未来の自分に投げる「救命胴衣」
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:深田 千晴(ライティング・ゼミ5月限定通信限定コース)
仕事をしていた頃はいつも、荒波の中に放り出されたような気持ちでいた。
夢だった教育関係の仕事。
毎日、お客様と関わり、学ぶ喜びを共有できる仕事。
忙しいけれど、やりがいにあふれた毎日――の、はずだった。
ある時、目を覚ますと、体が重かった。熱を測る。36.7度。平熱だ。それなのに体が動かない。おかしい。なぜだろう。
病院にいくと、妊娠がわかった。
そろそろ子どもがほしいと思っていた矢先だったので、もちろんうれしかった。
しかし、湧いてきたのは喜びだけではなかった。いろいろな思いが去来した。この先どうなるのか、という不安感。忙しい職場に穴をあけてしまう罪悪感。そして、一番不都合な感情が顔を出した。
私はどこか安心していたのだ。
「深田さん、おめでとう。体を大切にね」
妊娠がわかったとたん、同僚から何度もこう言われるようになった。
自分の体の疲れを、大手を振って労れるようになった。
今の職場にきて4年目、精一杯ではあったけれど、お客様に求められるレベルにはまだ遠いと痛感することが多かった。このままではいけない。それはわかっていた。わかっていたけれど、それ以上に、心身が疲れ切っていた。
業務は積み重なり、お客様対応も次々求められる。
みんな忙しそうで、この海はいつもざわざわとしている。
荒波の中でも、上手に泳いでいる人がいる。うまく人を頼っている人もいる。
私はずっと、1人で手足をじたばたさせながらもがいて、苦しさに溺れそうになっていたような気がする。同僚の時間を奪うことなく、自力で泳ぎ方を覚えなくてはならないと思い込んでいた。うまくいかないことばかりだった。
職場を去るまで、恥ずかしくてその思いは誰にも言えなかった。
出産を機に専業主婦になった。子育ては忙しかったが、私の気持ちは凪いでいた。
私が相手にするのは、夫と2人の息子だけだ。3人なら、みんなが納得できる落としどころを探すのは比較的、難しくない。家事や育児が得意というわけではなかったが、前職に比べれば気楽だった。
どうして、あの時はあんなに1人で苦しんでいたんだろう。そんな必要、なかったのに。肩の力を抜いて、当時の自分を冷静に振り返れるようになったのは最近のことだ。穏やかで温かい浜辺のような、家族の温かさが私の心をほぐした。
「取り急ぎ、お金には困ってないから、子どもが小さいうちは家にいてもいいんじゃない」
今後のことを相談した時、夫は言った。家族を支えることにも、意義があるのはわかっていた。夫はずっと仕事に邁進しており、大きな成果を上げた時はいつも「あなたのおかげだよ」と言ってくれる。
けれども、私は、「そうする」と言えなかった。
それは荒波の中に戻っていくことを意味していた。家族にも負担をかける。
それでも、私は誰かの心に残りたい。
今度こそ、役に立つ仕事をしたい。喜びの記憶とともに、思い出される人になりたい。
下の息子が1歳の4月になったら、復職することを決めた。
私を支えてくれたのは、家事の合間に読んだ本に出てくる海外のお母さんの話だ。
その人は長期の子育て期間を経て復職するとき、周囲から「不安はないのか」と尋ねられ、笑顔でこのように答えたという。
「大丈夫よ。前の仕事を辞めた後、勉強して資格を2つ取っていたから、とてもいい条件で働けるの。収入も以前より増える予定よ」
家事と育児の合間、細切れでも、今の私には自由になる時間と体力が残されている。そのことに気づいて、勉強した。自分の職に必要な専門性についての本を買い、読み進める。出産前に整理して、空にしたはずの本棚が瞬く間に埋まった。なかなか毎日が予定通り進まず、今日も読めなかった、また今日も……と悔やむことも多かったけれど、あきらめずに少しずつでも読み続けた。
資格をとるために受けた放送大学の授業はとてもよかった。情報が丁寧に文字起こしされているので、動画を何度も見返さなくても読むだけで復習できたのは、時間のない身にはありがたかった。レポートとテストはさすがに緊張したが、なんとか資格取得までこぎつけた。
夫の休日に子どもたちを見てもらって、ワークショップにも行った。前々から調整し、満を持して迎えるワークショップの2時間と、現地までの往復は特別な時間だ。なるべく多くのものを吸収して帰ろう、と気合を入れていつも行く。
講師の先生と場を共にし、話をしたり体を動かしたりすると、とてもわくわくした。新たな経験が、たくさんの思考を自分にもたらしていく。いつも家事と育児とつまらない悩みにしか使われていない私の頭の中に、見たことのない世界が広がる。
そして思い出した。
ああ、これだ。学ぶことの喜び。
こういう体験をしてほしくて、私は教育を志したのだ。
学びには果てがない。当然、教える立場の自分も、知らないことや、できないことがある。何かの拍子にそれを自覚させられることが、昔の私は怖かったのだ。なんでも自分でやろうともがくことで、その怖さをかき消そうとしていた。
未熟な動きでも、精一杯泳いでいれば、細かいことはうやむやになると思っていた。
それこそただの甘えだった。
学ぶことは、未来の自分に投げる救命胴衣だ。
私は今も、役立ちそうなことを探しては、学んでいる。これからもずっと続けるだろう。いくら続けても、もう十分と思うことはきっとないだろう。
不毛さは感じない。学んで得た知識や経験は自分を支える。学ぶことの喜びを、よく味わい知っているということも。
未来の自分が、荒波の中で、とりあえず冷静でいられるように。ちゃんと周りを見て、泳ぎ方を考えられるように。お客様をちゃんと導けるように。今日も私は救命胴衣を、投げている。
***
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