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三十路になってもパリピでよいのか問題 ――永井荷風と岡崎京子

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横手さん 三十路

 

記事:横手モレル(ライティング・ゼミ)

 

「日本人は三十の声を聞くと、青春の時期が過ぎて了つたやうに云ふけれども、熱情さへあれば人間は一生涯青春で居られる」
永井荷風「新帰朝者日記」『西遊日誌抄・新帰朝者日記』春陽堂文庫、1932年(初出は1909年)

荷風先生はタフガイだ。時はおりしも明治時代。外国生活で得た文明についての知見と、母国日本のあいまいな欧化が引き起こしたジレンマに正々堂々立ち向かうインテリジェントな文学者でありながら、いくつになっても色恋を肯定し、肉を食い、恋に飽き、また放浪し、小説を書き、発売禁止の憂き目にあってもなおめげない。

「熱情さへあれば」。そう喝破する大人物が、かつて居たのだ。平成のライター風情が引き合いに出すのもおこがましいが、読者がその生きざまを我がこととしてポジティブに生き抜くための火花にするのであれば、空の上から笑い飛ばしてくださるのではないか……そんな気持ちにもなるのである。今日はそんな享楽的でいて、ちょっとせつない青春のおはなし。

ちまたには、夏は海岸で群れをなし、季節を問わずクラブで深夜に盛り上がり、すきあらばアルコール片手に「ウェーイ!」と乾杯をする人々がいる。いますよね。

彼らこそがパリピ、つまりパーリーピーポー、お祭り好きでその瞬間のノリをこそ大事にする人々である。天狼院web読者とは真逆の文化圏のお話だ、と思われる向きも多いだろう。

しかしここで告白をしたい。

わたしはパリピのひとりである。
けれども「友だち」なんかは、そこにいない。
それが何故かは、おいおい分かってもらえるだろう。

パリピの1日は、終電が去ったころにようやく始まる。スマホやフライヤー(チラシ)でざっと検分したイベントを催すクラブ(音楽と酒とダンスを楽しむあっちのほう)に通っては、浴びるように酒を飲み、出番の終わったDJにあの曲の繋ぎサイコーっしたねと話しかけ、そこでしか会わない女の子たちとハイタッチする。

熱気が下がってきたら近隣の違うハコ(クラブのこと。小屋とも呼ぶけれどその場合はライブハウスを指す場合の方が多い)に徒歩かタクシーで移動して、ジャケットとかばんをコインロッカーに押し込んで、手ぶらでフロアに降りていく。

このとき身につける貴重品は、スマホとアルコール代の2千円のみ。足りなくなったら奢ってもらうつもりである。お財布から抜いた千円札を小さく畳んでブラの中に挟みこみ、両手をぷらぷらさせて階段を降りたら、防音扉を力いっぱい引っ張って、身体を圧し潰す爆音のなかで、あの子たちの顔を探す。

約束なんかはもとより無い。連絡先だって知らない。源氏名みたいなファーストネームだけを頼りに見つけたあの子たちと、駆けつけのZIMAをかちんと鳴らし、喋りたければ耳に手を寄せ、面倒であれば身体を揺すり、ノッたふりをしてフロアの前方に飛び込んでいく。

パリピには本名がない。間に合わせの呼び名があって、踊れる音楽を信じていて、酔っ払っていて、乗らないナンパをはねのける時だけはグループの結束がとても速くて、刹那的で、享楽的で、朝を迎えたらもう会えないかもしれないのに「おつかれ、またね」と手を振り合う。

そんなある夜、東京で一番大きなクラブでルカに出会った。

わたしはもう三十路だった。だからルカから初対面で「ママ」と呼ばれることに抵抗はなかった。

折れるほど細くて、露出度の高いブラックレザーのワンピースがあつらえたみたいに似合っていて、長い髪からいい匂いがして、きついメイクもKポップのアイドルみたいだったルカ。バーカウンターでカクテルの名前を思い出せなくなり困っていた彼女を助けてあげたら、すぐになついて手を繋がれた。群がるナンパ男子たちをハエのように追い払うしぐさを、わたしはマンガ以外で初めて見た。ルカは気だるげに人波をくぐりぬけ、繋いだ手をひっぱって、クラブの庭にある喫煙スペースに座り込んだ。

「パパがわたしの家に住みに来るの」

今夜のDJの話をひとしきり終えたところでルカは唇を引き直した。……パパ。恥ずかしながらわたしは金銭的な意味でのパトロンを思い浮かべた。けれども話はぜんぜん違った。

「ママはいなくなっちゃった。彼氏を作って消えたの。卒業するまで田舎でパパと二人暮らしをしてきて、でもパパの作るごはんはまずくって、殴り合いで、マジ無理、自活するよって東京に来た。事務の派遣しながら、パパの作ってくれてたのより自炊がまずくてヤバいって思いながら、クラブに通うようになってさ。『友だち』はいっぱいできたけど、クラブの外で会う子なんかいない」

ルカは水滴だらけのキューバンリブレを飲み干した。

「男もぜんっぜん信用できないけど、女子はもっとわかんない。生理が止まったときなんか、女子に裏でキモいこといっぱい言われたし。……ねえママ、わたし、日本語しゃべれてる? ばかだからうまく伝えられない」

初対面のわたしに向かって、ルカはずっとしゃべり続けた。焦点の合わない目をふらふらさせながら、言葉を探してつっかえながら、ボディタッチをねだる男を押しやりながら、パパを東京に呼び寄せたのは自分なのだときちんと言った。

「やり直せるよ」とわたしは言った。「わたしは三十路だから、ママだから、なんにも問題ない、そう思うよ」と言った。ルカはわたしの首に抱きついて、頬にたくさんのキスを降らせた。ちょっと前に流行った、クロエの香りがした。

「ほら、そろそろチルアウトの時間だよ」とDJの交代を告げると、ルカは「ママと一緒に行く」と強い声を出して両手を握った。わたしは指をすっと抜いて、「もう一杯、バーカウンターに寄ったら探すね」と口に出して、ルカの背中をぽんと押した。建物の入り口にたまっていたパリピ仲間の女子たちが、うわっと歓声をあげてルカを迎えた。両手を挙げて小走りのままグループに戻ったルカは、ちらりとこちらを振り返ったあと、人の群れに揉まれてやがて見えなくなった。

それは夏のことだったから、朝が来るのも早かった。わたしは、そろそろ始発が動き出すかなと海沿いの庭から空をながめ、フロアに寄らずに荷物をまとめた。荷物といっても財布とiPodが入るかばんをコインロッカーから出しただけで、「お姉さんこのあと築地で寿司食おうよ寿司」という見知らぬ声に敬礼サインで断る意思を伝えながら、駅に繋がるなんにもない広い道を歩いていった。

歳をかさねたから、とやんちゃなカルチャーを拒絶するのは簡単なことだ。続けることのほうが難しい。「熱情さへあれば」と荷風が小説の一人物にさらっと言わせたのも、その継続がどれだけ難しいかよくよく身に沁みていたからなのだと想像する。熱情さえあれば――。それさえあれば、すでに葬ったと思い込んだものをわたしたちは何度でも手に入れなおせるし、つまりはいつでも手放せる。わたしは人が愛おしいから、いくつになってもパリピを楽しむ。

マンガ家の岡崎京子は、80年代初頭における元祖パリピたちの青春コメディ『東京ガールズブラボー』(JICC出版局、1992年)のなかで、主人公サカエちゃんにこう言わしめた。「なんかもっと夢見るようなうつくしくて正しくて別の世界ってないもんかにゃあ」と。

パリピたちは、息苦しい現実とは切り離された「別の世界」を楽しんでいるのだ。それは読書好きがトールキンの描くファンタジーにひたるように、ゲーム好きがモンハンでひと狩り行くように、とてもオーソドックスな「別の仮面を生きる」娯楽のひとつに過ぎないんだろう。

そう思えた自分は、昨日までよりも少しだけ優しいまなざしを持てたんじゃないだろうか、今はそんなふうに思っている。

蛇足ではあるが、冒頭に引用した荷風のいう“三十路の終わらない青春”をずばりモチーフとした“発禁”短編小説、「歓楽」(『荷風全集 第6巻』岩波書店、1992年所収)を皆さまにおすすめして、ひそかなブックガイドとしての稿を終えておく。全編に独身三十路のセックスとわがまま……つまりは文学的懊悩……が満ちており、インテリだめんずがお好きな読書スキーにはもってこいのショートトリップをお約束する。

 

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2016-01-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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