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メディアグランプリ

私は本が読めなかった


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記事:右手を上げた招き猫(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
本が、怖かった。
そのトラウマをいま、克服しようとしている。
 
6歳の時、私の左目の瞳孔を動かす神経は、水疱瘡のウィルスが原因で麻痺した。片方の瞳孔はずっと大きく開いたままで、光が目に入る量を調整できないから、自販機さえ眩しくて直視できない。ただ、視力を失ったわけではないから、眩しいということ以外は、特に障害を認識せずに小学校低学年までを過ごしていた。低学年の児童が読む本の活字は大きい。だから、そのときはまだ気づかなかった。左目の焦点を合わせられなくなっていたことに。
低学年の頃は、学級文庫に並んでいた伝記シリーズを読むのが好きだった。世の中には、波乱万丈の道を歩みつつも、世界を変えるような偉大な仕事をする人たちがたくさんいるのだと、知っていくのが楽しかった。写実的な似顔絵の表紙で、顔が好みではないからと、読まずに避けた本もあったが、本は未知の世界へとつながる架け橋だった。
 
ところが、小学校5年生の夏休みのある日、高学年向けの、少し活字が小さくて文字量が多くなった本を読んでいると、船酔いのような吐き気に襲われた。日を改めても、同じように吐き気が起こった。そのとき初めて気づいたのだ。左右の目の焦点が合わせられないことで、手元の小さな文字が歪みながら動き、私の目と内臓を揺さぶることに。
その年のクリスマスに、サンタクロースが運んでくれた『赤毛のアン』のシリーズ10冊の文庫本が、皮肉にも私の人生における読書を終わらせるきっかけとなった。文字がうんと小さな文庫本は、3行と読み進められなかったのだ。
 
以来、私は本が読めなくなった。
学校の成績は良かったし、漢字テストもなぜかよくできた。だから、誰にも気づかれなかった。私が本を読めないということに。だから、誰にも気づいてもらえなかった。私が本を読めないことに傷ついているということに。
 
私の親友は、学校一の読書家だった。暇さえあれば本を読み、小さな学校の図書館の本は読み尽くすほどだった。そして私の妹も、本の虫だった。岩波文庫の古い活字が好きだといって、小遣いでわざわざ岩波の古本を買い集めては読み耽っていた。大好きないとこのお姉さんは、その頃『赤毛のアン』に夢中になっていて、アンの話をするときはいつもキラキラしていた。
私が1ページも本が読めない間、周りの人たちはどんどん本を読んで、世界を広げている。私の言葉は、私の世界は、新しいものを取り込めないまま、成長が止まってしまっているのではないか……。「本」という、道の世界への架け橋が、目の前で谷底に落ちていくのを見てしまった私は、深い谷底を覗き込んで、その高さに足がすくみ、一歩も動けなくなってしまった。読むことも、書くことも、怖くなってしまったのだ。
 
本好きの人たちがおそらく最も多くの本を吸収していく10代、20代の時間に、私は教科書とテスト問題以外ほとんど字を読まずに過ごした。それでもなんとか大学まで出たものの、本のない世界で過ごしてしまった長い時間は、私の人生に暗い影をつくった。特に、仕事で何かを書かねばならないときなど、言葉の使い方が果たして正しいのか、もっと別の良い表現方法があるのではないかという不安でいっぱいになり、何かを伝えようとすると、まるで外国語のテストのときみたいに、主語と述語と目的語を探して、文法に沿って語順を一生懸命組み立てるような感覚になるのだった。言葉を知らないという自覚と、言葉を使ってこなかったという自覚。その欠落感は、言いたいことをするすると一筋の文章にまとめていく職場の同僚を見るにつけ、痛々しく心に突き刺さった。
 
そうしてある年、仕事で大量のデータを集計・分析し、その概要をまとめなければならない段になって、私はあまりのプレッシャーで言葉を紡げなくなり、職場のトイレに駆け込んで泣いた。泣いてもどうにもならない。寝ても冷めても、データのことが頭から離れない。私が絞り出した文章が、その後データと共に一人歩きしていくことを考えると、恐ろしくてたまらない。心を休ませようと好きな音楽を聞いても、頭の中で小さなモーターがブーンと音を立てて回ったまま、止まらなくなってしまった。さらに、まともに働く右目の視界には、黒い雲がかかり始めた。もうダメだ。このまま本を読めない欠落感を抱えて人生を終えるなんて……。
 
私はやけになって、どうせダメになるなら、いっそ最後に本を読んでみようと、家の中にあった一番長そうな本を手に取った。司馬遼太郎の『坂の上の雲』第一巻だった。読み始めて、驚いた。本の中に引き込まれることで、頭の中で回り続けていたモーターが止まったのだ。大量のデータを毎日パソコン画面で処理しているうちに、焦点の合わなかった左目の近視化が進んだのか、パソコン画面で吐き気に近いものを感じなれてきたせいか、本を読んでも酔わなくなっていた。そして何よりも、司馬遼太郎の文章は、人物像が生き生きとして愛嬌があり、時代の空気を活写する力にあふれていた。
なんておもしろいんだろう!
 
谷底ばかり覗き込んで気づかなかったが、「本」という架け橋は、ちゃんと足下に存在していたのだ。それから私は20年分の空白を埋めるかのように、一気に全八巻を読み切った。『赤毛のアン』で終わった読書は、こうして『坂の上の雲』で再び始まった。本を読み慣れていない私の読書は、とてもスローペースだ。けれども、以前は「読んでいない本」の膨大さに打ちのめされてばかりいた私は、ゆっくり読んだ1冊1冊の本たちに、知らない世界を教えてくれてありがとう、という気持ちで向き合えるようになった。
 
そしていま、読むことだけでなく、書くことにも向き合い始めた。書くことで、深い谷底を渡る橋を、自ら架けていけるようになれたらと思っている。
 
 
 
 
***
 
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2020-11-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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