君は、そういうことはしなかった。
ただ、信じて応援してくれていた。
「ブエノスディアス!」と言えたとき、自分が少し変われたのだとわかった。
そのときの嬉しさは、数十年経った今でも忘れない。
 
パナマの学校は、校外授業も多く、自由な校風だった。
生徒は先生を慕っていたし、先生は生徒の希望や意見を聞くことを欠かさなかった。
クラスメイト達は皆、のびのびしていた。
この学校では、「できない」オーラは、役に立たなかった。
「できる?」と聞かれて「できない」と言ったとしても、「じゃあ、試しにやってみようか!」となって、結局逃げきれない。
だけど、こわくなかった。緊張もしなかった。
なぜなら、先生やクラスメイトのなかには、「できなくてもいいよ」というおおらかさがあり、失敗してもかまわないのだと思えたから。
そういうベースがあれば、トライすることは楽しかった。
 
結局、10か月という短期間で帰国したのだが、この10か月が大きかった。
自由闊達な学校と、開放的な南国の風土が、私を緊張から解いてくれたようだった。
 
帰国後、時々思い出す南国の日々は、どこかぼんやりとしていた。
時間が経つにつれて、すべてが夢の中の出来事だったようにも思えた。
だけど、夢ではないと思える痕跡が、いくつか目の前にあった。
「できない」オーラが見当たらなくなったのは、パナマで捨ててしまったんだろう。
学校で極度の緊張に襲われることもなくなったのは、「失敗してもいい」ということが分かったからだろう。
パナマがなければ変わらなかったかもしれないと思うからこそ、パナマの日々は、これからも私の宝物だ。
 
 
 
 
***
 
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2020-07-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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